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「新日本を世界に広める」
インタビュー後編

新日本プロレス 広報宣伝部 兼 興行事業部井上 亘さん

プロレス

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井上 亘(いのうえ・わたる)さん 45歳
新日本プロレスリング株式会社 広報宣伝部 広報宣伝コンテンツセクション 興行事業部 渉外・選手セクション 主任補佐

15年間のプロレスラー生活は平坦ではなく浮き沈みもあったが、これは自身が望んでいたものでもあった。「打ちこむものが欲しくてプロレスラーを目指した」。しかしケガにより無念の引退。プロレスラーに未練が「ないわけではない」が、切り替えて新たな目標を見つけた。「私のようにプロレスに出会えて良かったと思う人を一人でも多く増やしたい」(2018年10月18日取材)

「負けたけど好きな試合」という、ミラノコレクションA.T.との2007年BEST OF THE SUPER Jr.14 決勝戦[写真]新日本プロレス

デビューして世界が広がった

プロレスラーとして約15年の選手生活を過ごしました。総括してどんなキャリアでしたか?

喜怒哀楽を存分に味わいました。私は学生時代、喜怒哀楽の乏しい生活を送っていました。それが嫌で、打ちこむものが欲しくてプロレスラーを目指したんです。実際にプロレスラーになり、本当にいろいろなことを経験させてもらい、濃い時間を過ごすことができました。話はそれますけど、昨日会社の後輩に「最近どうですか?」と聞かれて、「調子いいよ」とその時にパッと言ってしまったことがありました。私は人生にはバイオリズムがあると思っています。45年も生きていると、「あ、今いい感覚だな」「あの時に似ているな」というのが分かるんです。今の自分の周りにある空気も含めて、私が初めてIWGPジュニアタッグ王座を取った時の感覚と似ていると感じていました。あの時の肌に残る感覚を思い出せば、今の私は私利私欲の気持ちがなければ突っ走っていい時だと思う、なんてことをその後輩にも伝えたくなってしまったんですね。

井上さんが「プロレスラーになれた」と感じた瞬間はあるのでしょうか?

先ほども触れた2005年3月4日、金本(浩二)さんと一緒に初めてジュニアタッグのベルトを取った時です。私は人を感動させる試合ができるプロレスラーになりたかったので、この時それができたな! と思えた瞬間でした。対戦相手が邪道選手と外道選手で、会場中が大爆発するような、激しく、盛り上がる試合をすることができて、終わった時にリング上から周りを見渡すと、泣いて喜んでくれるファンがたくさんいたんです。みんなも私も幸せでした。

練習生時代に厳しいトレーニングを重ね、デビュー後もさまざまな苦労があったと思います。それでもトップレスラーになるまで続けられたのは、何か信念のようなものがあったのでしょうか?

新日本が大好きだからです。デビューした時に、自分の想像以上の、100倍、1000倍、いや1万倍ぐらい世界が広がったんです。想像もできないほどの幸せが降ってきたんですよ。キツいことの先に幸せがあることを知り、それからはその幸せに向かって戦い続けました。

2013年3月から「頚椎椎間板ヘルニア」と「右変形性肩関節症」により欠場することになりました。どういう経緯で欠場を決めたのでしょうか?

首のヘルニアは、新日本プロレスに入る2週間前になりました(苦笑)。でも若さってすごくて、痛くてもできちゃうんですよ。ただそれでも、毎日エルボーを食らいますからね(笑)、年齢を重ねるうちにどんどん大変になってきて。手術してしっかり治して、復帰する可能性に賭けました。

その時は、引退は考えていなかった?

そうですね、辞めた先の現実を受け入れたくありませんでした。何としても残りたかったです。でも結局、練習ができるぐらいまで回復することはありませんでした。リングに上がるための最低限の練習ができない以上は辞めるしかないと、それで決めました。

当時の心境は?

苦しかったですよ。当時私は新日本プロレスの携帯サイトで日記の連載をしていましたが、相当重い内容だったと思います。今も読み返したくないですもん。その時々のリアルな感情を書きましたけど、ほかの方には読むのをとても勧められません、テンションを下げますから(苦笑)。今は明るく話せますけど、その時は先が見えなくて本当に苦しかったです。

2014年に15年間の選手キャリアに終止符を打った[写真]新日本プロレス

他業界への転身も考えていた

引退されてすぐに新日本プロレスの社員として働くことになりました。どういう流れで決まったのでしょうか?

