スマートフォン版で表示

現在、お知らせはありません。

元アスリート社長が、
ガンバの変革に挑む理由

SPORT LIGHTクロストーク Vol.3

このエントリーをはてなブックマークに追加

ゲスト

小野 忠史(おの ただし)さん

株式会社ガンバ大阪
代表取締役社長

ナビゲーター

加地 亮(かじ あきら)さん

元プロサッカー選手

スポーツ業界で活躍する「人」を通じて、“スポーツ業界の今とこれから”を考える対談企画『SPORT LIGHTクロストーク』。元サッカー日本代表・加地亮さんがナビゲーターとなる第3回のゲストは、株式会社ガンバ大阪 代表取締役社長の小野忠史さん。高校野球の名門・PL学園出身で、甲子園優勝経験を持つ元高校球児の小野さんが、なぜJリーグクラブの社長に就任したのか?これまでのキャリアと今後の展望、その背景にある思いについて、ガンバ大阪OBの加地さんが鋭く切り込みます。(文=高村美砂 撮影=宮原和也)

33歳、新人からのスタート

加地: お忙しいところお時間をいただきありがとうございます。今日は小野さんが歩んでこられたキャリアやガンバ大阪での仕事について、また、雇用するお立場から、クラブが求める人材やスキルなどについても話を伺えればと思っています。と、その前に……ガンバのJ1残留が確定し(2021年11月19日取材時点)、安心しました。

小野: ありがとうございます。ガンバに関わるたくさんの方にご心配いただいていましたが、決して誇れる結果ではないとはいえ最低限の目標だったJ1残留を決めることができて、ひとまず安心しています。ただ、これまでのガンバの歴史を考えても、われわれがいるべき順位はここではないと痛感していますので、引き続き、クラブをあげて尽力していきたいと考えています。

加地: 2019年にガンバ大阪の副社長に、2020年からは代表取締役社長に就任されていますが、もともと小野さんは野球出身でしたよね?

小野: 小学校から社会人まで野球一筋で育ちました。松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)入社後も、社内の野球部に所属して社会人野球でプレーを続けていました。

株式会社ガンバ大阪 代表取締役社長の小野忠史さん。高校野球の名門・PL学園出身で、甲子園優勝経験を持つ[写真]宮原和也

加地: 社会人野球では何歳まで現役を続けられたんですか?

小野: 27歳で引退しました。ただ、引退と同時に当時の監督だった鍛治舎巧さん(現県立岐阜商業高校監督)に声をかけていただいて、さらに5年間、コーチとしてもお世話になったので、32歳までは野球中心の生活をしていました。当時「ノンプロ」と呼ばれていたわれわれは、配属部署はありながらも仕事をするのは始業から11時くらいまでで、1年の半分くらいは遠征や大会への出場で社内にいませんでしたから、仕事といっても雑務をこなす程度でした。

加地: ということは引退後、一から仕事を学ばれたということですか?

小野: まさに、33歳で新入社員みたいなものでした。一般職で入社した同期は主任や係長に出世していっているのに、私は右も左も分からないような状態で、静岡地区の営業所に配属されました。

加地: プロサッカー選手が引退していきなり一般社会に放り出されたような感じですよね。

小野: そのとおりです。でも私が仮に「もう無理や」と投げ出してしまったら、私のように大学からパナソニックに野球で入社したいと思っている後輩の進路にも影響するかもしれないと思い、とにかく必死で……最初はとにかく何か役に立たないといけないと思い、朝一番に出社して掃除をすることから始めました。

加地: 当時は、どんな仕事をされていたんですか?

現役時代はガンバ大阪の選手として活躍した加地亮さん[写真]宮原和也

小野: 電子機器に使われるような、単価にして1~2円の小さな電子部品の営業をしていました。正直、最初は商品の説明すらできなかったのですが、野球時代に培った人脈に助けられたというか。取引先の課長さんがかつて私と同じように社会人野球をされていたり、偶然にも高校時代の同級生が担当者だったといった縁もあって、「頼む、うちの商品を買ってくれ」と頼み込むところから商談を始めていたという感じでした(笑)。ただ、それを2年、3年と続けているうちに熱意が通じたのか、それこそ仕事を始めたときには2,000万円くらいだった売り上げが2倍、3倍と、どんどん膨らんでいったんです。もちろん周りの人たちに恵まれたからこその実績ですが、それは自信になりました。

