職業・漫画家。この肩書きは華やかで、カッコよくも見えますが、その裏には様々な苦悩や葛藤、挫折があります。今回、話を伺った山科ティナさんも例外ではありません。

 

高校1年生の頃に「別冊マーガレット」にてデビュー以降、紙のみに止まらず、Webにまで活動の範囲を広げています。小さい頃からの夢を叶えたともいえる彼女ですが、その道のりは決して平坦なものではなかったようです。

 

親からの否定、ボツを喰らい続ける作品……様々な経験をしながらも、彼女を”漫画家になる道”へと突き動かしたものとは?彼女の人生から、”やりたいこと”を形にするためのヒントを探っていきます。

 

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【プロフィール】 大学1年漫画描き。高一の時に「別冊マーガレット」でデビュー。大学入学後に新しいコンテンツ漫画をWebで手掛け始める。自身のTwitterでの「#アルファベット乳」が人気。この春から念願だった東京藝術大学デザイン学科へ。

 

「漫画家の道は険しいよ……」親の一言へのちょっとした反抗から、私の”漫画家”という人生は始まった

-- アメリカで生まれ、中国で生活。漫画に興味を持ったのは、いつ頃だったのでしょうか?

 

山科:中国に漫画はあまり置かれていなかったのですが、日本のアニメは放送されていました。それこそ、『名探偵コナン』や『カードキャプターさくら』といった、多くの人が知っている有名なアニメは全て放送されていたと思います。

 

日本のアニメを一目見たときから、すごくハマってしまって。日本に来るまで、本当に色々なアニメを見てきたと思います。それで日本に来てから、アニメの原作である漫画をたくさん目にするようになり、自然とたくさんの漫画を読むようになりましたね。

 

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-- 読んでいただけの”漫画”を描こうと思ったのは?

 

山科:絵を描くことも、昔からすごく好きだったんです。なので、読んだ漫画の絵をまずは「真似してみよう!」と思い、とにかく読んでは真似して、読んでは真似してを繰り返していました。

 

最初は単なる趣味でずっと真似していたんですけど、中学の頃にふと、「漫画を描くことを仕事にしてみたい」という思いが芽生えてきて。漫画家になる思いを抱えながら漫画を描いていたんですけど、親から想定外の一言を言われたんです。

 

-- 想定外の一言……

 

山科:「漫画家になる道は険しいから止めておけ」と。その一言を聞いたら、すごく悔しくなってきて。

 

「まだ自分は何も動いていないのに、なぜ否定されなきゃいけないんだ」という思いが込み上げてきたんです。そこからすごく気合が入り、絶対に漫画家になってやろうと。それだけを糧に漫画を描き始めました。

 

実績を作れば親も納得するはず。研究に研究を重ねて掴み取った、『別冊マーガレット』の佳作

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-- そこから『別冊マーガレット』のコンテストに応募した。

 

山科:そうですね。日本では”漫画家”という職業はかなり前から成立されていると思うのですが、中国人である母は「漫画がお金になる」というイメージがそこまでなかったのではないかと思います。だから、漫画家という職業に否定的だと思ったので、まずは自分の描いたものをお金に変えられるんだというイメージを持たせてあげたかったのです。

 

だからこそ、少額の賞金でも良いので、賞を獲得し自分の漫画がお金になる瞬間を見せられれば漫画家への道が開けると思い、好きだった雑誌である集英社「別冊マーガレット」の『MANGAGPザ・デビュー』に応募することにしました。

 

-- 表彰されれば、親も納得してくれるだろうと。

 

山科:親も納得してくれますし、自分の自信にもつながる。そうすれば、どんどん動けるようになるかなと。応募した『別冊マーガレットMANGAGP』は完全に狙い撃ちです(笑)。

 

いかにして賞を獲得するかを考え、『別冊マーガレット』に投稿されている作品はほとんど読みましたし、それらの作品をもとに「自分の作品が面白くなる方法」を研究してから、次にも繋がるよう持ち込みをし、その場で投稿しました。

 

その甲斐もあってか、無事に応募した作品で佳作を受賞することができて。運も良く、そのままデビューし、1本目の読み切りも『ザ・マーガレット』に掲載していただきました。

 

「ヤバい、このままじゃ消えてしまう……」デビューしてから待ち受けていた”ボツ”の連続

-- デビュー後はすごく順調に進んでいったんですね。

 

山科:1本目の作品は掲載することができたのですが、その後、大学受験に入ってしまい……。なかなか漫画を描く時間をとることができなかったんです。

 

