「うちのバイトに、アフリカの貧しい国に世界遺産をつくろうとしている女の子がいるよ」

そう聞いて、近所のラーメン屋さんに足を運んだことが下里夢美さん(25歳)との初めての出会いでした。大柄の男性がカウンターを埋め尽くす店内で、一際目を引く、厨房に立つ小柄なかわいらしい女の子。「本当にこの子が?」と思ったのも束の間、話しかけてみると驚くほど饒舌。

 

“夢美”という可憐な名前とは裏腹な、世界の直面する問題に立ち向かう壮大な彼女の夢をインタビュー。

「世界で最もいのちが短い国」といわれるアフリカのシエラレオネ共和国で、就労支援をしている夢美さんがつくりたい“世界遺産”とは…?

 

テレビの奥にいた、8歳の少年との出会い


バイト先のラーメン店でテキパキと調理をこなす下里さん。手慣れた様子。

 

自由奔放な母の下、中学2年のころまで父がいない環境で育った下里さん。思春期真っただ中だった彼女は、「そのころはとても情緒が不安定だった」のだそう。

高校では特進の英語総合コースに進学しますが、勉強・部活・家庭環境などのストレスに苦しみ、「全てが嫌で投げ出したい」と思い詰めるまでに。

 

そんなとき、偶然見たテレビのとあるドキュメンタリー番組が、下里さんの人生を大きく変えることになります。

 

「それはダイヤモンド紛争という大きな内戦で、両親を目の前で殺されてしまったシエラレオネ共和国の8歳の少年、アラジ君の話だったのです。目にしたのは、学校へ行けず日々鉱山から鉄クズを探しては売り、兄弟を養いながら何とか生きている彼の様子でした」

 

悲痛な境遇の中で番組スタッフがアラジ君に「何か欲しいものはある?」と聞いたとき、まだ幼い少年の答えに下里さんは言葉を失います。

 

「アラジ君は『何も欲しいものはないから、勉強がしたい』と答えました。何の教育も受けていないアフリカの子どもが、教育を受けることで仕事が得られ、家族を養っていけることを理解している。この言葉に衝撃を受け、心打たれました。

自分は家族もいるし勉強できる環境がある。でも、心は彼よりも貧しいのでは、そう思い知らされたのです」

 

そんな心を突き動かされる出来事から、高校卒業後は大学で国際協力学科を専攻。アジアで最も貧しい国といわれるバングラデシュ人民共和国に赴き世界最大のNGO・BRACによるプロジェクトの視察をしたり、日本で一番歴史あるNGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」のフェアトレードプロジェクト研修に参加します。

大学卒業後は就職せずに、国際協力系のNPO法人にアルバイトスタッフとして身を置きつつ、当時最年少で「準認定ファンドレイザー※」に。

 

※ファンドレイザー=社会問題解決プロジェクトに必要な資金や仲間を効果的に集めてくる人のこと

 

「大学での学びは有用でしたが、NPO職員がきちんと社会貢献で食べていける仕組みは学べませんでした。実際、大学にはたくさんの学生団体がありましたが卒業と同時になくなり、ほとんどの人は葛藤しながらも一般企業へ就職していったんです。私はNPO法人としての起業も視野に入れて、女性が社会貢献で食べていけることを証明したいと強く考えるようになりました」

 


強い思いとともに立ち上げたプロジェクト。

 

その後、下里さんは有志とともに「Alazi Dream Project」を設立。日本の若者の夢と夢をつなぐプレゼン登壇会&交流会「夢プレゼン交流会」などのイベントを主宰し、その収益をシエラレオネ共和国の就労支援に役立てることを目的とする団体で、日本と遠く離れたシエラレオネ共和国の懸け橋となっています。

今年2017年4月にはNPO法人として、東京都から認証が下りました。

 

初めてのシエラレオネ、衝撃の惨状と真実

下里さんが初めてシエラレオネに渡航したのは2016年5月。初めて見たシエラレオネ共和国の悲惨さは想像を絶するものでした。

 

「セネガルやガーナなど西アフリカを回りましたが、シエラレオネは一番、生きるのに過酷だと思える国でした。

まず、空港と首都が非常に離れているため、首都のゲストハウスに到着するには船と車を乗り継いで5時間もかかる。頻繁に停電し、一日おきに断水。先進国のおさがりの車が街を走り、空気もよどんでいました。