加地: スポーツ界で培った上下関係やコミュニケーション力が仕事をする上でも武器になったということですね。

小野: そうですね。特に私は28歳からコーチ業にも携わらせていただいた中で、当時は自分より年上の、30代のベテラン選手もたくさんいましたから。コーチとしてその方たちに話をしなければいけないことも増えるわけで、その際のものの言い方、伝え方、コミュニケーションの図り方みたいなところはすごく勉強になったし、仕事をする上でも活きていると自負しています。

ガンバ大阪との出会い

加地: その後、東京本社に異動されたのは何歳のときですか?

小野: 42歳です。当時はパナソニックとしても自動車のシステム部品に力を入れていこうとしていた時代で、私もオートモーティブシステムズ社で自動車メーカーへの車載向け製品の営業を担当しました。このときも自分が一番に心がけたのは人間関係の構築。それは一緒に仕事をする仲間、開発や技術の人たち、製造の人たちなど社内での人間関係もそうですし、顧客の皆さんといい関係性を築くこともしかりです。それさえ構築できれば信用もしていただけますし、信頼関係の中で新しい情報もいただけて、それがまた仕事の広がりにつながっていく、と考えていました。

加地: ぼくも引退していろんな仕事をするようになって感じましたが、ある意味、仕事もスポーツと同じというか。仲間と信頼関係を築いて、一緒に考えて、結果を求めるという道筋は似ているなと思います。

小野: 同感です。仕事もスポーツもチームで戦う以上、いい人間関係を築くことが根本だと思います。しかも、こうしてスポーツ界で仕事をするようになった今もありがたい話、パナソニックの営業時代に築いた人間関係は続いていて、アウェイ戦に出向くたびに連絡をくださる方もいらっしゃいますし、過去のつながりからご縁をいただいてパートナー企業様の新規開拓につながったりもしています。

営業時代に一番心がけたのは「人間関係の構築」だという[写真]宮原和也

加地: そして、いよいよ2019年にガンバ大阪に来られるわけですが、いきなり営業マンからスポーツ界に、というのはどんな経緯だったのでしょうか。

小野: 直近のオートモーティブシステムズ社では15年間も単身赴任だったので、いつかは関西に帰りたいという意向を会社には伝えていたんです。当時はハイブリッド車、EV車が勢いを増していて、カーメーカー様向けに年間の営業実績も1,600億円を数えるなど右肩上がりの時期だったことから、統括部長を任されていたオートモーティブの仕事にもすごくやりがいを感じていたんですけどね。そしたらある日、役員に呼ばれて「君の関西に帰りたいという希望をかなえてあげる」と言われて、ガンバ大阪の取締役副社長の内示を受けました。

加地: サッカー界で働くことについては、すぐに受け入れられましたか?

小野: 内示ですから受けるしかないな、と(笑)。ただ正直なところ、それまでJリーグの試合を見たのも取引先に招かれて行った一度だけで、サッカーのことはまったく分からなかった。なので、まずは2019年4月の就任にあたって2月のホーム開幕戦、横浜F・マリノス戦に始まる3月までのガンバの試合をすべて、自分でチケットを購入して観戦に行ったんです。そしたら、もうカルチャーショックですよ。確かホーム開幕戦は27,000人くらいお客さんが入っていたんですけど、パナソニックスタジアム吹田の熱気、サポーターの皆さんの応援の熱さに驚き、鳥肌が立つほどの衝撃を受けて「すごい世界やな」と一気に引き込まれました。こうして約3年の月日が経った今も、この世界の面白さと、大きなやりがいを感じています。

30年先を見据えた変革に取り組む

加地: サッカー界での仕事としては、どんなことから始められたのでしょうか。

小野: まずは現状把握から始まって、責任企業であるパナソニックとの連携強化に取り組みました。というのも、パナソニックはグローバルで約25万人、国内だけでも約10万人の従業員を抱える大企業ですから。その方たちにまずわれわれのファンになってもらうことを考えようと。例えば、パナソニックは創業者である松下幸之助氏の教えを今も受け継いでいて、ほとんどの都道府県に1つは工場があります。そこには従業員向けの売店が100店舗あり、そのすべての売店にガンバのグッズコーナーを設置していただいて、ガンバのことを身近に感じてもらえるように働きかけました。その効果あってグッズの売り上げも飛躍的に伸びましたし、今年(2021年)10月の「クラブ創立30周年記念マッチ」ではたくさんのパナソニックの従業員の方たちにチケットを購入していただき、スタジアムに足を運んでいただきました。

