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要 潤

要潤(俳優)周りのみんなの笑顔。それこそが生きる活力

要潤
1981年生まれ。2001年『仮面ライダーアギト』でデビューし、イケメンヒーローブームを牽引。それから数々のドラマや映画に次々と出演、シリアスな役からコミカルな役、悪役まで幅広い役柄を演じわける。そのほかCMやバラエティなど多方面で活躍。2009年には映画『パラレル』に主演し、インタビュアーの京谷和幸役を熱演。テレビドラマでは「流星の絆」(2008年)、「NHK大河ドラマ/龍馬伝」(2011年)、映画では「UDON」(2006年)、「GOEMON」(2009年)など、数多くの作品に出演している。
今年(2011年)でデビュー10周年、30歳という節目の年を迎えた。4月には出身地の香川・三豊市のふるさと大使に任命される。また医師役で出演した話題の映画『神様のカルテ』が8月に公開予定。

今年でデビュー10周年、そして30歳と節目の年を迎えた要潤さん。デビューからさまざまな役に挑戦し、現在も走り続けている。挫折を味わったことで一人では生きていけないことを知った、と語ってくれた要さんからのメッセージには、一緒に仕事をする仲間と“価値観”や“喜び”を共有するためのヒントが隠されている。

陸上でやっていくはずの未来が一転…一瞬のミスで見失った自分

要さん
京谷
僕の実話をもとにした映画『パラレル』で主役を演じた要さん。要さんが主演と聞いて、あんなかっこいい人が僕の役?と思ったんですが、完成した作品を見て「要さんで良かった」と心から思いました。僕の役を演じていかがでした?
楽しかったです。想像できないところへのチャレンジが僕にとってのモチベーションになるので。これまでにない役柄だし、本当の意味で主人公の気持ちにはなれないってすごく悩みました。挫折から気持ちを奮い立たせて立ち直っていく姿は自分の経験と被せて感情表現したんですが。少しでも気持ちを理解したい、という思いで演じていたと思います。スタッフの方が取材に取材を重ねて脚本を作られたんですよね。だからこそ、僕がそれをすべて台無しにしてしまったらという不安もありました。
京谷
セリフや表情などの一つ一つからそんな思いが伝わってきました。バスケもシュート練習を見て「おっ、これはいける」と思いました。
いけるって思いました?僕もけっこういけるなって思いました(笑)。
京谷
僕自身の挫折の経験を演じてくれたわけだけど、要さんにとって人生最大の挫折って何ですか?
やっぱり陸上での辛い経験が一番大きいです。小学校から高校まで9年間陸上をやっていたんですが、高校3年のときの一つの失敗から陸上でやっていくはずの未来が音を立てて崩れてしまったんです。
要さん
京谷
何があったんですか?
種目は400mハードルで照準をインターハイの決勝に合わせていました。顧問の先生にも「県大会、四国大会は通過点ですから」なんて言っていて。しかし、四国大会の決勝で、終盤のホームストレートに入る8台目のハードルで転んでしまったんです。300m地点ではいつも1番だったのに、内側から完全にノーマークの選手がきたので、その焦りと疲れから頭の中が混乱してしまったんですよね。ハードルの感覚が全然掴めなくなって、気づけばすぐ目の前に8台目のハードルが迫っていた。そこからレースの記憶がないんです。意識が戻ったときは仰向けに倒れていました。
京谷
僕の事故の瞬間とまさに同じですね。
ゴールで他の選手がガッツポーズで喜んでいる姿をスローモーションのように見ていました。あたりもシーンと静まり返って、まるで無声映画の1シーンを見ているような感覚。何が起こったかわからないんです。「あれ?…俺これでもう終わり?」って。やっと起き上がって電光掲示板を見ると、他の選手のタイムが出た最後に「DNG(Did Not Goal)」って僕の名前が出たんです。そのときに初めてゴールできなかったことを認識しました。レース後はずっと泣いていて、それからリレーにアンカーとして出たんですが、力がまったく入らずにフワフワと走って抜かれたりしました。
京谷
これから陸上で開けていくはずの未来が、一つのレースの一瞬のミスで崩れてしまった。しかもそれが高校生ですからね。
それからは誰に何を言われても全然耳に入ってこなくて、国体もそのまま立ち直れずにダメで。今なら「じゃあ次」って気持ちを切り替えられるけど、当時は自分の存在がなくなってしまったような気がしたんです。陸上しかやってこなかったので。
京谷
僕も事故の後「一生車椅子」という宣告をされても受け入れられず、将来がまったく見えなくなってしまった。きっと似たような心境でしょうね。
ようやく気持ちが落ち着いてきた頃「一般試験で大学を受けなさい」って先生から言われ、あれだけ練習してこれだけの記録があるのにいまさら一般試験かよ…って。それをきっかけに、自分の詰めの甘さなどすべて反省したうえで、陸上を辞めて別の道で頑張っていくことを決めたんです。
京谷
そこから俳優を目指すわけですね。
自分の身体を使って前面に出ていく仕事がしたくて、陸上を完全に失ったら俳優という夢が浮き出てきたというか。香川から当てもなく東京へ飛び出したので親は猛反対でしたね。でも「やれる、俺はできる」って根拠のない自信があったんです。
京谷
その感覚わかる。陸上でトップを味わって脚光を浴びてきたからこそ、絶対やれるって自信を持つことができたのでは?人から注目される喜びも知っているし。
とにかく自信だけはあったんですよね、何の根拠もなく。陸上ではインターハイで1番の選手が四国にいたから、いつも表彰台の「2」へ上がっていたんです。だからこそ、次は「1」に上がりたいと。俳優って順番はつけられないけどオンリー1になれる。だからこそ俳優を目指したのかもしれないです。
京谷
陸上で培った魂や根性は今の仕事に活きている?
「ヨーイスタート」って陸上でも撮影でも使うけど、「ヨーイスタート」のスタートダッシュ感は人一倍強いかもしれません。その合図ですべてを捨てていく、極端に言えば死んでもいいくらいの気持ちでやってます。

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