街にはゴミが溢れ返っており、『支援物資という名の先進国のいらないものが捨てられた、ゴミ箱みたいな国』それが最初に抱いた印象です。ストリートチルドレンや内戦で手足を失った人、まともに治療が受けられず病気で失明している人も多くいました。

 

仕事も少なくまともな教育も受けていないので、目先の欲に目がくらみお金を盗むことも日常茶飯事。一番ショックだったのは、ずっと仲良くしていたゲストハウスのスタッフのおばちゃんにお金を盗まれたことですね。

 

現地の小学校を支援したいと思っても、現地の人々は『いくらくれるの?』『何をくれるの?』というスタンスなので、なかなか話が進まない。シエラレオネを発つ日に空港で男性スタッフに賄賂を請求されたので、荷物検査のときに女性空港スタッフにそのことを相談したら『しょうがないじゃない。お金がない国なんだから、持っているならお金をちょうだいよ』って言われて言葉を失いました。

でも、それが真実なんです」

 

かつてテレビで見た少年の、心の純粋さを信じて訪れた国。しかし「シエラレオネの人々の力になりたい」という下里さんの気持ちと、実際に厳しい貧困に直面する現地の人々との考え方のギャップはあまりに大きく、困惑したといいます。

 

しかし、そんなシエラレオネ共和国の人々から、下里さんはとても大切なことを学んだそうです。

 


当時の大火事の様子

 

「滞在中に近所で大火事が起き、民家が次々と焼失する大惨事を目の当たりにしました。何もかも失った人々は絶望的な面持ちで涙を流していましたが、次の日には新しい服を着ていつも通り仕事をしていることに驚きました。全てを失った人たちに、無事だった近所の人たちが必要なものを分け与えていたのです。

みんな貧しいのは同じ、共通した境遇の中で生きています。空港女性スタッフの言葉も、『なぜあなたは持っているのに分け与えないの? 私たちはそうして生きているのに』という意味だったのかもしれません。

 

思い返してみれば、シエラレオネの多くの人々は気さくに話しかけてくれたり、道に迷ったら丁寧に教えてくれたり、とにかく親切なんです。

 

現地の人と結婚した日本人女性は、『日本よりも子育てがしやすい。仕事に行くときは近所の人に子どもを預けている』と言っていて、コミュニティーも日本よりもずっと密です。こうして、大火事のあと自分が勘違いしていたことに気づきました」

 

「なんで日本じゃなくてアフリカなの?」

なぜアフリカなの?

よく聞かれるというこの問いは、彼女自身が長い間葛藤してきた問題でもあったそうです。

 


どんな環境下でも子どもたちは元気いっぱい!

 

「私が好きなあるアニメの話ですが、宇宙から地球を見ると国境なんてないんです。つまり境目がない。

バングラデシュのゴミ山で出会った人たちの中には、それぞれ血のつながってない家族もいます。4人組のストリートチルドレンの誰か一人がお金をもらったら、みんなでそのお金をどう使うか相談したり。

 

そんな彼らの姿から、『奪い合ったら足りないけど、分け合ったら余る』ことを学びました。家族とか国境とかって、その境目は自分自身でつくってしまいがちですが、そんな壁はもともとないと思っています。みんな地球上に生きている同じ『人間』であり、私はたまたま日本に生まれただけ。たまたまシエラレオネの人の力にもなりたいと思ったから今の活動をしているんです」

 

下里さんも、現在の父親とは血がつながっていません。それでも父親は愛する“家族”であり、一人の人間としてとても尊敬をしているそうです。

 

私が世界遺産をつくる!

