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斉藤 仁

斉藤仁 剛毅木訥(ごうきぼくとつ)

斉藤仁
1961年生まれ。小学生のときに柔道と出会う。84年ロス五輪・88年ソウル五輪の2大会連続で金メダルを獲得。世界選手権・全日本選手権の金メダルを合わせた三冠保持者。88年に引退し、89年より国士舘大学柔道部の監督に就任。04年アテネ五輪・08年北京五輪では日本選手団男子柔道監督を務めた。現在は、国士舘大学、全日本柔道連盟で後進の指導に当たっている。著書に『常勝力』(幻冬舎)など。

逆境とただ向き合っていただけ。気づけば金メダルが獲れていた。

斉藤仁著『常勝力』幻冬舎刊
京谷
斉藤先生の書かれた『常勝力』、すごく面白かったです。共感する部分もたくさんあったんですが、特にここ。斉藤先生が全日本のコーチとして戦った世界選手権の結果を受けて、「どん底まで落ちれば、それ以上落ちることはない。あとは上がるだけだ」と書いてらっしゃいますよね? 実は、ぼくも自分の本(『車椅子のJリーガー』)に同じ気持ちを書いていたんです。車椅子になる宣告を受けた後、「今がどん底なら、あとは何があっても今よりはましなはずだ」って。
今日はそうした逆境からのチャレンジのお話をうかがっていきたいんですが、まずはその前に斉藤先生と柔道の出会いから教えていただけますか。
斉藤
小学生のころ、テレビで『柔道一直線』というドラマをやっていてね、体の小さな主人公がでかいやつをバンバン投げ飛ばすんですよ。トレーニングでも、神社の石段から転がって地獄車を練習したりしてね(笑)。で、うわぁ、柔道ってすごい、と思った。ぼくはそのころ、みんなからデブだとかってばかにされてたんだけど、柔道をやればほかの人ができないようなこともできるようになるんじゃないかって思ったんです。
京谷
分かるなぁ。ぼくもアニメの『キャプテン翼』にすごく影響を受けましたから(笑)。でも、柔道をずっと続けていく中では困難もあったんじゃないんですか?どうしてあきらめないで続けることができたんでしょう。
斉藤さん
斉藤
中学生になって親父に柔道着を買ってくれって言ったら、「ダメだ」って言われてね。それまで、野球をやってもスキーをやっても全部中途半端で辞めてしまっていたから、今度も同じ結果になると思ったんでしょうね。それでもどうしても柔道がやりたいと言っていたら、「じゃあお前、死ぬまで柔道できるんか?」って。「死ぬまでやります」としか言えなかった(笑)。
で、無事、中学で柔道ができることになったんだけど、2年生になるときに顧問の先生がいなくなって。それまで基礎練習ばかりで、きついな、イヤだな、と思っていたのが、急にどんなにやりたくてもできなくなった。そこで柔道の大切さに気づいたんですね。そこからは、もう必死。なんとか見つけた代わりの先生も柔道のことは何も分からなかったんで、『柔道入門』という本がコーチの代わりでね。それこそ暗記するくらい読み込んで。本に書いてあることを、ああでもない、こうでもないってやってみて。
京谷
逆境によって、柔道に対する想いが確認できたんですね。そのころにはもう、国士舘へ進学しようと思っていたんですか?
斉藤
いや、地元の青森で柔道が一番強い高校に進学したいと思っていたんだけどね。ぼくが県大会でたまたま優勝したことを知って、国士舘の監督さん(川野一成先生)が東京からスカウトに来てくれたんです。柔道に本当に真剣になれたのは、やっぱり国士舘に入れたからでしょうね。国士舘に行ったおかげで、インターハイで優勝するという目標設定ができた。日本一を目指すために、日本一厳しい稽古ができたんです。
京谷
で、本当に日本一になられて。
斉藤さん
斉藤
インターハイの団体戦で、2年、3年と2連覇することができました。国士舘にとっては、団体戦での初優勝。個人戦では、3年生のときに2位になって、それで初めて全日本の強化選手に呼ばれたんです。そのころは「重量級に斉藤あり」なんて言われていたからぼくも少し天狗になっていてね、全日本でもなんとかなるだろう、なんて思ってた。ところが、全日本の先輩と組んだら、その直後には天井を見てて(笑)。そこで、このままじゃダメだと気づけたから、また次のステップにいくことができたんだと思うんです。
京谷
そこでも逆境が成長させてくれたんですね。そして、斉藤先生にとっての大きな逆境といえば、山下(泰裕)選手のことが思い浮かびますが――
斉藤
思えば、山下先輩がいたから今のぼくがあるんですね。初めて対戦したのは学生選手権の決勝で、大学1年生のとき。山下先輩は大学4年生で、当時の世界チャンピオン。天と地の差だよね。結局押さえ込まれて一本負けしたんだけど、試合の中で一度だけ山下先輩の大内刈りを返すことができて。そしたら、次の日の新聞で、山下先輩の連覇が書かれている紙面の端のほうに、「山下2世現る!」って(笑)。そうか、おれは山下2世か、じゃあ山下先輩以外には負けられないなと思っちゃった。それでガンガン稽古に励んでたらそのうち地力もついてきて。そうすると今度は、おれは山下2世じゃない、おれは斉藤だという気持ちが出てきましてね。それから山下先輩を倒すことが目標になって。ただ、結局7回やったけど7回とも勝てなかった。世界選手権やオリンピックで優勝しても、国内ではずっと2番のまま。山下先輩は、本当に大きな壁、逆境だったんです。でも、偉大な先輩に追いつけ追い越せっていう気持ちでやってきたことが、ぼくにとってとても大きな財産になった。世界で戦うときも山下先輩といつも一緒でね、山下先輩は必ず優勝するから、自分も優勝しなきゃ差が開いちゃうという気持ちがあって。必死で山下先輩と向き合っているうちに、気づけばロサンゼルス(オリンピック)で金が獲れていたんです。

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