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一色 翔太

プロとして
走り抜けた
男の次なる一歩。

一色 翔太

3x3.EXE PREMIER Commentator

posted 2021/07/27

その手から放たれたシュートは美しい放物線を描きリングへ。選手やベンチ、観客席の空気は張り詰めるが、入った瞬間には緊張の糸が一気に解けて会場は大歓声に包まれる。華麗な3ポイントシュートを武器にプロ入りを果たした男がいる。それが一色だ。しかし一色のプロ人生は必ずしも綺麗な弧を描くばかりではなかったようだ。どちらかと言うと泥臭く、もがいてばかりだったかもしれない。ただ最後には一色も納得の花道が用意されていた。

人生を動かした
3ポイント

一色 翔太

現役時代はBリーグや3x3.EXE PREMIERでも活躍された一色さんですが、バスケットボールを始められたきっかけを教えていただけますか。

私が小学校に上がる前に、父の仕事の関係でアメリカのコネチカット州に引っ越すことになりました。向こうでは当たり前のようにバスケコートやリングがあって、当たり前のようにバスケをして遊んでいる。それを見て単純に「面白そうだな」と思って、一緒に交じってみたのがバスケを始めたきっかけです。小学校2年生の時に日本に戻り、3年生の時に茨城のミニバスチームに入団。5年生の時は一勝もできないくらい弱いチームでした。でも悔しくて一生懸命練習した。すると6年生の時に全国大会一歩手前まで行ったんです。諦めないで努力すれば結果もついてくることをこの時に学びましたね。

一色さんと言えば「3ポイントシュート」が代名詞となっていますが、そのプレースタイルはいつからですか。

高校2年生の時です。それまではドライブを得意とする選手でした。でもシュートにもかなりこだわりがあったんですよ。シュートフォームが崩れるくらいだったら「打ちたくない!」ってくらい(笑)。高校生になりだんだん筋力もついてきて、自分が納得するフォームで打てるようになってきた。試しに3ポイントシュートを練習してみたらバンバン入るんです。これは武器になるな……と。身体能力があるわけでもない。身長も高くない。スピードが速い選手でもない。だから3ポイントシュートを伸ばそうと思ったんです。それからは楽を覚えたのか、ドライブはあまりしませんでしたね(笑)。

一色 翔太

もともと3ポイントシューターではなかったのですね。自分の物にするために、相当練習したんじゃないですか。

自分にかなり負荷をかけてたくさん練習しましたね。3年生の時の夏のインターハイ前には、ボールを水で濡らしてシュート練習したこともありましたよ。汗で濡れるボールを表現するために(笑)。練習を重ねていくと3ポイントシュートが自分の武器になり、そしてチームの武器にもなった。全国大会ではチームはベスト8になり、個人でも「3ポイントシュート成功本数1位の選手」として表彰されました。この時から「一色は3ポイントが入る」とまわりから評価されるようになりましたね。高校3年生の時にした大学生との練習試合では、その大学の監督の目に止まりオファーをもらいました。3ポイントシュートが僕の人生を大きく動かしてくれたんです。

3x3は
「格闘技」

一色 翔太

どのようにプロになったのですか。

大学卒業後はすぐにはプロに行かず、1年だけ就職したんです。茨城の病院にある運動施設で、患者さんのリハビリなどを行う「体操のお兄さん」みたいなことをしていました。でも大学4年生の時に怪我をして不完全燃焼なまま終わってしまったことが、ずっとモヤモヤしていたんです。それに追い打ちをかけるように大学のバスケ部の同期がプロチームで活躍しているのを見て「やっぱりプロとしてバスケを続けたい!」と思うようになりました。両親に頭を下げましたよ。決意表明のために頭を丸めて(笑)。両親から許しを得て、働いていた病院を辞めました。1年間クラブチームで練習し、bjリーグのトライアウトを受け、育成ドラフト10位指名で入団しました。

2014年に3x3.EXE PREMIERに参戦されました。その経緯は?

3x3.EXE PREMIERがスタートした2014年に、千葉ジェッツの3x3チームとしてCHIBAJETS.EXEが発足しました。千葉ジェッツのヘッドコーチから「オフシーズンの期間だけ、コンディション作りや経験のためにやってみないか?」と言われたのが3x3を始めたきっかけです。話を聞いた時に「面白そう。5人制のバスケのプレーにも良い影響を与えてくれるんじゃないか」と思いました。2014年に参戦してから、DIME.EXE、TOKYO VERDY.EXEとチームを変え、2019年までプレー。5年間で1度だけ準優勝することができ、満足のいく3x3人生を送ることができました。

一色 翔太

3x3と5人制バスケットボールとの違いや魅力は何ですか。

スピード感と熱量……ですかね。個人的に3x3は5人制バスケとまったく別物の競技だと思っています。サッカーとフットサルのように、ボールもコートの大きさもプレーする人数もすべて違う。コートが小さくて人数も少ない分、テンポが速くて個人のスキルも際立つんです。シュートが入って、その2秒後にまたシュートが入ったりもする。だから観客もスマホなんて見てられません(笑)。言い過ぎかもしれませんが「格闘技」にも近い感覚がありますね。選手同士の魂のぶつけ合い……みたいな。あとはストリート性ですね。平塚のビーチで試合をしたこともありますよ。ショッピングモールにあるコートで試合もするので、フラっと買い物に来た人も楽しめちゃう。それが魅力ですね。