何もないシエラレオネ共和国で下里さんがひらめいたのは、なんと世界遺産をつくって観光客を呼び込むというものでした。

 

「300年も前の人たちがつくった建築物、カンボジアのアンコールワットは、今でも世界中からたくさんの人たちが訪れお金を落としている。世界遺産は、その国の人たちが子孫を繁栄していけるようにご先祖様が遺した遺産なんじゃないかと思ったんです。

 

また、モロッコの有名な観光地である青い街シャウエンに行ったとき、民家が青く塗られているだけの風景を見て、これなら私にできるんじゃないかって(笑)。不衛生でゴミだらけのシエラレオネで、衛生的でエコな暮らしを実現して、夢を表現できる場所をつくる。そこに青を塗って平和なイメージを表現した“世界一貧しい国の、世界一豊かな村”をつくりたいなって思っています。

 

私はビジネスに向いているタイプではありません。だから、私が楽しいと思える好きなことで支援につなげていこうと思うんです」

 

拠点となるゲストハウスづくり、そして移住へ


心が打ち解けたから見せる無邪気な表情。

 

今年2017年5月、下里さんは再びシエラレオネへ向かいます。1カ月の滞在期間中に、まずはゲストハウス兼レストランを建てる予定の土地と、契約する養鶏場の下見をするそうです。

 

「土地は有り余るほどあるので、東京ドームくらいの広さの土地は20万円ほどで買えます。その近くに養鶏場があるので村の小学生たちに卵やニワトリを育ててもらい、それらを売ったお金でその子たちが学校に通えるように、そして学校の先生もお給料を得られる仕組みを考えています。

卵や鶏はゲストハウスのレストランでも買い取って使います。私、オムライスが好きでオムライス屋さんがやりたかったんです!」

 

土地を取得したあとは、ゲストハウスの建設も進めるためシエラレオネに移住する予定の彼女。そんな夢に突き進む姿を見せる反面、25歳らしいこんな言葉もこぼれ落ちました。

 

「本当は怖いと思うこともありますよ。25歳ですし、そろそろ結婚や出産をしたい気持ちもあって、すごく悩みました。でも、このまま日本に居てもいつかは『あのときやっておけばよかった』と後悔するかもしれないから、若いうちに住んでいろいろと経験してしまおう!と開き直っています(笑)」

 

そして、一人でも多くの日本人にシエラレオネへ来てほしいという願いがあるのだそう。

 

「アフリカから日本に戻ってきて、すごくささいなことも幸せに感じることができるようになりました。身近にある自動販売機ですぐにものが買えることや蛇口をひねると当たり前のようにお湯が出てくることに、すごく感動してしまって。

何もない国だからこそ、得るものは大きい。日本人にもっとその感覚を伝えたいです。

 

アフリカはワクチンやビザが必要なので、物理的な距離だけじゃなくて心理的な距離も遠い。私が現地でツアーを主催したり渡航へのアドバイスをすることで、そういうハードルをとっぱらっていきたいですね」

 

夢をかなえる一番の近道は、誰かの夢を応援すること


現地で行った夢プレゼン交流会にて。

 

そんな下里さんが人生で大切にしていることは「恩送り」だといいます。

 

「もともと人のために何かをすることが好き。私の夢をかなえる一番の近道は誰かの夢を応援することだと思っているので『夢プレゼン交流会』などのイベントを主催しています。

 

誰かを支援することがギフトになって巡り巡って自分に返ってくる。私自身もこのイベントを通じていろんな人の夢を応援していますが、応援した人はもちろん、その周りの人が私の活動を知り、NPO法人の口座には全く知らない人たちからたくさんの温かい寄付が振り込まれています。そのためシエラレオネの支援を続けられるのです」

 

最後に下里さんは、アフリカのこんなことわざを教えてくれました。

 

「私のお気に入りの『早く行きたいなら一人で行きなさい。遠くに行きたいならみんなで行きなさい』という言葉。日本で待っていてくれる多くの人たちがいるから、私はどこまでも遠くに行けるんです」

 

本当の“国境”をつくっているのは、実は自分自身なのかもしれません。時に迷わず、自分の周りの人や夢にまっすぐ向き合い突き進んでみませんか。

(取材・文:ケンジパーマ)

 

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識者プロフィール
下里夢美(しもさと・ゆめみ)

下里夢美(しもさと・ゆめみ)
1991年生まれ。25歳。Alazi Dream Project理事長。世界で最も命の短い国・シエラレオネ共和国で就労支援を目指し活動中。日本人の夢を応援するイベントを過去60回主催、100名に登壇機会を提供し、収益をシエラレオネでの活動費としている。
特定非営利活動法人Alazi Dream Project・代表
輝く女性のための夢インタビューサイト キアラ・編集長
アフリカ女子部・部長
ブログ「みためはコドモ・ずのうはオヤジ」