スマートフォン版で表示

石川 麻衣

“3x3人事”として、
私は前を向く。

石川 麻衣

BEEFMAN.EXE

身長180㎝の恵まれた体格と得意のオフェンスを武器に、学生時代から全国レベルで活躍してきた石川。5人制のバスケットのみならず3x3でも日本代表として活躍する、誰もが認めるトッププレイヤーだ。大きな転機は30歳。「バスケット以外何もできない」と語っていた彼女が社会人として、新たな一歩を踏み出した。世界を経験した目にどのような景色を映し、自分の在り方をどう定義していくのか。

全国区の
選手に
なるまで

石川 麻衣

バスケットはいつから始められたのでしょうか?

中学校からです。小学生の頃は地元のクラブチームで陸上をしていて、5年生のときに4x100mリレーで全国大会に出場したことがあります。当時は、学校の休み時間に男子に混ざってやるバスケが、楽しくて仕方なかったです。その頃の夏休みにスラムダンクのアニメを見て、シュートの入る音やバッシュの軋む音がかっこいいと思い、中学ではバスケ部の一択でした。最初は、ゴール下でパスをもらっても怖くてシュートができず、よく走ることと背が高いことだけが武器の選手でしたね。その後、厳しい練習を重ねてプレータイムを伸ばしていき、高校で全国大会出場を果たしました。

大学では日本代表にも選出され、数々の実績を残されています。大舞台の常連ですね。

実は、周りに伝染させてしまうほど緊張するタイプなんですが(笑)、それでも新人王、インターハイ優勝など結果を残すことができ、本当に貴重な経験となりましたね。日本代表として世界と戦うようになってからは、ポジションに縛られずにプレーの種類を増やすべきだということを学びました。当時は「センターの私がスリーポイントを打つべきじゃない」とすら思っていたので、衝撃的でしたね。だから、大学卒業後はプレーの幅を広げるために富士通レッドウェーブへ入団しました。私よりも身長が高く、たくさん距離を走り、スリーポイントをバンバン決めている選手がいたので、ここだと思ったんです。

栄光と苦悩

7年間

石川 麻衣

新しいプレースタイルの習得は順調に進みましたか?

順調どころか、最初の2年間は怪我が多くてまともに練習できない日が続いたし、苦手なプレーを克服しようとしても思うように結果が出せなくて、何もかもうまくいきませんでした。そんな私とは対照的に、どんどん活躍する同期や後輩の姿を見て正直辛かったです。バスケを辞めようとも考え始めたとき、たまたまある有名サッカー選手の本を手に取りました。そこには「苦手なプレーは別の選手に任せる」と書いてあり、妙に自分の姿と重なったんです。「全部頑張らなくてもいいんだ」と思えて、全てが吹っ切れましたね。その翌日、久々に後半20分フルで試合に出場でき、得意なプレーに集中した結果、20点ゴールを決められました。

石川 麻衣

精神面が不調の要因のひとつだったのですね。その後は、2015年まで現役で活躍されています。

プレーの方は順調に結果が出せるようになっていきましたね。スリーポイントも決められるようになり、エリア内外でバランスよくプレーできたと思います。チーム以外でも日本代表として東アジア大会に出場させていただき、3位に入りました。ただ、腰痛のケアだけは本当に大変で、徐々に辛くなっていきましたね。朝お風呂に入って腰を温めたり、頻繁に行きつけの整体に通ったりしないと、日常の練習ができないほどでした。体的に限界を感じてきた頃、若手の選手が主力として活躍するようになったのもあって、「もう終わりかな」と思い、2015年に引退を決意しました。

30歳、
社会人1年目

石川 麻衣

富士通レッドウェーブ引退後の生活について教えてください。

30歳にして社会人デビューし、人事として働くことになりました。用意されたユニフォームを着て、大歓声の中でバスケに打ち込めていた生活が当たり前ではなくなり、自分がどれほど多くの人に支えられてきたのか痛感しました。今度は、私が人事という立場から第一線で活躍する社員のみんなを支える番だと思ったんです。ただ、ものすごく不安はありました。それまでバスケ以外本当に何もしたことがなかったので。自分は新人以下だと思って、とにかく指示を仰ぎながら仕事をこなしました。後ろ向きになりそうなときは、「バスケと同じで、今が大事な基礎固めの時期だ」と自分に言い聞かせて。

