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名越 龍男

最高の結末のためなら
主役じゃなくていい。

名越 龍男

3x3 Referee

岐阜県は瑞浪市。とある高校に、社会と英語を教えながら、生徒指導の長や主任業務をこなし、18年間生徒を熱心に指導し続ける先生がいる。彼が教員の仕事と同じくらい力を入れているのは、バスケットボールの審判員。3x3.EXE PREMIERを含む3x3のトップレベルゲームやB.LEAGUEでさまざまな試合を担当し、2019年にはFIBA(国際バスケットボール連盟)の3x3レフェリーに認定され、活躍の場を広げている。試合中に決して表に出さない思いを、まるで部活に熱中する生徒のように熱く語ってくれた。

学生時代は
プレイヤー

名越 龍男

バスケットボールとの出会いについて教えてください。

姉の影響で、中学校からバスケを始めました。高校時代はフォワードとして活躍し、東京都でベスト16に。当時は本当にバスケに夢中でしたね。始発で朝練に行き、昼休みもバスケをし、部活後は先生から体育館の鍵を預かって遅くまで練習をするのが習慣になっていました。勉強はそっちのけだったので、成績は下から数えた方が早いときも。親には「バスケをやるならちゃんと勉強しろ」と常に言われていました(笑)。

高校卒業後は日本大学に進学されていますが、プレイヤーとして何か変化はありましたか。

私は身長が180㎝ありますが、入部した途端に身長は低い方に数えられましたし、将来日本代表に選ばれるような選手がごろごろいて、大学のバスケはレベルがまったく違うなと感じましたね。選手としてプレーをしていたのは2年生まで。3年生のときにコーチが抜け、チームの編成が変わったため、学生スタッフとしてアシスタントコーチを担うようになりました。4年生のとき膝をケガしたこともあり、プレイヤーとしては完全に前線を退くことになりましたが、下級生の将来ある選手たちが当時のチームを救ってくれたので、それを支える立場というのも十分にやりがいを感じていましたよ。

審判員の
道を選ぶ

名越 龍男

大学卒業後、バスケットボールとはどのように関わっていましたか。

友人のクラブチームや地域の試合でときどきプレーをしていました。当時はバスケ以外にもやりたいことが多かったという背景もあり、バスケをやる頻度は現役の頃に比べて低くなっていましたね。大学3年のときにミニバスを教えて以来、教員を目指したいと思っていたので、卒業後に教育実習に行き、教員免許を取得しました。教員になるにあたって、ひとつの職業しか知らないようではいけないと思い、介護職で働いた期間もあります。ほかにも、以前から憧れていた海外留学をしてみたり。かなり自由に時間を使いましたね。教員の仕事を始めたのは25歳から。岐阜の高校で社会の教員として働き始め、今に至ります。社会は学生時代、唯一得意だった科目です(笑)。

これまでのご経歴で審判員をやる機会はあまりなかったようですが、審判員を始めたきっかけは何でしょうか。

教員になり、バスケ部の顧問として生徒のために審判員を行うようになりました。本格的にやるようになったのは、2012年の岐阜国体で審判員の強化リストに選ばれたことがきっかけですね。国体を盛り上げたいと思って参加しました。準備を始めたのは国体開催の2年くらい前から。定期的に講習会へ参加し、いろいろな試合を経験しました。次第に審判の目線からバスケに関わることが面白くなってきましたね。試合終了後、選手、監督、スタッフ、観客など関係者全員の感動が伝わってくる特殊な雰囲気があるんですよ。そんな試合を自分の手で運営できたと思うと、大変やりがいを感じましたね。審判員としてもっと頑張りたいと思うようになりました。

名越 龍男

2017年からはB.LEAGUEでも審判員をされていますね。審判員のやりがいを教えてください。

プロの試合に携われるのはもちろん楽しいですが、それよりも責任の重さの方が大きく感じますね。私たち審判員の試合運びによって、お客さんが試合やチームへ抱く感情が変わってしまうし、1つのジャッジでプレイヤーの生活が左右されると言っても過言ではありません。だから、プロの試合を担当する審判員として試合前の準備は入念に行います。「過去にどのような判定を受けているか」「プレーの傾向は」など細かくチームの情報を調べますし、日頃から海外の試合や自分が担当した試合の動画を見て研究しています。

