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乙武 洋匡

乙武洋匡 (作家・東京都教育委員)乙武流、自分で限界を決めない生き方

乙武洋匡
1976年、東京都生まれ。大学在学中に出版した『五体不満足』(講談社)がベストセラーに。
卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、東京都新宿区教育委員会非常勤職員「子どもの生き方パートナー」、杉並区立杉並第四小学校教諭を歴任、教育への造詣を深める。教員時代の経験をもとに書いた初の小説『だいじょうぶ3組』が映画化され、自身も出演(2013年3月、東宝系で公開)。続編小説『ありがとう3組』も刊行された。
おもな著書に『だから、僕は学校へ行く!』(講談社文庫)、『オトことば。』(文藝春秋)、『オトタケ先生の3つの授業』(講談社)、『だからこそできること』(武田双雲氏との共著、主婦の友社)がある。2013年2月より東京都教育委員に就任。

大学在学中に「五体不満足」を出版し、顔と名前が知られる障がい者として、一躍有名人になった乙武さん。その後もさまざまなことにチャレンジし、発信し続ける色褪せないパワー。新しい扉を開くとき、誰もが抱く不安への対処法など、乙武流な考え方に、充実した人生を過ごすためのヒントが隠されている。

今までの経験が活かせる今後の7年間の動き

乙武さん
京谷
乙武さんの現在の主な活動はどのようなことをされているんでしょうか?
乙武
いっぱいあり過ぎるんですが、講演会がすごく多いですね。週末はほぼ東京にいないような状況で全国飛び回って講演会をさせていただいたり、他には引き続き執筆活動もしています。
あとは2011年から友人と都内の練馬区と港区に保育園をオープンしたのでその経営と、今年の2月には東京都の教育委員に就任したので、その会議に出席したりといったところですね。
京谷
講演会から会議まで、他にも『NEWS ZERO』でキャスターなどもされて本当に多方面でご活躍中ですが、そんな乙武さんの子供の頃の夢は何でしたか?
乙武
これが笑っちゃうんですけど、一番最初になりたいと思った職業はプロ野球選手なんですよ。
スポーツするとき僕は、車椅子から地べたに降りてしまうのですが、そうするとストライクゾーンがもの凄く小さいんですね。プロのピッチャーといえども、地面すれすれのボールをワンバンさせずにキャッチャーミットに届かせることって相当難しいんじゃないかと。 “代打乙武”で出ていってフォアボール、一塁に出たら代走を出していただく。そうすれば史上初の打率0割出塁率10割というすごい選手になれるんじゃないかと。手足がない状態でプロ野球選手になることをわりと真剣に考えていましたね(笑)
その後は、アメリカの大統領になりたいと思ったんです。今から考えると、当時アメリカの大統領はレーガンさんだったんですけど、元俳優だけあってニュースとかで見るレーガンさんの演説している姿がかっこいいなってそう映ったんでしょうね。でも周りから「アメリカ人にならないとアメリカの大統領にはなれないよ」って言われて、さすがに日本は好きだし日本人じゃなくなるのは嫌だなと思って、すぐに諦めましたけど (笑)
京谷さん
京谷
そこまで具体的に夢を想い描いていたって本当に凄いですね。乙武さんの中で、新しいチャレンジをしていくときに何か決めていることってありますか?
乙武
今も昔も変わりませんが、自分で限界を決めない。どうせこれはできないだろうとか、俺には無理に決まっているというラインを勝手に引かないということを大事にしています。
京谷
2020年に東京オリンピック、パラリンピック開催が決まりましたね。今後の7年間ですが、乙武さん自身はどういう関わり方をしたいとイメージしていますか?
乙武

そうですね。
何年も前からですが、障がい者スポーツの普及と強化がままならない状況が続いていて、今回オリンピック・パラリンピックの東京開催が決まったことで、ようやくその動きが活発化することになった。これは障がい者スポーツ並びに、障がい者を取り巻くさまざまな環境や制度をも劇的に変えていくことのできる7年間になると思っているんです。そこに対して、何らかの貢献をしていきたいなという想いがあります。

僕は、大学を卒業してから7年間スポーツライターをやっていたんです。これを聞いて京谷さんがどう感じられるか分からないのですが、当時はライターとしてあえて障がい者スポーツを扱わないようにしていたんです。そこには僕なりの意図があってのことだったんですけど。
僕がスポーツライターになった15年前は、パラリンピックがほとんど認知されていないような状況だったので、多くの皆さんの中で障がい者とスポーツというものの結びつきがなかった。だからこそ「五体不満足」を出した障がい者の乙武がスポーツの世界で働くようになったということに意外な驚きがあったし、あえて一般的なスポーツのライターになったことで、障がいのあるライターだから障がい者スポーツを扱うみたいな当たり前に思えるイメージをいい意味で裏切れると思ったんです。

京谷
わかります。僕も車椅子バスケットを引退して、そのまま車椅子バスケットのコーチになるという道は考えていませんでした。大好きだったサッカーのコーチになるという夢もありましたし、何より障がい者スポーツという狭い世界の中だけで活動していては、それだけ発信できる世界も限られる。サッカーをやっていた自分だからできる事、自分だからできる発信の方法もあるという考えを持っていたので、これは乙武さんと共通した考え方ですね。
乙武

障がい者スポーツの普及と強化を目標にするならば、僕のような障がいのあるライターが、一般的なスポーツを取材し、逆に障がいのない著名なスポーツライターが障がい者スポーツを扱ってくださることが理想だと思っていました。
僕のような障がいのあるライターが当たり前のように障がい者スポーツを扱うことによって、広がりを狭めその意味を半減させてしまうなっていう思いもあって。

でも今回オリンピック・パラリンピックが東京で開催されることが決まって、物理的なことや制度的なことも含めて、さまざまな事をスピードに乗って変えていけるチャンスがやってきたので、今度は積極的に障がい者スポーツに関わり、選手なり関係者の皆さんから、何が足りていなくて、何が壁になっているのか、何を変えていくことが当たり前なのかということをきちんと伺って、それを整理してどんどん提案していきたいと思っているんです。
おかげさまで「五体不満足」を出版し、あまりにも多くの方に本を読んでいただけたことで、広く顔と名前が知られる障がい者として認知されるようになりましたし、本を出したことで、しんどい思いもしてきましたが、これまでの15年間で僕が培ってきたさまざまなものを出せるチャンスなのかなというように思っているんですよね。

京谷
今のお話非常によくわかります。僕も去年車椅子バスケットを引退して、同じ年の12月に日本サッカー協会公認のC級コーチライセンスを取得しまして、今現在、仕事の合間を縫って千葉県の大学のほうでコーチをさせてもらっているんですよ。自分が一般のスポーツの中に飛び込んだことで、選手達も障がい者に触れることができるし、その中でうまく流れていかないことにも気づき始めていて。2020年に自分の立場がどうなっているかは分かりませんが、今経験させてもらっていることは、ゆくゆく障がい者スポーツの指導をやったときに凄くプラスになるんじゃないかなと思っているんですよね。

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