

偏見との
戦い

佐藤選手は少年期に海外で生活されていたとのことですが、育った環境について教えてください。
生まれは東京ですが、5歳のときに父親の仕事の関係でシンガポールに移り、12歳から14歳までは上海で暮らしていました。小さい頃は英語を話すことが多く、最初は現地のインターナショナルスクールに通い、その後は日本人学校に移ったのですが、どこに行っても常にあったのは偏見と差別の目。僕は父親がオーストラリア人、母親が日本人のハーフなのですが、海外で外国人の中にいると「日本人」として見られ、逆に日本人の中にいると「外国人」という扱いを受けてしまう。子供の頃はずっと自分のアイデンティティを確立できず、「自分はいったい何人(なにじん)なんだろう」と悩み続けていました。
その周囲からの意識や自我はそこからどう変化していったのでしょうか。
“自分”というものを掴むきっかけになったのは、やっぱりバスケットボールに出会ったことですね。10歳のときに友達に誘われて始めたんですが、一気に夢中になりました。いろんなモヤモヤを抱えている時期だったこともあり、そこから目を背けるように毎日夜遅くまで延々と練習をしていました。次第にやればやるほど上手くなっていき、周りの目も変わっていった。国籍や外見ではなく、一人のバスケットプレーヤーとして見られるようになっていったんです。そこからどの国にいてもバスケットを通じていろんな人と出会い、「自分の居場所はここなんだ」と自信を持てるようになりました。

怪我からの
復活

その後バスケットでプロになり、印象に残っていることは。
2016年、Bリーグ開幕初年度にB3の「東京サンレーヴス」でプレーしたシーズンが、個人的には一番手応えがありました。19歳のときにサンレーヴスに入って一度プロの壁にぶち当たり、トレーニングを積んで再契約したこともあり、メンタル的にも技術的にも充実した状態でシーズンを戦うことができました。なのに、翌年2017年5月のストリートバスケの試合で、腰の骨を4箇所折る大怪我をしてしまった。骨折と同時に髄液が漏れ低髄液圧症になり、常に脳震とうが起きているような状態で、3ヶ月以上病院のベッドで寝たきりの生活を送りました。そこからアスリートが復帰することは稀らしく、「もうスポーツはできなくなる可能性が高い」と言われ本当にショックでした。

その選手生命に関わる大怪我からどのように復帰されたのでしょうか。
関係者の方々のサポートのもとリハビリを重ね、2018年2月頃、9ヶ月ぶりにプレーに復帰することができました。ただ怪我のブランクから思うように体が動かず、Bリーグ復帰後は完全にコンディションが落ちている状態でした。そんな中で、3x3.EXE PREMIERでプレーする機会をいただき、「BLUE BEES.EXE」と契約させていただきました。そこで初めてPREMIERでプレーしたのですが、シーズンを通してほとんどの試合に出場することができ、試合勘と調子を取り戻していきました。怪我を知っている関係者からも「かなり戻ったね」と評価され、自信にもつながっていきました。その3x3.EXE PREMIERへの参加が、怪我の挫折から立ち直れたターニングポイントだったと思います。

2020シーズンからは、堀江貴文さんが設立し話題となった「HIU ZEROCKETS.EXE」と契約されていますが、その経緯は?
これは本当に偶然なんですが、誰かがツイッターでHIU ZEROCKETS.EXEの話題に対して「佐藤がこのチームと契約したら絶対面白い」という感じで僕をメンションしたんですね。それを堀江さんがリツイートされていたので、興味が湧いて自分からアプローチをしてみたところ、トントン拍子で契約することになったんです。きっかけは本当に偶然ですね。堀江さんは自分の考えがしっかりあって、何事も恐れずチャレンジしていく人。だからこそ今までのバスケットの概念にとらわれないチームができると思うし、自分にとっても新しい学びや発見にもなるはず。まだシーズンは始まっていないですが、これからが楽しみで仕方ないですね。

自分を
ブランド化する

佐藤選手はバスケット以外にも、ミスター・ワールド世界大会に出場されるなどモデルとしての活動もされています。
モデル活動のきっかけは4、5年前、ハーフのタレントやモデルが人気になった時期に、メディアからオファーをいただくようになったことですね。同じ時期に、知人の推薦でミスター・ワールドの選考を受けることになり、2016年度の日本代表に選ばれ世界大会に出場しました。ミスター・ワールドは、外見だけでなく『目的のある美』という社会貢献性などを含めた選考基準があり、バスケット選手として学校訪問やバスケットのクリニックなどの青少年育成に力を入れていたことも評価されたんだと思います。ミスターコンテストやモデルとしての活動は、新しいチャレンジをするいいきっかけになりました。