異色の競技
3x3

名越 龍男

審判員と教員の仕事は、どのように両立されているのでしょうか。

試合には体力も集中力も求められ、コンディション調整や審判員としての継続的なスキル向上も必要なため、今の生活における審判員としてのウェイトは大きいですね。現在は社会と英語の教員として国際コースの主任を担っており、生徒指導の長も担当しているので、限られた時間をどうにかやりくりしている状態です。バスケ部については、土日の試合を引率できなくなりましたし、平日の練習も十分に指導できる時間がないので、顧問の主担当からは外れる決断をしました。残念ですが、選手としっかり向き合えないのなら指導者の立場からは降りるべきだと考えたんです。

タフな生活を送りながらも、3x3の審判員を始めたのはなぜですか。

初めて3x3の審判員をしたとき、試合を終えてみてまず思ったのは「バスケだけどバスケじゃない」ということ。ルールは完全に別物で、5人制バスケとは笛を吹く基準も全然違う。選手のプレーは非常にタフなもので、観客はかなり近い距離で観ています。そんな状況で審判員としてジャッジを行い、試合を進めていくと、会場が徐々に一体となっていくのがわかるんです。その感覚が、5人制にはない大きな魅力だと感じ、もっとやってみたいなと思いました。

名越 龍男

2020年にはFIBA 3x3 Referee C-License を取得されていますね。今後挑戦したいことがあれば教えてください。

試験は中国で数日に渡って実施され、さまざまな国籍・年齢の方に交じり、ルールや英語のテスト、実技の審査を行いました。国際認定試験なので、難易度は高かったですしプレッシャーも大きかったです。このライセンスを取得すると担当できる試合の範囲が広がるので、海外派遣の機会があればぜひ挑戦してみたいですね。3x3はオリンピックの競技にも認定されたので、将来的にチャンスがあれば積極的に狙っていきたいなと思います。

主役に
ならない
美学

名越 龍男

審判員として大切にしていることを教えてください。

審判員は決して主役ではありません。審判がいないとゲームが進まないのは確かですが、審判だけの視点で試合を進めても、誰も面白くないんです。展開が早くタフなゲームが多い3x3で、変に流れを止めてしまえば、一気に盛り下がってしまう場合もあります。そうならないよう、選手にジャッジの意図などを細かく伝えながら、力を最大限発揮してもらえるようにしています。3x3.EXE PREMIERには、元5人制バスケ出身の選手や3x3専門の選手など、いろんな選手がいるのでコミュニケーションが大事ですね。長い時間準備してきた選手やコーチ、ファンの方に「この人が審判でよかった」と思ってもらえるように試合を運営していきたいです。

審判員の適切な試合運びが、良い試合の鍵になるんですね。審判員として試合にかける思いには、教員であるご自身に通じるものがあるのでしょうか?

進学や就職など生徒の進路はバラバラですが、いずれの場合も社会に出て彼らが困らないように指導をしたいと思っています。生徒が間違いを起こしたときは、しっかりと向き合い、「この経験を財産と捉え、将来に活かしてほしい」と伝えます。そして何年後かに、こんなこともあったねと、笑って話せていれば嬉しいですね。その点は審判員の自分と教員の自分とで共通しているかもしれません。選手が最大限の力を発揮できるように自分にできることをすべてやり、「関わった全ての人に語り継がれる試合」を作っていく。これが、審判員として私がやりたいことですから。

名越 龍男

名越 龍男(なごし たつお)

1977年11月17日生まれ、東京都出身。日本大学鶴ヶ丘高校、日本大学卒業。教員として顧問を担うバスケットボール部で審判員を務めたことをきっかけに、審判員の道を歩み始める。2012年には岐阜で開催された国民体育大会において審判員に選ばれている。2019年からは、JBA公認S級審判としてB.LEAGUEの審判員を務め、2020年にFIBA 3x3 Referee C-Licenseを取得し、3x3.EXE PREMIERでも数多くの試合を担当している。

  • Text by Ayano Morimoto
  • Photograph by Yuji Takezono
  • Website Design by Sonoko Hayashi
  • Art Direction by Junya Sakai
  • Photo Provided by 3x3.EXE PREMIER

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