高校を卒業したのち、まだゆとりのあった浪人中の夏頃まで、それと多摩美術大学に進学したあとは、漫画を描かなきゃという危機感に駆られました。そう思って筆をとったのですが、時間があいたことや当時受験がうまくいかなかった不安感が原因か、スランプに陥ってしまったんです。描いた漫画を編集部に持ち込んでみたんですけど、どれもボツになってしまう。そんな時期が長く続きました。

 

そのとき、こう思ったんです。「このままではヤバい……。漫画家という夢が消えてしまう……」と。

 

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山科さんに影響を与えた漫画『ストロボエッジ』

 

-- その逆境、どうやって乗り越えたんでしょうか?

 

山科:このまま漫画を描けなくなって、忙しい大学生活に追われて流されてしまうのは、怖いなと。「作品が世に出ないまま時が経っていけば、夢を追う以外にも頑張らなきゃいけないことが増えてしまう、それでは自分の夢が終わってしまう。」そんな危機感があったからこそ、追い込まれても頑張れたんだと思います。

 

今になって振り返ってみると、気持ちに余裕がなかったときの作品は教科書どおりの作品ばっかりだったなぁと思います。やっぱり、自分に余力がないと作品も良くなっていかないですし。なので、そのときに描いた漫画は一旦寝かせておき、違った方法で漫画を描き続けることはできないかを考えるようにしました。

 

そんなときに、"新しい広告コンテンツ漫画"読み切り『プレゼントハラスメント』を描く話が舞い込んできて、「紙だけでなくWebでも漫画を書けるんじゃないか」と思ったんです。

 

-- 紙から一転、Webの世界へ。

 

山科:ボツが続いていると、もうそのままフェードアウトをしてしまうというケースをよく耳にします。でも、自分の好きなことで妥協はしたくない。まだ別の方法はあるかもしれないのに諦めるのにはまだ早い。そう思い、”Webを使って漫画を表現する”新しい道で自分の好きなことを形にしようと。だから、Webで漫画を描くことにしました。

 

 

-- 迷うことなく、未知の世界に一歩踏み出せた。

 

山科:最初は不安でした。雑誌の新人の場合、決まった締め切りがなく、自分のタイミングでコンペに通ったら載るというスケジュール感だったのですが、Webは違う。「◯◯日に公開するから、××日までに書かなければいけない」という詰まったスケジュール感だったので、それまでに面白くできるかどうか、そんな不安はありましたね。

 

-- 紙とWebで違いの変化に困ることはありましたか?

 

山科:そこまで大きな変化は感じてないです。ただ、実際に描いてみて修正部分は違うなと思いました。広告メインの漫画はちゃんと最後まで読ませるかどうかを含め広告部分や話題になるための直しが多いのですが、雑誌の漫画は漫画を面白くするための"キャラクターをどう魅せるか"などといった直しが多い。そこの差が大きいかなと思ったくらいです。

 

あと、紙とWebで考え方はそこまで変えてないですけど、Twitterなどに漫画を載せるときは少し考え方を変え、「どうやったらバズるか」を意識して描くようにはしています。

 

出来ない理由より、出来る理由を探そう。「本当にダメなのか?」と考えた先に、まだ試していない方法がある

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-- 紙とWebという分野に限らず、"やりたいこと"を形にし続けてきた。そんな山科さんにとって、"やりたいこと"を形にするためには何が大切だと思いますか?

 

山科:周囲の友人・知人から「やりたいことはあるんだけど失敗が怖い、これを試してみたんだけど失敗しちゃった……」という相談をたまに受けます。そのとき、”やりたいこと”を形にする方法は幾らでもあるだろうと思うんです。

 

"やりたいこと"を形にするにあたって、必ず否定されることがあります。それは私も同じで、漫画家を目指そうとした時に「その道は険しい」と否定されました。一歩進んでも、また「ボツ」の壁が目の前に現れました。でも、そこで妥協して終わってしまっては思いを形にすることはできません。否定されたときに違う方法を考えられるか、悔しさを自分の力にできるか、これが"やりたいこと"を形にするためには大事だと思っています。

 

ダメな理由もたくさんあると思うんですけど、「本当にダメなのか?」と考えてみると、意外と試していない方法もたくさんある。その試していない方法を頑張って試していくと、自然と”やりたいこと”も形になっていくんじゃないかなと思います。

 

(取材・執筆:新國翔大)
(取材協力:マンガサロン『トリガー』