行動している人の熱意は信じられる
宇都宮ブレックス 代表藤本 光正さん
SPORT LIGHT Academy 第13回レポート
藤本 光正(ふじもと・みつまさ)さん 38歳
株式会社栃木ブレックス
代表取締役社長
スポーツ業界で活躍する著名な方をお招きし、パーソルキャリア執行役員 大浦征也とのトークを通じて“スポーツ×ビジネス”で成功する秘訣に迫る「SPORT LIGHT Academy」。2020年11月19日に行われた第13回のゲストは、Bリーグ所属、宇都宮ブレックスの代表を務める藤本光正さん。スポーツ業界の人材に求められるスキルや、そのスキルを伸ばすための考え方について、自身の経験をもとに語ってもらった。
バスケをメジャーにする
藤本さんは東京で生まれ育ち、小学校低学年のときにバスケットボールに夢中になった。プロ選手を目指し、高校からはアメリカに留学してバスケに打ち込んだが、大学進学のために帰国するころには、バスケを取り巻く「環境」のほうに意識が向いていたという。「アメリカでは誰もが日常的にNBAのことを話題にしているのに、当時は日本にはプロリーグもない、プレーする場所も少ない。こんなに面白くて魅力あるスポーツを、なぜみんな理解してくれないんだろうと」。そこで自分なりに導いた答えが「スポーツビジネス」だった。
いつかバスケをビジネスとして成立させ、日本でもメジャーなスポーツにする――。その夢のために早稲田大学人間科学部(現スポーツ科学部)に入り、スポーツビジネスの理論を猛勉強した。タイミングよく大学3年のときにbjリーグが発足することになり、所属していたゼミの教授の取り計らいでインターンシップを体験。そこで大きな気づきを得ることになったという。
「当時からスポーツビジネスの知識を頭に詰め込んでいたので、ある程度は戦力になれるのではという自信があったんです。この先の展開は分かると思いますが(笑)、その自信を打ち砕かれました。ビジネスそのもののスキルがなければ、知識をいくら詰め込んでも駄目だと感じました」
まずビジネスパーソンとして成長してからスポーツ業界に挑戦するべきだ。そう結論づけた藤本さんは、大学卒業後に株式会社リンクアンドモチベーションに入社。「人材の成長が速い」という評判や「スポーツ関連事業も行っている」ことが決め手だった。「3年から5年は腰を据えて成果を出して、それからスポーツビジネスに挑戦したいと思っていたんですが、神様のいたずらと言いますか、会社が栃木にバスケチームを立ち上げることになったんですね。“そう言えば藤本、バスケのビジネスをやりたいと言ってたな、じゃあ行ってこい!”と(笑)。新卒1年目、2007年の1月から宇都宮に引っ越すことになりました」
ブレックスを立ち上げた当初、常駐スタッフは2人。藤本さんは文字どおり「すべての業務をやりました」と振り返る。「チケット、プロモーション、スポンサー営業、選手のリクルート、グッズ、スクール……今では絶対に体力がもたないと思います(笑)」。その後、2016年には取締役副社長に就任。2018年には多忙の合間を縫ってグロービス経営大学院を修了(MBA)し、2020年に代表取締役社長に就任した。
設立14年目を迎える宇都宮ブレックスは、日本人初のNBAプレーヤーである田臥勇太らを擁する、リーグ屈指の人気チームに成長した。大企業を親会社に持つ形態ではなく、地域に根ざした独立採算のチームとして運営され、入場者数は年々増加している。「売り上げ構成ではBtoCの割合が大きい。ホームゲームの集客が経営のキードライバーになっています。だからこそコロナ禍で大きな打撃を受けましたが、悲観はしていません。コロナがなければ発想すら浮かばなかったかもしれないアイデアが次々と形になったり、コストの適正化も進んだりと、前よりも経営効率の高い組織へと変化するためのきっかけを与えてくれました」
刃を研ぐ時間を作る
キャリアを振り返りながら、藤本さんは経験を積んだ今の視点を挟んでいく。一つのキーワードとなったのは「ポータブルスキル」だ。例えば、大学生のときにインターンシップで自信を打ち砕かれた経験について、いわゆる「人材要件フレーム」に当てはめて解説してくれた。ピラミッド型のモデル図で、土台はスタンス(物事に対する姿勢)、その上にポータブルスキル(対人力、対自分力、対課題力)があり、頂点にテクニカルスキル(専門知識)という構造になっている。
「このフレームで言えば、大学時代の自分は一番上のテクニカルスキルばかり学んでいた状態でした。スポーツ業界に特化した知識を覚えて、それで何かできるつもりになっていたわけです。でも、ピラミッドは土台が大きくなければ高さも伸びません。ポータブルスキル、つまりコミュニケーション力や課題解決力といった、どんな業界に行っても持ち運び可能なスキルがなければ専門知識は活かせない。インターンではこの構図と自分の現状がシンクロしたのが最大の収穫でした」
ポータブルスキルの重要性は理解できたとしても、いったいどのように鍛えればいいのだろうか? 進行役を務める大浦の問いかけに、藤本さんが答える。「仕事をとおして鍛えられる部分はもちろんありますが、自分は仕事以外の時間をどう確保するかをすごく考えていました。目の前の成果を出すために自分の時間を100%使っていたとしたら、いつ能力を伸ばすのかと。よく聞くたとえ話ですが、“木こり”が毎日、木を何本切れるかに集中してしまい、斧がボロボロになっていることに気づかないというものがあります。中長期的に見れば、一度木を切るのをやめて刃を研いだほうがいい。その『刃を研ぐ時間』を作って、本を読んだり、人に会ったり、地頭を鍛えたりして、自分の人間的な幅を広げる必要があると思います」
