「HAKUNA MATATA(ハクナ・マタタ)。心配ない、すべてはうまくいくから大丈夫」

あなたが今、仕事や恋愛、人間関係など、何かに迷っているとすれば、この言葉を贈りましょう――。

 

東京・広尾にある小さな花屋「アフリカローズ」。アフリカ産のバラを専門に取り扱う店内には、色とりどりのバラが美しく咲き誇っています。ある人は奥さんへのプレゼントに、ある人は愛する人へのプロポーズに。このお店のバラを手にした人々が、毎日さまざまなドラマを生んでいるのだとか。

オーナーの萩生田愛さんは、元大手製薬会社の社員。なぜ萩生田さんは、安定した企業での仕事を手放し、花屋を開業したのでしょうか?

 

世界はなんで平等じゃないんだろう

世界はなんで平等じゃないんだろう

 

アフリカローズのバラは、アフリカのケニアから17時間もかけて日本へ届きます。実はアフリカは世界的に有名なバラの生産地。茎が太く持ちが良いこと、花びらが肉厚で巻きが多くエレガントなことが特徴です。日本でもおなじみの赤や黄色などのほか、赤とオレンジのグラデーションなど珍しい色も目立ちます。

 

そもそも、萩生田さんがアフリカローズ専門のお花屋さんを開業するきっかけは何だったのでしょうか?

 

萩生田さんがアフリカに興味を持ったのは大学生の頃。アメリカのカリフォルニア州立大学チコ校に入学した萩生田さんは、専攻した授業で開発途上国が直面する貧困問題のリアルさを知り衝撃を受けます。

 

「サブサハラアフリカ(サハラ砂漠以南のアフリカ地域)には、当時3億人以上もの人が毎日1ドル以下で暮らしていました。教育や恋愛の自由がないどころか、水も電気も明日の食べ物もない人たちがたくさんいる。その現実を知り、胸が苦しくなりました」(萩生田さん、以下同じ)

 

たまたま日本の恵まれた環境で育った自分と、生まれた場所が違うだけで過酷な状況で暮らさなければいけない人々……。その相対的な世界を知り「全然平等じゃないんだ」と嘆く一方で、現地の様子を自分の目で確かめたいという気持ちが大きくなっていきました。

 

しかし、当時はまだ学生で、親からの仕送りで大学に通っている身分。「自分のことすら支えられていないのに、他人を支えられるのだろうか」と萩生田さんは悩みます。

 

再燃する思い

そこで出した答えは、「まずは一人前の社会人になること」。自立し、社会の役に立てる自信がついた時、思いが変わっていなければアフリカに行こう。

 

「就職活動は海外で活躍できる企業をいくつも受け、製薬会社エーザイへの就職を決めました。選んだ理由は、薬を通して命を守る、社会貢献ができるという会社の理念に共感したから。グローバルに活躍できる環境や人を育てる文化もあり、すてきな先輩方もいたことが決め手になりました」

 

入社してからは、海外勤務が見込める部署を夢見ながら、営業の仕事に没頭する毎日を過ごします。

 

「入社して最初の2年間は営業に配属されるのですが、そこで成果を出さなければ希望の部署に行けないんです。先週はシンガポール、今週はパリ……世界中を飛び回るキャリアウーマンになりたくて、ガムシャラに働いていました。今考えると恥ずかしいですが、上司に『早く転勤させてほしい』と言うような、生意気な社員でしたね(笑)」

 

その後、希望していた本社のグローバル人事戦略部に配属された萩生田さん。仲間に恵まれ、自身の成長も実感できる充実した毎日を送っていました。

ところがその時に、WHOと提携して感染症の薬をアフリカ諸国に無償提供するプロジェクトが社内でスタート。そのプロジェクトをきっかけに、萩生田さんの中にあったアフリカへの思いが再燃します。

 

「今、行かなければ、一生後悔すると思いました。同時に、安定した仕事を手放すことに不安や戸惑いも感じて1〜2年ほど迷っていましたね。上司からは長期休暇を利用してアフリカへ行くことを勧められましたが、入社7年目の29歳の時に退職を決めました」

 

長期休暇ではなく、なぜ退職を決断したのでしょうか。

 

「この挑戦が自分のキャリアにユニークな未来を描けると思ったんです。大手製薬会社を経てグローバルに活躍するというキャリアを持つ人は少なくありませんし。休暇ではそれに甘んじて、中途半端な挑戦になりそうで。辞めるからには大きなもの得なければ、という覚悟を決めたかったんだと思います」

