無の悟り、無の境地、無になるとはなんなのか―

故スティーブ・ジョブズや安倍首相にイチローなど、世界中の名だたる人々がその教えに心を傾けた「禅」。

最近では、2017年の2月に始まったプレミアムフライデーに坐禅を組んだ安倍首相の写真がSNSを通して多くの人の注目を集めました。禅の基本である「坐禅」、それを生活の一部として取り入れることで私たちにどんな変化をもたらすことができるのでしょうか? そしてなぜ多くの人がこんなにも禅に心を奪われるのでしょうか?

 

そこで今回は、「初心者のための座禅の体験」を開催している臨済宗妙心寺派 東京禅センターの主任、中山宗祐さんにお話を伺いました。

堅苦しく考えず、禅の教えに触れてちょっとだけその世界を感じてみませんか?

 

坐禅とは心をニュートラルにすること

中山宗祐さん

 

—そもそも「坐禅」とは何でしょうか?

 

心が整った状態のことを“禅”といいます。坐禅の“坐”は、「その身そのままで」という意味があり、その身そのままで自分自身を見つめて心を整えていく…つまり、頭を空っぽにして心をニュートラルな状態にする、というのが坐禅の基本です。

 

ほかにも、立って行う“立禅”、歩きながら行う“歩行禅”、横になる“仰臥禅(ぎょうがぜん)”などがあります。自分自身を見つめて心を整えていくのであれば、食う、寝る、働く、坐を組む…生活の中の全てが禅になります。

 

お釈迦様は菩提樹の下で一週間坐禅を組み、悟りを開きました。私たち禅宗もお釈迦様がどのようなことを悟ったか追体験をするために、修行として坐禅をしています。

 

—では、具体的な坐禅の作法について教えていただけますか?

 

坐禅の作法はさまざまありますが、ここでは一つの例をご紹介します。

 

まず、右の足を左の股の上に深く乗せ、左の足を右の股の上に乗せます。すると、両膝とお尻の3点で体を支えることができ、人間の重心が一番安定する「結跏趺坐(けっかふざ)」になります。重心が体の中心にくるので、自分の中心(心)を見ることができます。

 

次に右手の指の上に左の指が重なるように置いて、両手の親指を自然に合わせて丸を作ります。この手の形を「法界定印(ほっかいじょういん)」といい、組み合わせた手は力を入れずに下腹部につけます。手の形は心を表すので、集中しないときれいな丸がゆがんできます。

 

中山宗祐さん

 

そして、うっすらと目を開く「半眼(はんがん)」で、自分の周りを“ありのまま”見ましょう。目を閉じると視界を遮断し、逆に心の中でいろいろな想像が膨らんでしまいます。半眼にするのは、半分は外の世界を見ながら、半分は自分の内側を見ましょう、という意味です。

 

坐禅中は背筋を伸ばし、頭を空っぽにして、吐く息に意識を集中します。禅で大切なのは「今」「ここ」「自分」の3つの要素。禅に集中できないのは、このうちどれかが抜け落ちていることが原因です。今ではないこと(過去や未来)を考える、ここではないこと、自分ではない他人のことを考える。

これらを考え始めると“妄想”(もうぞう)といって、頭の中で勝手にいろいろなことを考えてしまい、苦しみになってしまいます。逆に言えば、「今」「ここ」「自分」から外れなけば苦しみはないのです。

 

坐禅は何かを得るものではない

—では坐禅を組むことで得られるものは何かあるのでしょうか?

 

何かを“得る”ために行う行為ではありません。

禅と似ているもので、リラックス効果などを得るための「マインドフルネス」がここ最近はやりになっているようですが、禅は自分のいらないものを捨てていく作業です。

何かにこだわっていたり、とらわれていたり、偏った考えになっている自分にまず気づき、それらを捨てて考えないようにする行為なのです。

ですから、何かを得るためではなく、捨てるために坐禅を行います。

 

指が離れ法界定印の形が崩れたとき、集中力の乱れを正すため警策(けいさく)をいただく。
指が離れ法界定印の形が崩れたとき、集中力の乱れを正すため警策(けいさく)をいただく。

 

私はよく「坐禅は心の洗面台」という話をします。人は鏡に自分の姿を映すことで、身だしなみを整えますよね。しかし心は鏡に映りません。坐禅をすると自分の心を鏡に映したように見ることができます。

 

—そうなんですね。しかし、何にもとらわれない、ということは「向上心」なども捨てるべきなのでしょうか? 仕事や人生で重要な要素だと思うのですが…。

 

