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菅原 洋介

警察官
アスリートが
未開地に挑む理由。

菅原 洋介

EPIC.EXE

posted 2020/07/21

外国人選手にも屈しない強靭なフィジカルやハードワークを武器に、bjリーグ2008-09シーズン優勝、3x3.EXE PREMIER 2015シーズン優勝など、数々の実績を残してきた。そんな菅原が引退後にセカンドキャリアとして選んだのは、「警察官」という道。二度にわたる海外挑戦、業界初の警察官への転身。開拓者として歩み続ける彼を突き動かすものとは──。

反対を
押し切った
海外挑戦

菅原 洋介

プロとして10年以上のキャリアを持つ菅原選手。まずはバスケットボールをはじめたきっかけを教えてください。

私の地元は北海道の江別という場所なのですが、江別は元々バスケが盛んな土地。周りにはバスケをしている人がたくさんいましたし、父も母も祖母もその一人でした。家族揃って食事をする際にテレビで流れているのは、アニメでもドラマでもなくNBAなどの試合。そんな風にバスケに囲まれて育ってきたので、自然な流れではじめました。父は選手として、母はマネージャーとして今もバスケに携わっていて、ゴールデンシニアの部門で日本代表に選ばれるほど。刺激をくれる存在です。

大学卒業後は当時主流だった実業団へは進まず、アメリカ独立リーグABAに挑戦されています。海外への想いはいつ頃からあったのでしょうか。

中学生の頃からですね。アメリカの有名選手の名が広まり、日本でも話題になっていた時代。家族と一緒にテレビで試合を見ているうちに「アメリカに行かないと上手くなれない」と思うようになりました。力をつけて道を拓かなければと思っていましたが、当時の私は決して華やかなプレーをするタイプではなかったので、周りからは「お前には無理だよ」と言われていました。それでも家族だけは「諦めなければ叶う」と応援してくれた。大学への進学も「アメリカ行きのチャンスを得るために」と両親と相談して決めたことなんです。

「謙遜は
美徳」
を捨てる

菅原 洋介

2006年、2010年と二度にわたるアメリカ挑戦。日本のバスケットボールとの違いをどう感じましたか。

違いはもうすべてです(笑)。技術力、運動量、すべての基準値が高く圧倒されました。なかでも一番衝撃的だったのはファウルの鳴り方。今はもうアメリカと日本のルールはほぼ同じですが、当時の日本は接触があればすぐファウルとなり試合が中断されます。しかしアメリカは肉弾戦の要素が強く、ぶつかっても試合は続行される。これまで常識だと思っていたことが崩れ、プレーも練習もより積極的なものに変わっていきました。今でも自分の強みの一つは海外選手と対等に渡り合えることですが、現地で経験を積めたことは本当に大きかったですね。

菅原 洋介

多くの違いを感じるなかで、どんな学びを得ましたか。

“自分を表現する力”です。日本には「謙遜は美徳」という考えがありますが、アメリカでは謙遜したら終わり。バスケの技術はもちろん、自分を売り込む営業力も欠かせない要素だと知りました。特にマイナーリーグは契約期間であっても、より良い環境でプレーできるチームがあればアピールするのが当たり前。集客力といった自分のセールスポイントや意思を伝え、高みを目指していく。私が日本で多くのチームを渡り歩いたのも、その影響です。「自分を高めたい。またアメリカで挑戦したい」という意思を尊重してくれる環境を常に探し求め、アピールし続けていました。

警察官という
新たな世界

菅原 洋介

2018年に引退、警察官への転身を発表しバスケットボール界を驚かせました。どうして警察官の道を選ばれたのでしょうか

さまざまな背景はありますが、一番はプロバスケットボール選手のセカンドキャリアとしてまだ誰も選択しておらず、子どもたちが憧れる人気の職業だったからです。プロで活躍しても引退後にコーチになれるのは一握り。畑違いの仕事に就くことがほとんどで、これまでの経験が活かせているかは分かりません。でも私が警察官という道を拓き「バスケで培ったことが活かせる」と証明できれば、バスケットボールの未来を担う子どもたちにとっても新しい発見になると考えたんです。私にとっての仕事選びの基準はお金じゃない。誰もやったことがないことをやりたいという純粋な好奇心と、子どもたちに夢を与え関心を引けるかどうかです。