 

アフリカでの失意とバラとの出会い

アフリカでの失意とバラとの出会い
ゼロからの学校づくり

 

2011年に退職し、NGOの一員としてケニアのマドゥギ村で学校づくりのボランティアスタッフとして働くことになった萩生田さん。ケニアの失業率は約40%。特に農村部には十分な仕事がなく、子どもが建設用の砂を採取して建築会社に売ったり、川で魚を釣って魚屋に売ったり、家計を支えるために働いています。そうした家庭では、親もたいてい学校に通った経験がなく、教育の大切さに理解がある人が少ないのだとか。

 

そんな現状を目の当たりにして「子どもの学校ももちろんだけど、まずは大人に働く場所をつくることが必要では?」と疑問を抱き始めました。そんな時、NGOが新たに支援を検討している貧困レベルの高い村を訪問し、萩生田さんはさらに大きなショックを受けます。

 

「その村の小学校の校長先生に初めてお会いした時、『Wellcome!! How can I help you?』と言われて違和感を覚えました。私たちが支援に来ているのに、なぜ助けてもらわなければならないの?と。その言葉の裏には、寄付をくれる団体の言うことを聞けば、校舎やお金がもらえるという意図があったようなのです。

 

そんな考え方に至ってしまったのは、村人が悪いんじゃなく、環境が彼らをそうさせてしまったから。やりきれない気持ちになりました。同時に、寄付や援助など、上から与えるだけの支援は私がしたいことじゃないと、ハッキリ分かったんです」

 

そんなある日、週末に訪れたナイロビの街角で小さな花屋さんを見つけます。これが萩生田さんとアフリカローズの運命の出会いでした。

 

アフリカでの失意とバラとの出合い

 

「穴の空いたパラソルの下、リアカーに置かれた煤汚れたバケツの中で咲き誇るバラの輝きは際立っていて、その力強いエネルギーに心を奪われました」

 

さっそくバラを買って部屋に飾った萩生田さん。しかし月曜から金曜までは学校づくりで村に出向かなくてはならないため、家を空けることになります。その間にバラの水を換える人はいません。週末に帰る頃には枯れているだろうな、と残念な気持ちで村に向かった萩生田さんでしたが、週末に帰宅すると、バラは元気に咲いたまま。

 

「なんて力強いバラだろう!」その生命力に驚きバラのことを調べたところ、当時のケニアのバラの輸出量は世界1位であることを知ります。切花産業は直接雇用で10万人、間接雇用で120万人が働いており、国家をあげて取り組んでいる産業でした。また、バラは主にヨーロッパに輸出されているため、日本への輸入は1%にも満たないことも分かりました。

 

ゼロからの起業

農園で楽しそうに働く人々
農園で楽しそうに働く人々

 

6カ月間のNGOの仕事を終えて帰国した萩生田さんは、アフリカで出会ったバラを輸入して売ることで、ケニアの大人たちの雇用を生み出すことを考えました。大人に安定した雇用を生み出せば、彼らの子どもたちが学校に通う機会をつくることにもつながります。しかし、バラ農園探しは困難を極めました。

 

「個人輸入のような、小規模で輸出してくれる農園が簡単には見つからず、メールや電話をしても真剣に話を聞いてもらえませんでした。諦めかけていた頃に、ケニアで知り合った友人から農園を紹介してもらうことに。500本から輸出してくれると言うのです」

 

さっそく現地で農園主と会い、作業の様子を見せてもらったところ、誰もが鼻歌を歌いながら笑顔で楽しそうに作業をしていました。その様子に納得した萩生田さんは、その農園と契約を交わします。

 

「労働者が搾取されないフェアトレードが大切です。もしもこのバラが過酷な労働下や児童労働、嫌な経営者の下で作られているバラだったら、私が売って広めても何の意味もありません」

 

こうして、2012年10月にオンラインショップ「アフリカの花屋」を立ち上げました。

 

「ホームページを通して事前にご予約いただくことで、必要な本数だけをケニアから届けてもらう。在庫を抱えずバラを廃棄することがない仕組みをつくったのです。

この仕組みが話題になって、新聞やラジオで少しずつ取り上げていただくようになりましたが、なかなか軌道に乗らず売上が7万円という月もありましたね。もちろん、自分のお給料なんてありません。バラのPRにひらすら駆け回る日々でした」

 