プロを引退。
セカンド
キャリアへ

一色 翔太

千葉ジェッツで4シーズンプレーし、その後つくばロボッツ(現・茨城ロボッツ)に移籍されました。そのいきさつを教えていただけますか。

千葉ジェッツに入団した当初は、大学とのレベルの違いに驚きましたね。ベテラン選手や外国人選手が多く、とにかくついていくのがやっと。少しでも試合に出られるようにガムシャラに練習しました。千葉ジェッツでは4シーズンプレー。最後のシーズンはなかなか試合に出られず、出場時間を求めてシーズン途中でつくばロボッツにレンタル移籍し、次のシーズンで正式にロボッツに加入しました。今でこそB1に昇格するほどのチームになりましたが、僕が入団した時はスポンサーもおらず、移動もレンタカーが普通。兵庫県の山奥で試合があった時は、新幹線で大阪まで行って、そこからレンタカーで移動……なんてこともありました(笑)。

チームが変わると環境も大きく変わるのですね。茨城ロボッツを退団した後、東京海上日動の専業代理店である現職のエキスパート株式会社に入社されました。プロを辞めたのはなぜですか?

茨城ロボッツとの契約が満了になり、チームから次の構想に入っていないことを告げられました。その時すでに31歳。プロチームに移籍してまた頑張ろうか、セカンドキャリアを考えた方がいいのか。悩んでいた時に当社の社長と食事に行く機会がありました。そこで今後の人生について相談したところ、「もし前向きに考えてくれるなら、ウチで働かないか?」と誘ってくれたんです。社長はプロ時代も応援してくれた信頼できる人。誘いを受けた二日後に返答し、入社しました。こうして東京海上日動の専業代理店の営業職としてのセカンドキャリアをスタートさせました。

バスケットボールから保険の営業職へと新たなキャリアを歩み始めたのですね。プロは引退したとはいえ、その後はバスケットボールをプレーしなかったのですか。

1つ嬉しい誤算がありました。もうプレーするのを諦めていたバスケを続けられたことです。入社後最初の2年間は東京海上日動に研修で出向し、その間は東京海上日動の社員扱いになります。僕が入社した当時、東京海上日動ビッグブルーはB3に所属していました。研修期間中の2年はバスケを続けられるかもしれない……そう思い、会社に頼み込んで、アマチュア契約を結んでもらいました。とは言っても、選手はすべて本社の社員です。平日は仕事もあるので、練習は水曜日の夜と土日のみ。シーズン中は土日に試合があるので、ぶっつけ本番の時もありました。B3では全32試合中、勝てたのは最後の1試合だけ。それでもその一勝は今まで感じたことがない感動があったのを覚えています。

花道を飾り、
次のステージへ

一色 翔太

バスケットボール選手としての人生を、最後はどのように締めくくりましたか。

僕にとっての2年目のシーズン。東京海上日動ビッグブルーは戦いの場をB3から地域リーグ(関東一部)に移しました。もともとダラダラとやるつもりはなく、2年の研修期間で引退……と決めていました。あとはどう悔いなく終わりを迎えられるか。そんな中スタートした地域リーグ。その最終戦では大活躍。得意の3ポイントシュートが入る入る。リーグが終わり次は全国大会。引退試合では、残りコンマ何秒で僕にパスが回ってきてブザービーター。10点差で負けていましたが、ベンチは大喜びでした。負けたチームがブザービーターで喜ぶのはあまりないですよね(笑)。東京海上日動ビッグブルーでの2年間は本当にやりたいようにやらせてもらった。チームには感謝しかありません。全く未練を残さず引退を迎えることができました。

最後に今後の目標を教えてください。

引退後は“ちょうどいい距離感”でバスケに携わっていますね。今は3x3.EXE PREMIERのライブ中継や、ラジオで放送される茨城ロボッツの試合の実況解説を務めています。それ以外にも、茨城ロボッツ主催の小中学生向けのバスケットボールクリニックに講師として参加しています。このようにガッツリではないにしろ、バスケを通じて地域の人たちと継続的に関わっていきたいですね。でも今はそれよりも早く成果を出して会社を引っ張っていけるような人間になりたい。バスケで経験した準備の大切さ。それは仕事も同じ。だから朝早く出勤して入念に準備することを心がけています。人生に迷っていた僕を拾ってくれた社長や社員の方々の期待に早く応えたい。恩返しがしたい。それが今の目標です。

一色 翔太

一色 翔太(いっしき しょうた)

1987年8月9日生まれ、茨城県出身。大学卒業後は1度就職するも、2011年に千葉ジェッツへ育成ドラフト10位指名で入団。その後茨城ロボッツ、東京海上日動ビッグブルーと活躍の場を移し、2020年2月に引退。3x3.EXE PREMIERには設立初年度の2014年より参戦し、CHIBAJETS.EXE、DIME.EXE、TOKYO VERDY.EXEなど5年間にわたりプレーした。現在はBリーグ、3x3.EXE PREMIERの実況解説やクリニックでの小中学生への指導を行いながら、一般企業にて保険の営業職としても活躍中。

  • Text by Ryohei Ikeda
  • Photograph by Kenta Nakano
  • Photo Provided by 3x3.EXE PREMIER

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