現在は兵庫県警の地域課に所属されています。実際に警察官として働いてみていかがですか。

「バスケで培ったことを活かしたい」と考えていましたが、意外にもそれが最初の壁になりました。バスケで身に付けた真面目さと謙虚さが活きる一方で、“チーム”に対する考えにはギャップがありました。バスケもチーム競技ですが、個人のスキルが物を言うことも多いし、私自身、個人で処理するのがベストと考えることも。でも警察官の仕事はそうではありません。複数の犯人を一人で捕まえるのが難しいように、地域の安全のためには常に2~4名で動く必要があると教えられ、違う世界にきたんだと実感しました。活かせる部分は伸ばしながらも、新しいルールのなかでどう結果を出していくか。それが今の課題ですね。

菅原 洋介

警察官として2年目を迎え、今年から3x3.EXE PREMIERにも本格的に参戦予定とのこと。2015年シーズン以来ですね。

3x3の面白さは、バチバチとぶつかり合う音が聞こえるほど選手同士の攻防が激しいこと。海外選手とも渡り合えることが強みである私にとっては、より力を発揮できる競技だと感じています。所属するEPIC.EXEは昨年発足されたばかりの新しいチーム。2015年シーズンにGREEDYDOG.EXEで優勝した経験を買ってくれて、地元北海道で警察官採用試験の勉強をしている私に「一緒にやろう」と声をかけてくれました。昨年は警察学校に入校していたこともあり試合に参加することができなかったため、選手選びやチームスタイルを考えたりと運営面で携わってきました。今度はプレーで貢献したいです。

目指すは
最強の人間

菅原 洋介

今後の目標を教えてください。

警察官の仕事はまだまだこれから。バスケでたとえるなら、ボールさえ持っていない状態です(笑)。それでも自分で直接困っている人を助けられるというこの仕事にやりがいを感じています。だからこそまずは早く仕事を覚えて、戦力になれるように頑張っていきたいですね。バスケに関しては、とりあえず試合に出たい。ファンの方、お世話になった方に「いつ試合出るの?」とめちゃめちゃ言われるので(笑)、「菅原はこういうプレーヤーだった!」と現役時代を思い出してもらえるような、そんなプレーができるよう調整していきたいです。

アメリカでのプレー、さまざまなチームへの移籍、警察官への転身。チャレンジの多い人生をご自身でどう見ていますか。

正直、まだまだチャレンジしたりないんですよね。以前は医者と弁護士に興味があったし、今は施工管理の世界を覗いてみたいって思っている。色んな世界を知りたい、学びたいという欲求がどこからくるのかと聞かれると難しいのですが、単純に「人間として成長したい」というところに辿り着く気がしています。少年漫画の主人公じゃないけれど、できるなら人間として最強になりたい(笑)。だからこそ警察官の仕事もバスケも本気で挑戦する。両方メインディッシュとして楽しんで、日々結果を出し続ける姿を見せることができれば、バスケットボール選手を夢見る子どもたちにも、さらに新たな道を拓いてあげられると信じています。

菅原 洋介

菅原 洋介(すがわら ようすけ)

1983年9月25日生まれ、北海道出身。東海大四高、早稲田大卒業後、2005年に渡米し、アメリカ独立リーグABA「サンノゼ・スカイロケッツ」でプレー。2008年にbjリーグ「琉球ゴールデンキングス」に加入し、2008-09シーズン優勝に貢献。その後、二度目のABA挑戦や、bjリーグでのプレーを経て、2016-17シーズンよりB.LEAGUE「滋賀レイクスターズ」でプレーし、2018年引退を発表。2019年、3x3.EXE PREMIER「EPIC.EXE」と正式契約。186cm、84kg。

  • Text by Asami Takagi
  • Photograph by Yuji Takezono
  • Website Design by Sonoko Hayashi
  • Art Direction by Junya Sakai
  • Photo Provided by 3x3.EXE PREMIER

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