そもそも、なぜモデル活動を始めようと思ったのですか?
2015年にNBLのチームを退団した時期から「自分のブランディングをしていこう」と思ったんです。僕はけして日本を代表するような選手でもないし、リーグトップクラスの選手でもない。だからこそ、長く生き残っていくためには選手“プラスアルファ”が必要だと思った。モデル活動はそのプラスアルファの一つ。モデル業以外にも、企業や学生向けに講演活動をしたり、世界大会を経験した者としてミス・ワールド日本代表の世界大会前と大会期間中のサポートをしたり、明治学院大で女子バスケットボール部の外部コーチとしての活動もしています。ほかにも、いま世界のプロアスリートが当たり前のように取り入れているヨガにも携わっていて、片岡鶴太郎さんがアンバサダーを務めインド政府にも認定されている一般社団法人全日本ヨガ連盟で、オーセンティックなヨガのプロモーションや研究に携わっていたり……もはやなんでも屋ですね(笑)。
活動の幅が広く驚きました。そのモチベーションはどこから生まれているのでしょうか。
よく「本業はなんですか?」と聞かれるんですが、自分でもよくわからない(笑)。ただはっきり言えるのは、僕はただお金をもらうためだけに働くことはしたくないし、自分がその仕事に価値を感じるかどうかを一番大事にしているということ。たとえ最初は収益が少なくても、それを信じて情熱的に打ち込んでいれば、必ず何かの形にはなると思っています。ミスコンもヨガもコーチも、間違いなく誰かのためになるし、人を幸せにできる仕事だと思っている。最終的にはやっぱり自分がその仕事をやりたいと思えるかどうかだと思います。

バスケットへの
恩返し

かつては「自分が何者なのか」と苦悩していた。今のアイデンティティはと聞かれると?
やっぱり一番はバスケットプレーヤーとしての自分。もう少し大きく言えば、「自分が佐藤優樹という人間であること」という感じですかね。これまでバスケットをきっかけにいろいろな経験を重ねていく中で、国籍や所属ではなく、自分自身で存在を示せるようになってきていると思います。新しいことに挑戦すればするほど、選手としても人間としても成長できている実感があるので、これからもチャレンジを続けていきたいと思っています。
これからの目標、挑戦したいことは?
まずは3x3.EXE PREMIERで、HIU ZEROCKETS.EXEとして上位の成績を収めることが目標です。堀江さんを中心にきっとチームとして面白い展開ができるはずだし、自分自身もチームビルディングに携わっていければと思います。
また個人としては最近、「エーリストアスリート」という合同会社を立ち上げました。主にバスケットコーチや学校訪問、子どもたちへのクリニックなどを事業として、学校向けに元選手や現役選手を派遣していく予定です。またその事業を通じて、アスリートのデュアルキャリアやセカンドキャリアの支援もしていきたいと思っています。僕はバスケットで人生を救われたので、今度は自分がスポーツを通じて社会へのギブバックができればと思っています。


佐藤 マクファーレン 優樹(さとう - ゆうき)
1992年12月13日生まれ、東京都出身。オーストラリア人と日本人の両親の間に生まれ、日本、オーストラリア、イギリスの多重国籍を持つ。14歳までシンガポール、上海で過ごし、日本に移る。明豊高、九州東海大進学後、2012年、bjリーグ「東京サンレーヴス」に入団。2014年にNBL「つくばロボッツ」でプレーした後、2016年に再び「東京サンレーヴス」と契約。またモデル活動を始めた同年、「ミスター・ワールド2016日本代表」に選ばれ、世界大会に出場。スポーツ部門でアジア系出場者として過去最高の6位に入る。2018年に3x3.EXE PREMIER「BLUE BEES.EXE」でプレーした後、2020年「HIU ZEROCKETS.EXE」と契約。178cm、78kg。
- Text by Naotaka Ashizawa
- Photograph by Kenta Nakano
- Website Design by Sonoko Hayashi
- Art Direction by Junya Sakai
- Photo Provided by 3x3.EXE PREMIER
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