人の欲求には、こういう自分になりたいという“願心”(がんしん)という心と、そのままの欲に流される“煩悩(ぼんのう)”という心があります。

願心は、立ち止まって「今」「ここ」「自分」が持っているものに気づき、足る事を知る(知足)ことで、次のステップに進んでいくことができます。

 

しかし、煩悩は「満足」させなければなりません。どんなに満たそうとしても、いつしか満足感は目減りしていき、十分な満足を得られなくなってきます。その満たされない部分が欲になり、自分を苦しめてしまいます。自分の向上心が願心より発せられているのか、それとも煩悩からなのか、まずはご自身でよく見つめていただきたいですね。

 

—いらないものをそぎ落としていき、自分の本当の「今」の状態を知ること。そこから本当に必要なことは何かが見えてくるようです。

 

身の回りから禅を感じよ

—では、生活の中では、禅をどのように捉えればいいのでしょうか。

 

まず、普段の生活の中で少し背筋を伸ばして呼吸を整え、自分を見つめる時間をつくってください。そして、もともと私たちの生活の中に「禅」の思想があることに気づいていただきたいですね。

 

—日常生活の中に「禅」があるのですか?

 

例えば「お茶」。臨済宗の開祖・栄西禅師は、禅と一緒にお茶を日本に伝えました。なぜお茶なのかというと、一番の理由は“一息つくため”。お茶をいれ息を整えてスイッチを切り替えるためなのです。私たちの修行道場でも何かの区切りで必ずお茶を飲みます。

 

あとは、靴をそろえる「玄関」。もともと玄関というのは、禅寺の入り口のこと。昔、一般の家には玄関はありませんでした。「玄妙なる関門」の略語で、禅の悟りを得るための関門が「玄関」の由来なのです。玄関には「看脚下(かんきゃっか)」という「足元を見よ」という意味の札が掛かっていて、いったん立ち止まって自分自身を見つめて息を整えて上がりましょう、というものなのです。

 

―私たちの生活の至る所に禅の考えがあるのですね。こうして知るだけで、いつもの何げないしぐさの意味も変わってきそう。

 

「いただきます」という言葉も、いったん立ち止まって、自分がこれからいただく命に対して感謝の気持ちを持つ、という仏教の教えから来ています。

 

―目の前の物事の捉え方の固定観念がとれ、一方向から多方向に変えられそうです。一つ一つのしぐさにも意味を感じ、一瞬一瞬を大切に過ごせるような気がしました。

 

中山宗祐さん

 

仕事に生きる、禅の教えとは

—食というと、忙しさのあまり食事の最中でもついついスマートフォンを見てしまったり、仕事のことを考えたりと、食事本来の時間を味わっていなかったように思います。

 

別のことにとらわれていると、「今」「ここ」「自分」に集中できません。それは仕事も同じです。坐禅のようにスイッチを切り替えて心を空っぽの状態にすることで、そこから「仕事に入りきる」状態になれます。忙しい中、「立ち止まるぜいたく」をすることで、より仕事へ集中できるというわけです。

 

—安倍首相といった国のトップや、京セラの稲森会長、スティーブ・ジョブズなどの経営者も禅を大切にしていますが、それはなぜだと思いますか?

 

首相や経営者は、ニュートラルな状態で物事に判断を下していくことが大事だからではないでしょうか。古くは、武田信玄や伊達政宗などの有名な武将が禅を行っていました。彼らは死ぬか生きるかの世界で、しがらみや邪念を払いしっかりと自分自身というものを持った上での判断・決断が必要だったためです。

ですから、今の時代においても大事な決断を迫られる、経営者や国のトップも同じように、禅を行いニュートラルな状態になって答えを出すようにしているのではないでしょうか。

 

—世界中のトップエリートたちが心酔するのも、なんだか分かる気がします。何かをつくっていく人にとっては無の時間はとても大切な時間であり、そしてその時間があるから0から1をつくる発想力を育てることができるのかもしれませんね。

 

知れば知るほど奥深い「禅」の世界

仕事をしているとき、知識や情報を詰め込めるだけ詰め込もうとしてしまいがちですよね。でも集中へいざなうためにはそれが返って逆効果になってしまうことも。大事な判断を下したり、クリエイティブな思考を持つには、禅の考えを思い出し、頭と心を無にして感性を研ぎ澄ます時間をつくる―それが近道となるのかもしれません。

 

意外と身近なことから始められる「禅」。難しく構えることなく、自然体で肩の力を抜いて、うっすら目を開けてみる。あなたもいつもの生活の中に禅の考えを取り入れ、「仕事に入りきる」状態を身につけてみてはいかがでしょうか?

(取材・文:ケンジパーマ)

 

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