今回、話を伺ったのはプログラミングができる女優として活動する、”ギークな女優”こと池澤あやかさん。世間一般がイメージする”タレント”という枠を越え、幅広いフィールドで活動する彼女の生き方は一見、戦略的にも見えます。

 

しかし、彼女のキャリアを紐解いていくと、ターニングポイントで出てくるワードは全て偶然。そんな彼女はどうやって自分の”やりたいこと”を形にしていったのでしょうか?池澤あやかさんの生き方から、自分らしい働き方”をするためのヒントを探っていきます。

 

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【プロフィール】
1991年大分県生まれ。慶應義塾大学SFC環境情報学部を2013年に卒業。2006年の第6回東宝シンデレラオーディションで審査員特別賞を受賞し、同年映画『ラフ』にてデビュー。映画『デトロイト・メタル・シティ』やドラマ『斉藤さん』などの他、舞台やCMに出演。タレントとして活躍する一方、プログラミングができる女優として人気が急上昇、「Rubyの女神」と呼ばれる。

 

母の勧めでなんとなく応募してみたオーディション。芸能界デビューのきっかけは”偶然”でした

池澤:芸能界デビューしたのは確か……15歳の頃だったと思います。

 

-- デビューのきっかけは何だったのでしょうか?

 

池澤:母の勧めです(笑)美容室で読んでいた雑誌に、東宝芸能のオーディションのお知らせが掲載されていて。母が昔、地方のアナウンサーを務めていたこともあり、自然と応募する流れになったのでオーディションを受けてみることにしたんです。

 

そうしたら、審査員特別賞を受賞することができ、副賞の映画出演の権利で『ラフ』という映画に出演させてもらってデビュー。そんな流れでした。

 

ただ、そこからが想像以上に大変で……。

 

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-- その大変さ、詳しく教えてください。

 

池澤:オーディションに受かったら、普通に仕事を貰えるのかと思っていたんですけど、仕事の度に毎回オーディションを受けなければいけなくて。「普通に受かるだろう」と思って受けにいったら、全然受からず、最初の頃はオーディションばかり受けてましたね。

 

ほんと、就活みたいな感じだったな〜(笑)。オーディションもどれだけ受けたか覚えてないですし、多分、人生で一番大変な時期だったと思います。

 

あれ?やりたいことと違う……。SFCで待ち受けていた想定外の現実

-- 中学・高校生の頃から技術には興味があったんですか?

 

池澤:高校生の頃に、自分が所属する団体のWebサイトなどは作っていましたけど、そこまで技術に興味はありませんでした。どちらかといえば、普通の中高生だったと思いますよ。

 

-- そこからSFC(慶應大学湘南藤沢キャンパス)へ。

 

池澤:当時は「映像系の勉強がしたい」と思っていたんです。きっと、仕事にも役立つだろうなと。それで映像系のことが学べる大学について調べていたら、出てきたのが慶應大学(SFC)、立教大学、日本大学だったので、とりあえず慶應大学と立教大学を受けてみて、合格したのが慶應大学(SFC)だったので、SFCへ行くことにしました。

 

ただ、ゼミを選ぼうとしたら、想定外のことが起きまして。

 

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-- どんなことが起きたんでしょうか?

 

池澤:ドキュメンタリーのジャンルに精通する先生しかいなかったんですよ。私は「ノンフィクションの映像について学びたい」と思っていたので、ちょっとやりたいことと違うゼミしかないなと思いました。

 

「もう違う分野のゼミにしよう」と思って入ったゼミが、プログラミングと電子工作をするゼミで。まさかでしたね(笑)

 

プログラミングの授業は必須科目だったので、大学入学後に少しだけやっていたのですが、そんなに出来るわけではなく、「え?プログラミングをやらなければいけないの?できないよ……どうしよう……」と少しだけ頭がパニックになりました。

 

「プログラミング言語なんて、どれも同じでしょ」勘違いが起こした”Ruby”との出会い

-- それがプログラミングを本格的に始めるきっかけだったんですね。ちなみにどうやってプログラミングの勉強をしたんですか?

