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宇津木 妙子

宇津木妙子|自分という人間を知り、向き合いながら

宇津木妙子
1953年生まれ。中学1年でソフトボールを始める。高校卒業後、全日本代表に選ばれ、内野手として世界選手権にも出場。85年に現役を引退。その後、日立高崎(現在のルネサス高崎)の監督を務め、日本リーグ優勝などの成績を収める。2000年には全日本代表監督として、シドニー五輪で銀メダル、04年のアテネ五輪では銅メダルを獲得。現在は、ソフトボールの普及を目指して、子ども向けのソフトボール教室や企業での講演など、幅広く活躍している。著書に『ソフトボール眼(アイ)』(講談社)など。

監督を辞めた時、日本が負けてもいいと思う気持ちがあった。

宇津木さん
京谷
お久しぶりですね。前にイベントでお会いして以来ですね。今日はよろしくお願いします。早速ですが、監督業って、自分のひと言が勝敗を分けるっていうプレッシャーのかかる仕事ですよね。日本代表の監督を引き受ける時、不安はありませんでしたか?
宇津木
不安はなかったね。腹をくくったから。守りを徹底的にやれば、日本は絶対に勝てるっていう自信があったからね。日本人の一番いい戦い方は守りだと思って、それを根気よくやって、高崎のチームを3部から1部に上げた経験があったから。まさか全日本の監督を任されるとは思ってなかったけど、引き受ける時は、全権を任せてもらった。あたしの責任で絶対にメダルを獲るって覚悟を決めたから。ソフトボールをメジャーにしたいっていう、現役のころからの夢もあったしね。オリンピックでメダルを取ればメジャーになると思った。だから監督の話をもらった時はチャンスがきた!と思ったね。
京谷
監督のそういう思いが選手たちに伝わって、シドニーで銀メダルを獲った。あの時の日本の騒ぎ方はすごかったですよね。監督の思いが少しずつ伝わって、ソフトボールが注目されるようになって。それで次のアテネでは金メダルっていう目標を掲げた。でも結果は銅メダル。その時の気持ちを聞かせてもらえますか?
宇津木
シドニーは金に近い銀だった。あたしの采配で金が獲れたと今でも思ってる。選手に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。だからシドニーが終わった時、反省と同時に、この子たちのために、アテネで絶対金を獲るって誓った。そういう気持ちで再スタートしようとしたんだけど、環境がいろいろ変わって。ルール改正とか、ボールサイズの変更、チーム運営の方法が変わったり、シドニー前に比べて練習試合の数が極端に減ったり……。そういう中で、あたし自身の決断が鈍ったんだろうね。大丈夫だろう、これだけのことやってるしって。「だろう」とか「つもり」がね、結局、結果になったんだと思う。最終的にはリーダーのあたしの覚悟が足りなかった。すごく反省してる。
京谷さん
京谷
アテネが終わって監督を辞めることになって。それって今まで苦労してつくり上げてきたチームを他人に渡すような感じですよね。僕なら絶対譲りたくないって思っちゃいますけど。
宇津木
アテネから北京までの4年間はほんとにつらかったね。でも、実はまだ監督に戻るチャンスがあるかもしれないってぎりぎりまで思ってた。辞めた時点で北京のテレビ中継の解説を頼まれたんだけど、テレビ局の人に「まだ北京の監督をやる可能性もあると思うから、その時はごめんなさいね」って言ってたぐらい。もうチャンスがないと確信したのは、北京のメンバーが発表された時。それまでは、合宿見に行ったりして、この選手こういうとこがいいな、あたしだったらこう使うなって考えてたから。今だから言えるけどね。
 
初戦の解説してた時は正直、負けてもいいって思った。そう思ってたら相手に先制点取られて。その時だったね、負けてもいいわけないって思ったの。あたしがやってきた4年間は何だったんだ、何のために上野(由岐子投手)をしごいてきたんだって。それで切り替えたの。そして一生懸命祈った。頑張ってよ、勝ってよ勝ってよって。恥ずかしいけど、解説しながら、手を握り締めてた。それで初戦勝った瞬間、どっかで肩の力が抜けて。それからだもん、うるさい解説が始まったの(笑)。金メダル獲った瞬間、嗚咽して泣いたのは、よくやってくれたっていううれし涙と、何であたしは解説席にいるんだろうっていう悔し涙だったんだと思うよ。そんなに人よくないもん、あたし。
京谷
でもその心情分かります。僕もサッカーやってたころは、自分が出てない試合は負けちゃえって思うことありましたね。負ければ自分にチャンスが回ってきますからね。今も少なからずそういうことってあります。ただ、年齢を重ねると、ベテランとしてやるべきこと、自分が試合に出なくてもやらなきゃいけないことが分かってきて。それで最終的に一線を退く瞬間って、ものすごく寂しくなるんじゃないだろうかって今のお話を聞いてて感じました。
宇津木
それはあるね。監督を辞めた瞬間、選手はあたしの方を見なくなる。居場所がなくなった寂しさはあったね。どっかでしょうがないって割り切りながらも、どっかですっごい寂しい自分がいる。企業の中でもあるじゃない、そういうの。あたしは中小企業の講演で、いつまでも自分の時代じゃないですよ、いいバトンタッチをすることによって、自分が評価されることになるんですよって、よく言ってる。やっぱりどっかで割り切らないと。それで自分は次の新しい目標に向かうことが大事だと思う。人って、他人に認めてもらって初めて評価される。自分が認めるんじゃないんだよね。それはいろんな指導者に考えてほしい。指導者っていつまでも指導者やりたいんだよね。でも若手にバトンタッチして見守ってあげることも仕事なのかなと思うようになったね。

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