立ち上げから1年が経った頃、萩生田さんの事業コンセプトに共感したフラワーデザイナーの田中秀行さんが、ビジネスパートナーとして参加することになり、アレンジメント教室を開催するなど事業が拡大します。2015年にはマザーハウスの副社長・山崎大祐さんのアドバイスにより、「アフリカローズ」の店舗をオープンさせました。

 

「店舗を持つことは、リスクを極力減らす今までのビジネスモデルと真逆。でも利用者が増えるにつれて、『買ってもすぐに渡すことができないので大切な人へのギフトに選びづらい』『実際に花を見てから選びたい』という意見をいただくようになってきていたので、ネット販売だけでは限界を感じていたんです。

 

私の一番の願いは、バラを通してアフリカの雇用を増やすこと。なのに、今の自分は逃げているだけなんじゃないかと思い、お店をオープンさせました。スタート時はお店を出すことを考えていなかったので、不安でしたね」

 

結果的には、お店を出したことで売上は伸びていき、萩生田さんが契約しているケニアの農園の従業員数は、2013年は150人ほどでしたが、2017年には1,800人にまで増えたそうです。

 

ゼロからの起業

 

バラは幸せを連鎖させていく

農園で働くケニアの人々からは、学ぶことが多いのだとか。

 

「ケニアの人たちは経済的には日本人より貧しいのに、愚痴を言わないし、生き方が前向き。いいことがあったら『神さまのおかげ』『みんなのおかげ』と言葉にするぐらい、いろんなものに対して感謝の気持ちが強いんです。

日本人は経済的には豊かですが、忙しくて家族や大切な人に感謝の気持ちや愛情を示していない人が多い気がします。ケニアの人のほうが精神的には豊かなんじゃないかな。

 

それにケニアは家族や親戚をとても大切にする文化がある。家族の健康を気遣ったり、遠い親戚にも経済的な援助をしたり、日本人が希薄になってしまっているものがケニアにはまだまだ残っています」

 

そう語った後で、萩生田さんはこの仕事のやりがいをこう話します。

 

「日本では男性が女性に花をプレゼントする文化がなく、シャイな方も多いですよね。でも、このお仕事をしていると、バラを通してたくさんの人に『体験』を広めていくことができるんです。

お客さんは花を選ぶという楽しい体験、もらった人はうれしい体験をする。また、花束を持っている男性を見て『大切な人に渡すのかな?』と想像したり、その姿を見て『僕も買ってみようかな』と花屋に足を運ぶ人がいたりして、幸せが広がっていきます。それがとてもすてきだなって。

日本に、もっともっとアフリカのバラを広めて、特別な日だけじゃなく、何でもない日に花束を渡す文化をつくりたい。感謝や愛情をカジュアルに伝えることができれば、心がもっと豊かになっていくはずです」

 

日本人が忘れかけている大切なものを、花は思い出させてくれるのかもしれません。

 

アフリカローズに来店されたお客さん。購入した花束を大切な彼女へプレゼント。二人からは笑顔が溢れる
アフリカローズに来店されたお客さん。購入した花束を大切な彼女へプレゼント。二人からは笑顔が溢れる

 

心配ない、すべてはうまくいくから大丈夫

アメリカ留学から大手製薬会社、アフリカでのNGO活動から花屋と、ユニークなキャリアを歩んできた萩生田さん。

 

心配ない、すべてはうまくいくから大丈夫

 

最後にこんな質問をしてみました。「エーザイを辞めてアフリカへ旅立つか迷っていた29歳の自分に、今、声をかけるとしたら?」すると、萩生田さんは……

 

「『HAKUNA MATATA』の言葉を贈りたいかな。ケニアの言葉で、心配ない、すべてはうまくいくから大丈夫、という意味なんです。何も心配せずに自分の直感を信じて進んでいってほしい。と声をかけてあげたいですね」

 

(取材・文:ケンジパーマ/編集:東京通信社)

 

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識者プロフィール
萩生田 愛(はぎうだ・めぐみ)

萩生田 愛(はぎうだ・めぐみ)
AFRIKA ROSE創業者&代表取締役。1981年、東京生まれ。
米国大学卒業後、大手製薬会社勤務を経て、2011年アフリカ・ケニアに渡る。2012年オンラインショップ「アフリカの花屋」を立ち上げ、2015年にアフリカ薔薇専門店「AFRIKA ROSE」を東京広尾にオープン。第28回人間力大賞受賞。草月流いけばな師範、Jane Packer Flower Arrangement School修了。
アフリカローズHP:http://afrikarose.com/index.aspx