仕事で苦労も多い中、同時期に3x3をスタートされています。どのような経緯で始められたのですか。

2016年、大学の同級生に誘われて試合に出てみたのがきっかけです。当時は競技人口が少なくて、東京の予選に出たら1試合目がいきなり決勝でした。普通に楽しかったんですが、当時はすぐ次もやりたいと思うほどの熱量はありませんでしたね。本格的にやってみようと思えたのは、3x3がオリンピック競技に認定されたことが大きかったです。もう一度上を目指してみようと、打ち込んでいけばいくほど惹き込まれていきました。現在は平日週2回、仕事終わりにデスクワークで凝り固まった体をほぐし、短時間で集中して練習しています。体力的には結構きついですが、週末の試合がすごく楽しみで、いつも練習に力が入ります。

石川 麻衣

2018年にFIBA 3x3 ASIA CUP第4位、2019年に3x3.EXE PREMIER 2019 PLAYOFFS優勝など着実に結果を出していますが、勝利の秘訣は何でしょうか?

5人制と同じ感覚では勝てません。どういう風に得点を重ねていくべきか、どのタイミングで誰を活かすのかなど、細かい戦略を立てる必要があります。戦略を練り、試合を組み立てるのは選手である私たち。日頃から各々やりたいプレーを持ち寄っています。ただし、どんなに良い戦略があっても、全員で共通のイメージを描けていなければ、簡単にミスをして相手に点を取られてしまいます。メンバー間のコミュニケーションが何よりも重要ですね。あと超個人的には、パンケーキを食べに行くとか、買い物をするとか、疲れたときの自分へのご褒美も、良いプレーをするための秘訣です(笑)。

今の
自分だから
描ける未来

石川 麻衣

バスケット選手として、今後の目標を教えてください。

バスケはできるだけ長く続けたいと思っています。BEEFMAN.EXEでは、ベテランの集まったチームならではのプレーで勝利をもぎ取り、全試合優勝したいですね。それが、今でも試合を楽しみにしてくれている自分の親や、会場へ足を運べなくても応援してくれる友人と地元の人たち、そして、こんなに熱くなれる競技に自分を引き合わせてくれた全ての方々へ示せる、最大の感謝の形だと思っています。試合後にSNSを通して必ず情報発信しているのは、誰にでも届くはっきりとした形で気持ちを伝えたいから。自分がファンレターをもらったときも嬉しかったですからね。

社会人としてはどのように成長していきたいですか。

人事の仕事を始めて今年で5年目になりますが、業務の範囲が広がり、法律に絡むような難易度の高い業務も出てきて、まだまだメンバーに頼ることが多いです。まずは一人前になるというのが目標ですね。自分の得意分野や理想像は、そこから模索していく形になると思います。ただ、いつでも気軽に相談してもらえる存在でありたいという思いははっきりしています。例えば、私が控え選手で試合に出られないときに「声出し頑張ってるね」と声をかけられてすごく励まされたように。なるべく近い距離で支えて、みんなが前向きに働ける環境を作れたらなと思います。

石川 麻衣

石川 麻衣(いしかわ まい)

1985年4月11日生まれ、茨城県出身。明秀日立高校、日本体育大学卒業後、2008年に「富士通レッドウェーブ」へ入団。2009年、女子バスケットボール日本代表に選出され、東アジア大会に出場。2018年に3x3.EXE PREMIER「BEEFMAN.EXE」に加入し、2019年 3x3.EXE PREMIER 2019 PLAYOFFS優勝を果たす。また2018年には3x3女子日本代表に選出され、FIBA 3x3 ASIA CUP SHENZHEN 2018に出場し、第4位となる。180cm、71kg。

  • Text by Ayano Morimoto
  • Photograph by Kazumi Ono
  • Website Design by Sonoko Hayashi
  • Art Direction by Junya Sakai
  • Photo Provided by 3x3.EXE PREMIER

ページトップへ戻るアイコン