HOME  >  チャレンジャー  >  佐野 有美

チャレンジャー

転職支援サービスに申し込む

佐野 有美

佐野 有美(詩人、随筆家、歌手)「今何をやりたいのか」自分の気持ちを一番大事にして

佐野 有美
愛知県出身。先天性四肢欠損症で生まれ、あるのは短い左足と3本の指のみ。高校在学中はチアリーディング部に所属し、卒業後は声優やタレントなどの夢にむかいボイストレーニングを受け、ラジオのパーソナリティーのアシスタントなどを経験。
2011年6月、自らの詩集『あきらめないで』から選ばれた詩が曲になり、(株)テイチ
クエンタテインメントからCDを発売。アルバム「あきらめないで」は2011年、第53回、輝く!日本レコード大賞の「企画賞」を受賞。現在、テレビ・新聞・雑誌などメディアの取材、多方面からの歌や講演依頼を受け積極的に活動中。

明るいご両親の元でさまざまな可能性を広げていった佐野さんが「一番辛いチャレンジだった」と語る就職活動。笑顔を失くしていた日々に「学びがあった」と語るその理由と、転職というさらなるチャレンジについて伺いました。

「やればできる」幼少期から「できることがある」と気付く思春期へ

佐野さん
京谷
佐野さんは一般の小学校に通われていたと伺ったのですが、当時のことを振り返って、お話を聞かせいただきたいなと思います。まずは入学して良かったことはなんですか?
佐野
はい。一般の小学校に入って一番良かったことは、常に目標を高く持ち続けられるようになったことですね。障がいを持っていたのは私だけだったので、「自分も皆と同じようにやりたい」というやる気が芽生えることが凄く多くなりました。そんな気持ちから水泳にチャレンジして、1人で100m泳げるようになったんですよ。
京谷
凄いですね。僕なんて水が怖くてしょうがなくて、いまだにまったく泳げないですからね。
佐野
そうなんですか?スポーツお得意なのに(笑)
周りの皆がスイスイ泳いでいく姿が羨ましくて「泳ぎたい、泳いでみたい」って言ったら、父が「やってみないと分からないぞ」と言ってくれました。「じゃあ、やる!!」って言って、練習を重ねたら100mまで泳ぐことができるようになったんですよ。皆さんもそうだと思うんですけど、何かチャレンジして達成できた時って自信がつくじゃないですか。
京谷
そうなんですよね。
佐野
その時に、自信がついたと同時に「あっ!私は体は違うけど、皆とこうやって過ごすことによって可能性が広がっていくんだな」っていうことを自然と感じていたんじゃないかと思います。
京谷
水泳もそうですけど、初めてのことにチャレンジする時って恐怖や不安があったりするじゃないですか。例えば学校の中で、自分は周りの人とちょっと違うぞという中に飛び込んでいく時も、凄く不安だったんじゃないですか?
佐野
自分でもビックリするんですけど、私が一番障がいを意識していなかったんですよ。
なので「やりたい」って思ったら「やる」っていう感じだったので、一歩踏み出すこと自体は案外スムーズにできたんですけど、後先を考えてしまうとやっぱり恐怖心も出てきてしまって、あきらめそうになったこともありました。
京谷
そんな時、やっぱりご家族の支えが?
佐野
そうですね。ちょっとでもできるようになると両親が凄く褒めてくれたんですよ。小さいころは、できないとすぐに投げ出す性格でしたが、そんな時も「もう1回やってみよう。有美はやればできるんだから。もう1回頑張ろう!」って励ましてくれて。できるようになると「やっぱり有美は、やればできるんだよ!」って凄く喜んでくれました。「やればできるんだから、有美らしく頑張りなさい」という両親からの励ましの言葉は、小学校に上がった時、それから今でも落ち込んだ時の心の支えになっています。
京谷さん
京谷
なるほど。佐野さんは高校へ進んで、チアリーディング部に所属されますよね。入部したきっかけは?
佐野