 

池澤:ゼミに入ってから、「Processing」を使って「KINECT」をハックしてプログラミングを行っていたのですが、頭では全然理解できてなくて。「もっと勉強しよう」と思い、プログラミング合宿へ行くことにしたんですけど、なぜかRubyの合宿に行ってしまったんです。

 

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-- 全く違う言語の合宿に(笑)

 

池澤:そうなんです。当時は「プログラミング言語なんて、何でも一緒でしょ」と思っていて(笑)。それで島根県が主催しているRuby言語の合宿に参加してみたら、なんとその合宿にRubyの生みの親であるMatzさんがいらっしゃってたんです。

 

まだRubyを始めてから1日くらいしか経ってなかったんですけど、合宿を通して、Matzさんが私のことを覚えてくれたみたいで、「Rubyのアイドルが現れた」と言ってもらえました。

 

-- おお!そこに「Rubyの女神」と呼ばれる起源があったんですね。

 

池澤:その合宿で、クックパッドのようなWebアプリを簡単に作れる「Ruby on Rails」というRubyのフレームワークがあることを知り、それを使って自分でTwitterもどきのようなサービスを作ったりして遊んでましたね。そこからですね、プログラミングの楽しさにハマっていったのは。

 

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-- そして、その知識がいつしか仕事になっていた。

 

池澤:Rubyやっていたことが功を奏して、まだ技術力は高くなかったんですけど、Facebookアプリを作る連載の話を持ちかけられて。そのときの、プロフィールに変なことを色々と書いてしまったせいで、軽く炎上してしまい、良くも悪くも「池澤あやか」という名前が広く知られるようになりました。

 

-- どんなことを書いたんですか?

 

池澤:先方からは、「好きな言語や好きな拡張子、好きな関数などをプロフィール欄に書いてくれ」と言われていたんですけど、Rubyって関数があまりないんですよ。「関数ってなんだろ?」という感じだったので、好きな関数の欄に適当に「if」って書いたら、ぶっ叩かれました(笑)。

 

まぁ、それがきっかけで当時アスキーが出版していた「Mac People」という雑誌での連載も決まったので、怪我の功名だったのかもしれません。

 

池澤あやか流、”やりたいこと”を見つける方法。まずは三日坊主から抜け出し、一つのことを続けてみよう

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-- 女優業として活躍しつつ、エンジニアとして雑誌で連載を持つ。自分の”やりたいこと”を形にしていっていると思うのですが、”やりたいこと”を形にするために何が大切だと思いますか?

 

池澤:日々の積み重ねが何より大切だと思います。小さなことをどんどん積み重ねていくと、少しずつ大きな仕事もできるようになる。実は、もともと私って三日坊主な性格だったんですよ。

 

-- 三日坊主だったんですか!?

 

池澤:ただ、芸能活動を始めてから、個性がないとオーディションも受からないことがわかって、やっぱり個性って大事だなと。「三日坊主では個性も何もあったものではない」と、これまでの自分を反省して、高校生ぐらいから一度始めたものは続けること意識し続けています。

 

正直、「もう辞めようかな……」と思ったこともあります。全部投げ出して海外に行きたいと思ったりもするんですけど、途中で辞めてしまったら、今まで積み上げてきたものがゼロになる。

 

だから「せっかくここまでやってきたんだから、もうちょっと頑張ろう」と、いつも自分に言い聞かせて、仕事を頑張るようにしてます。

 

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池澤:やっぱり続けてみないと分からないこともあるじゃないですか。もちろん、続けることって大変なんですけど、やる気のある人の近くにいったりするとモチベーションも上がって続けやすくなる。私はプログラミング合宿やプログラミングスクールに行ってましたし。

 

まずは強制的に続けられるような環境に身を置き、やってみたいことを続けてみてください。そうすれば、自然と自分の”やりたいこと”も見えてくると思います。

 

(取材・執筆:新國翔大)(取材協力:DMM.make AKIBA