加地: それにしても、お話を聞いていると、とにかく小野さんのパワーというか、仕事への情熱を感じます。小野さんご自身は、ガンバで働く上で必要な能力というか、雇用に際してここは譲れないと考えていることはありますか。

引退後もガンバ大阪との関わりが深い加地さん。クラブが求める人材像について切り込んだ[写真]宮原和也

小野: 一番は、自分がこのクラブをこうしていきたい、という「熱」を持った人材が不可欠だと思います。実際に今も、例えば営業担当者には「自分がクラブを代表して、社長になったつもりでこのクラブを応援してほしいという思いを伝えてください」と言っています。もっとも、単に「熱を上げろ!」だけでは通用しないということも理解しています。そこは雇用する側の責任として、継続的に社員のやる気を高めていくような働きかけやクラブ経営がマストだと考えています。

加地: なるほど。一人ひとりの熱が必要であり、その熱を高めるための経営が必要であると。

小野: というのも、私はこの先、新型コロナウイルスが収束しても世の中はすぐにかつてのようには戻らないだろうと予想しています。実際に2021シーズンも、終盤にかけて収容人数の上限が少しずつ増えましたが常に満員というわけにはいきませんでした。そのことからも、今後はよりスタジアム離れが顕著になっていく可能性もあります。そうした状況下でどうにか経営を黒字に転じていくにはまず、そこで働く人たちの熱が不可欠です。それがあるから面白い企画、仕掛けのアイデアも生まれるはずだし、その継続が愛着につながってクラブ全体の熱も高まっていくと思っています。

加地: その仕掛けの部分では10月には新コンセプトとともに新たなエンブレムも発表されました。エンブレムの変更は勇気のいる決断だったのではないですか?

小野: そうですね。私が社長に就任して半年後くらいから、パートナー企業様をはじめ、ホームタウンの行政関係者、選手、スタッフなどに「今のガンバはどう映っているのか」「どんなクラブになることを期待するのか」といった聞き取りをさせていただいたんです。その上でガンバが抱える課題をあぶり出し、繰り返し議論を続けてきた中で、クラブとして向こう30年を見据えた変革が必要だと考えました。

加地: エンブレム以外にも最近はスタジアムを装飾するなど、新たな仕掛けをされています。狙いを聞かせてください。

小野: スタジアムにご来場いただく方は当然、試合を、勝つことを楽しみにされているのは重々理解していますし、そこはわれわれもクラブとして求め続けなければいけないと考えています。また、それと並行してスタジアムに行くワクワク感を増すような仕掛けをもっと行っていきたいな、と。それもあってクラウドファンディングによって皆さまからいただいたご支援をもとに、現役選手やOB選手のパネルを使ったスタジアム装飾も始めましたし、万博記念公園駅からスタジアムまでの道のりをより楽しいものにするために『ROHTO road』と称した取り組みも行っています。そうした仕掛けによってパナスタにご来場いただく楽しみをもっと増やしていきたいと思っています。

クラブ創立30周年を迎えたガンバ大阪。新シーズンに向かってさらなる飛躍を誓う[写真]宮原和也

加地: となると、あとはタイトルですね!

小野: そこは私も最優先の目標として描いている部分です。パナスタが完成してからタイトルを獲れていないシーズンが続いていますが、このスタジアムで満員のお客さんとともにタイトルを喜び合うことが私の夢であり目標です。そのためにここまでお話ししてきたような取り組みを含めて熱を持ってクラブ経営を行っていきたいですし、加地さんはじめOBの皆さんにもぜひお力をお借りしたいと思っています。

加地: 今年は苦しく厳しいシーズンでしたが、来年こそは期待していますし、引き続きぼくも応援させていただきます。本日はありがとうございました!

このエントリーをはてなブックマークに追加