きっかけは、先輩方の笑顔が素敵だったからです。私は小学校高学年から中学校にかけて、障がいの壁にぶつかり、人間関係で悩んで自分の殻に閉じこもっていた時期が長くありました。そんな経緯があって高校に入り、初めてチアリーディング部の皆さんの姿を見た時に、キラッキラ輝く笑顔が目に飛び込んできて「これだ!」って思ったんです。
私もチアリーダーになったら、笑顔を取り戻せるんじゃないか、笑顔で輝きたいと思って入部しました。
京谷
本当、チアリーダーは笑顔ですからね。その後苦労されたことはありましたか?
佐野
いざ入部することはできたものの…ただ見てるだけしかできない日々でした。先輩や同じ年の皆も気遣って「有美、踊り見てくれる?何かアドバイスちょうだいよー」と、私にできることを考え声を掛けてくれたんですけど…でも私は自分が踊れないのにアドバイスなんて言える立場なのかと思ってしまって。正直昔はちょっとわがままな性格だったので、その反動から、これを言ったら嫌われちゃうんじゃないかとか、生意気だと思われたらどうしようとかも考えてましたね。声を掛けてくれる皆の優しさに応えることができずに、孤独感を感じてしまっていました。なかなか自分を変えることができなくて…辞めたいと思ったこともありましたね。
京谷
その状況を変えるきっかけや出来事があったんですか?
佐野
はい。そんな自分を変えてくれたのは部活の先生でした。ある時、先生に呼び出されたんです。「有美さぁ、このままでいいのかな?有美のことずっと見てきたけど、入部してから何も自分の意見言えてないよね?ちょっとキツイこと言うけどいい?有美はね、この先どんなに願っても手足は生えてこないんだよ、この体のままなの。でもね、有美には声があるでしょ?口があるじゃない?今はお父さんお母さんが一緒に居てくれるかもしれない。でも先に死んじゃうかもしれないの。そうなった時にどうするの?1人で生きていくことになるかもしれないんだよ?口があるんだから、自分のできることできないことをきちんと伝えなさい」ってガツンと言われました。
正直、親にもそんなこと言われたことがなかったので…
京谷
きついですよね?
佐野さん
佐野
もう固まっちゃいましたよ。「え?今何て?」って感じで。
でもそれまでの自分は、障がいを受け入れてはいたんですけど、どこかでまだ受け入れたくない気持ちもあったんですね。先生にそう言われた時に「私変わらなきゃ…なぜチアに入ったんだろう?笑顔を取り戻すためだったじゃん。それなのに最近笑ってないじゃん」って思いました。先生からの言葉で自分のできることに気づかされて、今まで何もできないと思って無力感を感じていたけど、「声があったんだ!私にもできることあったんだ!!」ってだんだんと喜びに変わっていったんです。
それからの私は、声を使って皆の踊りを見て「ここ良かったよ!」とか「ここもうちょっとこうしたほうがいいと思うよ」と、自分なりのアドバイスを届けられるようになって、それに対して皆も「有美ありがとねー!アドバイス嬉しいよー」って返してくれました。何よりも嬉しかったのは「これからはできないことは頼るんだよ。頼ることは悪いことじゃない。私たちにとってそれは嬉しいことなんだよ」って仲間からの言葉でしたね。心を開くことって大事なんだなって痛感させられました。
京谷
なるほど。それまでは少し閉鎖的になっていた部分もありました?
佐野
やはり、一歩踏み出す前に、自分の中で答えを探して勝手に思い込んで「これを言ってもこうなっちゃうよね…」みたいな感じで、ネガティブに考えていました。
京谷
多分小さいころとまた違ってきて、思春期というかね…
佐野
そうです。それです(笑)
京谷
いろんな要因が重なって、それまでは何でもチャレンジしていた自分が一時期何もできなくなってしまった、でも先生のキツイ一言や、仲間からの温かい支えが、殻を破ってまた前に進む力を与えてくれたんですね。

転職お役立ち情報