「刃を研ぐ時間」を作るためには、自分がどう時間を使っているのかを「知る」ことが必要になると藤本さんは言う。「自分が現状でどんな時間配分をしているかを把握し可視化することが大切です。見えないものはマネジメントできないので。忙しいとつい目の前の成果を出すこと“だけ”になってしまいますが、少し立ち止まって、中長期的に成長につながることにいかに時間を振り分けるか。“今やらなくても困らない”けど“将来のためには絶対にやっておいたほうがよいこと”、つまり7つの習慣の“緊急ではないが重要なこと”にいかに意識して時間を使えるかが非常に重要だと思います。私個人で言えば、MBAをとったのもその一つです。その当時絶対必要だったわけではないですが、将来につながるスキルや人脈を築こうとしたわけです」
藤本さんの言葉を受けて、大浦がフォローする。「ポータブルスキルという決まったスキルがあるわけではないんですよね」。長年、転職希望者のキャリアカウンセリングやサポートに携わってきた大浦にとっても、「ポータブルスキル」は重要、かつ言語化しにくいキーワードなのだそうだ。「決まったことを学ぶというよりも、自分の持っているさまざまなスキルを客観視して、『持ち運びできる状態』にしておくという意識が重要。自分を客観視するためには、外の世界を見なければいけないんです」
熱意は行動で分かる
チーム立ち上げの苦しい時期をどう乗り越えたか、田臥勇太選手入団の裏話、MBA取得のきっかけなど、トークテーマは尽きないなか、開始から1時間ほどが過ぎたところで参加者との質疑応答の時間が設けられる。スポーツ業界への転職を考えている方からの、現実的な質問が相次いだ。
「スポーツビジネスにおけるキャリアプランにはどのようなものがありますか?」という質問に対して、藤本さんは「自分のケースだとゼネラリストとして成長したことが役に立った」と前置きしつつ、「どのようなキャリアを求めるかは人によって異なる」と指摘する。組織には、あらゆる業務にわたって幅広く活躍できる人材も、何らかの専門性に特化した人材も必要になる。「『どのようなキャリアプランがありますか』ではなく、『あなたがどのようなキャリアプランを持っていますか』という話だと思います」
「どんな人を採用したいですか?」という参加者の質問に対しては、「採用する側」の目線から鋭いアドバイスを送った。「職種にもよりますが、テクニカルスキルは後からキャッチアップできるので、見るポイントはやはりポータブルスキルと仕事に対する熱意です。スポーツ業界に転職することで年収が下がるケースがまだ多いのが実情ですが、熱意がないと心が折れてしまうこともあると思います。どれだけ本気でこの業界に入りたいか、ここで何を成し遂げたいか、それがどれだけ伝わってくるかは見ています」
「熱意があるというのは、バスケの大ファンとはちょっと違いますよね」。大浦がそう問いかけると、藤本さんもうなずき「熱意とは行動量だと思います」と答える。「熱意があると口で言うのは簡単ですが、実際にどれだけ行動に移しているのか。実際にスポーツ関係者にヒアリングしたり、チーム発展のためのプランを作ってきたり、行動がセットになっている人の熱意は信じられます。採用のときはおもに『どんな行動をしてきたか』をヒアリングしていますね」
行動することに加えて、絶対に必要なのは「現場を知ること」。バスケだけでなく野球も見る、サッカーも見る、音楽のフェスも行く。実際に「現場」に足を運んでいる人は、感じること、気づくことが違うという。「ほかのエンターテインメントとの対比は非常に重要です。バスケだけ見ています、という人はバスケの事例やアイデアしか思いつかない。流行やテクノロジーに触れて、今、何が人々の心を動かしているのかを感じ取ることが大切。インプットがないとアウトプットも生まれません。それは必ずしも直近の仕事と結びつけて考えなくてもいいと思っていて、スティーブ・ジョブズさんの“Connecting The Dots”という有名な話があるように、とにかくさまざまな経験をしておくことで、将来思いもよらぬ形で何かにつながったり、役に立ったりするものです。とにかく食わず嫌いせず、興味の赴くままにいろいろなものに触れることが重要です」
興味深い質疑応答が続くなか、印象的な言葉があった。「コロナ禍のあと、ブレックスの未来にどんなビジョンを描いていますか?」という問いかけを寄せられたときだ。「コロナ禍は将来的に手をつけなければいけない部分を早回しさせてくれた」と藤本さんは言う。「この半年間で、オンラインにシフトすることでいろいろな事業が生まれました。デジタル上でアリーナを体験できるアプリをリリースしましたし、クラウドファンディングや投げ銭など、以前からアイデアはあったけれど実現できていなかった試みも進めることができた。これでコロナ禍が終われば、新しい収益の柱が増え、ハイブリッドになるので経営効率が高まります。コロナはポジティブな側面も大きいととらえています」
13年前、何もないところからバスケチームを立ち上げた。最初はまさに「道なき道を行く」心境だったという。「今のコロナ禍の状況も大変ですが、2007年の設立当初は資本金が1,000万円しかなく、社員は2人だけ、選手もいなかった。これで本当にチームができるのか?と思うこともありました(笑)。でも今は大勢のファンがいて、スポンサーがいて、社員がたくさんいて、いい選手がいます。これだけアセットやリソースがあれば、今のほうがよっぽどいい状況だと思うので、きっと乗り越えられると信じています」