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国枝 慎吾

国枝慎吾(車椅子テニスプレーヤー) 今、一番のライバルは自分自身

国枝慎吾
1984年生まれ。9歳の時に脊髄腫瘍により車椅子生活になる。11歳で車椅子テニスを開始。2004年、アテネパラリンピックのダブルスで金メダルを獲得。06年に世界ランキング1位に、07年には年間世界チャンピオンとなる。08年の北京パラリンピックでシングルス金メダル、ダブルス銅メダルを獲得。09年、プロに転向。パラリンピック、グランドスラムをはじめ、世界を舞台に活躍する。

プロ車椅子テニスプレーヤーとして世界のトップで活躍する国枝慎吾さん。国枝さんが語る「車椅子テニスに対するプロとしての考え方」や、「緊張する場面でも最高の結果を出すための方法」には、社会人として活躍するためのヒントが散りばめられている。

勝たなくては生活できない。プロになって変わった勝利への執念。

国枝さん
京谷
北京(パラリンピック)(※本文末尾の注1参照)以来かな。久しぶりだね。今日はよろしく。早速だけど、障がい者スポーツ界で、プロ宣言する人っていうのは、なかなか少ない。でも慎吾君はそれをやってくれた。そのことで、障がい者スポーツに対する世の中の見方が変わったと思うんだけど、慎吾君自身は何か感じる?
国枝
北京の時は、だいぶ報道されたので、車椅子テニスがスポーツとして認められるのか、それとも、今まで通り障がい者スポーツとして扱われるのか、その辺の境かなっていう気がしたんですよね。だから、自分のモチベーションを上げるためにも、このチャンスで踏み込んでおかないと、と思いました。リスクもありましたけど、思い切ってプロ転向するには一番のタイミングかなと。実際、プロになってみると、グランドスラムとか大きい大会の結果を新聞が写真付きで載せてくれますから、報道の仕方が変わってきたなという気はします。大きく報道してもらえると、自信にもなりますよね。
京谷
プロになって、コンディショニング方法とかは変わった?
国枝
実は北京の前も、気持ちはプロのつもりでやっていました。練習は、もうこれ以上できないっていうぐらい追い込んでやってましたから。だから、何か環境を大きく変えたということはないんですが、一つだけぼくの中で変わったことと言えば、勝利への執念ですね。勝たないと生活できなくなるかもしれない、という気持ち。プロになる前は、大学に勤めていたので、毎月きちんと銀行にお金が振り込まれるという生活でした。でも今はその保証がない。だから、試合で劣勢になった時の「このままじゃ終われない」という気持ちがものすごく強くなりましたね。
京谷
ほんとにすごいことをやってくれたと思うよ。障がい者スポーツ界に一石を投じてくれた。アスリートであっても、障がい者雇用っていう面で見ると、まだまだ理解されてないからね。団体競技だと特にそうなんだよね。チーム全員を雇ってくれる企業はなかなかないし。それでスポーツをあきらめてしまう人も多い。テニスもそういうことってある?
国枝
あります。ぼくたちの場合、主戦場が海外なので、一つの大会に1週間ぐらいはかかるんですよね。そんなに何度も長期間休める会社なんてないですし、かと言って自費で行くわけにもいかない。テニスをやることで貧しくなっちゃう人がいるんですよね。だから、ぼくがプロとしてやることで、一つの道を残せればと思っています。ナンバーワンになれば、プロとしてテニスを続けられるっていうのは、次の世代の人たちのモチベーションとか夢になると思うんです。やればやるほど貧しくなってしまうなんていう状況では、やりたいと思う人がいなくなってしまいますからね。
京谷さん
京谷
夢のある職業じゃなきゃいけないよね。ただ、こうやって注目される分、勝ち続けなきゃいけないっていうプレッシャーもあるだろうし、モチベーションを維持するのも大変じゃない?車椅子バスケットボールは、2年ごとにパラリンピックと世界選手権があるけど、2年後までモチベーションを保つのって結構大変なんだよね。
国枝
今は年4回のグランドスラムに照準を合わせてやっています。だから、グランドスラムになると、自ずとモチベーションは上がってきますね。そのために練習していると言ってもいいぐらいなので、何としても勝ちたいと思って。テニスという競技性もあると思います。健常者のテニスは、オリンピックよりもグランドスラムの方が価値は高い。車椅子テニスも、似たような状況になってきてると思いますね。ぼくも北京までは、何が何でもパラリンピックで勝ちたいと思ってましたけど、プロに転向してからは、1年1年結果を出していかなきゃいけない。スポンサーがなくなってしまう可能性がありますからね。そうなると、グランドスラムがとても大切な大会になるんです。グランドスラムでの勝利は、生活していくために必要だと思ってやっています。
 

※注1
2008年の北京パラリンピックには、国枝慎吾さんと京谷和幸がそろって出場。京谷は日本選手団の主将を務めた。

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