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渡辺 謙

渡辺謙(俳優)  一人がなくて、一万人の観客はない

渡辺謙
1959年生まれ。82年『未知なる反乱』で俳優デビュー。急性骨髄性白血病、C型肝炎を克服して活躍を続け、2003年公開の『ラストサムライ』でハリウッドデビュー。その後、『SAYURI』や『硫黄島からの手紙』などにも出演。国内では『明日の記憶』『沈まぬ太陽』で日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞を獲得する。10年7月23日には、レオナルド・ディカプリオと共演の『インセプション』が公開される。

日本を代表する俳優・渡辺謙さん。大病を二度克服して、日本国内のみならず、ハリウッドスターとしても活躍を続けている。私たちが想像もつかない遠い世界にいるようだが、物事を始める前の考え方や仕事に対する姿勢など、DODAチャレンジ読者と共通する部分が実はたくさんある。

自分の中の転機はハリウッドに行く3年ぐらい前だった。

渡辺さん
京谷
はじめまして。『沈まぬ太陽』とか『明日の記憶』とか、映画で観た方が目の前にいらっしゃると、緊張しますね。今日はよろしくお願いします。まず初めに、7月23日公開の『インセプション』で、渡辺さん自身が新たに取り組まれたこととか、チャレンジされたことがあればお聞かせいただきたいんですけど。
渡辺
日本以外の国で仕事をするようになって8年で、『インセプション』は7作目になるんですけど、現代人の役って初めてなんですよ。同じ監督(クリストファー・ノーラン監督)に二回呼ばれるっていうのも初めて。それから、日本人である必然性がない役も初めてなんです。呼ばれたのがぼくだったので、バックグラウンドも日本人になってるんですけどね。そういう意味で、今まではある種の逃げ場があったんですけど、今回はいい意味で逃げ場がない。ほんとに試されました。望むところだっていう感じなんですけど。そういうハードルが上がったところに挑んでいくことが、一番大きなチャレンジでしたね。
京谷
何か新しいチャレンジをする時って、失敗を恐れてネガティブになってしまうことってありますよね。渡辺さんは、どのように自分自身を奮い立たせてらっしゃいますか?
渡辺
自分がやろうと決めたことは、自分で責任を取るしかない。ぼくも腰を上げるまでは、あれやこれやグズグズ悩むんです。やっぱりやめようかなとか、これは違うのかなとか。でも一度やると決めたら、もう真っ直ぐです。マイナス要因を消しにかかりますね、そこからは。二つの道をどっちに行くかって迷うことはあっても、後ろを向くことはないですね。
京谷
そういう腹のくくり方がやっぱりすごいですよね。元々、ハリウッドに行ったきっかけは何だったんですか?
渡辺
40歳を迎える前、向こうのオファーがある3年前ぐらいに、何か変えたいと思ったんです。30代はずっと病気のことがあって、思うようにフル稼働できない10年間だったんです。もちろんすてきなお仕事も、評価もいただいてました。でも枠の中に収まってしまう自分がいて、ちょっとこれまずいなって思ってたんですね。それで、一度全部清算しようと思って、ずっとやっていたテレビの人気シリーズ3本、全部やめたんです。今までのスタイルを全部変えて、更地から何ができるのか。やる役も違うし、枠組みも違う。一緒に仕事する人たちも変わっていったんですね。そうした中で、ああ、こういうことも面白がれるんだって、いろんなことに気づいて、いろんな出会いをして。そこから3年ぐらい経ったときにハリウッドの話がきたんです。ぼくの中では必然だったんですよね。だから何の戸惑いもなかった。ハリウッドが大きな転機だったわけではなくて、自分の中の畑みたいなのはずっと耕していて、そこに種をポンッて植えたようなことだったんですよ。だから転機はハリウッドに行く3年ぐらい前だったんです。病気だったころは、とにかくあがいてもしょうがないと思いました。自分が求められてること、自分がやれること、そのことにだけ集中して、そのことにだけに応えてみようって。そういう中で少しずつ窓が開いていった。やっぱりまずは、自分の心を開いて飛び込んでいくことが、前に進む力になるんじゃないかなっていう気がしますね。
京谷さん
京谷
ぼくも7月に車椅子バスケットの世界選手権があって、世界を相手に戦ってるんですけど、渡辺さんもハリウッドという世界を相手にお仕事をされている。渡辺さんから見た「世界」「ハリウッド」っていうのは?新しい世界に飛び込んで、そこで居場所をつくるということは、『チャレンジャー』を読んでいる転職者と重なる部分があるのかなと思いまして。
渡辺
やっぱり最初は、執念深さとか意欲とかに気おされる部分は多少ありましたね。でも基本的にやってることは変わらないんですよね。最初の作品がとっても日本っぽい『ラストサムライ』だったっていうこともあって、不安はあまりありませんでした。逆に言うと、今まで日本でやってきたことをどこまでちゃんと彼らに伝えたり、カルチャーギャップみたいなことを守り通すことができるかっていうことが主眼にあったので。日本で時代物の作品をやってきたっていう知識も能力も試される。だから相手のことよりも自分が今までやってきたことをちゃんとやれるかっていうことの方が大事でしたね。初め監督からは「もっと激しい表現をしてくれ」って言われました。でもやっぱり幕末から明治を生きた日本の男の役ですからね、自分の表現を守りながら、踏ん張りながらやってたわけですよ。しばらくしてラッシュを見た監督が「君が表現しようとしてることは分かった。そのままでいい」って言ってくれて。その時に、自分がやろうとしてることが決して通じないわけじゃないっていうことが実感として分かって、もう何も恐れることはないと思いました。新しいところに飛び込んでいく時って、柔軟に対処していかなきゃいけないことと、かたくなに自分を守らなきゃいけないこと、そのバランスだなっていうのをすごく感じました。非常に鈍感な部分と、ものすごく繊細な部分と、両方を持ってないと自分も保てないし、融合もしていけない。そういう気がしましたね。

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