新日本プロレスは毎年1月から2月にかけて、選手との契約更改があります。その契約更改をする前、2013年10月に、私自身もうできないなと感じて、会社に「引退します」と伝えました。時系列があいまいですけど、確かその時に「ここに残りませんか?」とお誘いいただきました。ですが、私はその時すぐに「お願いします」とは言えませんでした。

それはなぜでしょうか?

引退を決断して気持ちがすごく落ちていました。それは私が会社に残って何ができるか分からなかったからです。例えばリングを作る仕事だとしても、あの時はできなかったです。自分が作ったリングで、仲間が輝いている姿を見たくなかったので。その時はほかの選択肢として、ウェディング関連か葬儀関連の業界に進もうと考えていました。生活のために無職になるわけにはいかないですから。そんな中、会社から改めて「広報宣伝部はどうですか?」という提案を受け、いろいろ考えた末に残ることを決めました。私にこうして声を掛けてくれる新日本プロレスには感謝しています。私は転職って縁が大事だなあと強く思います。私の場合は「人とのご縁」で今があります。今の私の上長は、この時から親身になってサポートをしてくれました。

引退して4年が経ちました。今思い返して、プロレスラーに未練はありますか?

ないわけではないですよ(苦笑)。でも、立ち止まっていられないですから、前に進み続けています。

新日本プロレスをリング外から見るようになって、率直にどう感じますか?

正直に言えば、会社としての答えと、元選手である自分個人の答えの2つがあります。会社としては、ポテンシャルを考えればまだまだです。もっともっと広げていかないといけない。新日本プロレスは世界を相手に戦っているわけですから。日本でファンが増えてきたので、その勢いを世界に広げていかなければいけないと思っています。

では元選手としては?

選手が楽しそうにしているからいいですよね(笑)。会社のいい状態が、選手控室にそのまま出ていて、緊張感がありながらもムードはいいですよ。自分が現役だったころも希望を持ってやっていましたけど、当時よりいい状態だなとつくづく思います。

今は社員として会社を、団体を引っ張る立場になりました。どんなところで力を発揮していきたいですか?

会社全体で言えば、新日本プロレスを、選手たちを、まだプロレスを知らない方々に知っていただいて会場にもっともっと足を運んでもらうことです。個人的には、選手のセカンドキャリアの道を作ったり、病院などプロレスの力が必要なところに届けたりすることに、引き続き取り組んでいきます。

現在の新日本プロレスについて「選手控室の雰囲気がとてもいい」[写真]兼子愼一郎

ずっと思い続ける一番の夢

プロレス界は特殊な業界だと思いますが、どんな人と一緒に働きたいですか?

まずはやる気のある人ですね。うちの会社はやる気がある人には何でもやらせてくれます。私自身も『athletic camp LION』や病児支援など、私からやりたいことを提案してやらせてもらっています。やる気はプラスの気持ちですからね、それは会社のプラスにもなると信じています。そうそう、『athletic camp LION』では経理などをお任せできる事務職の方を探しています。会員の皆さまと明るくコミュニケーションが取れる方がいいです。だからこのサイトをご覧の方で『athletic camp LION』での仕事に興味のある方は「SPORT LIGHTを見た!」と言って、ぜひ来てほしいですね。私が勝手に「ご縁」を感じると思います。

最後にこれからの目標や夢がありましたら教えてください。

これも個人と会社で2つあります(笑)。自分自身のことで言えば当然のことですけど、家族をもっと幸せにすること、と思いましたが……よくよく考えると今も十分幸せです。きっと家族もそう言ってくれます。

では会社としては?

新日本プロレスを世界に広める、というお話をしましたけど、世界はもう隣駅のように近いですし、できると思います。私が入社してから、ある出版社から取材を受けた時に「宇宙で試合をする」と言ったことがありますけど、それも夢ではないなと。あと……結局、私個人の話になってしまうのですが(笑)、私のようにプロレスに出会えて良かったと思う人を一人でも多く増やしたいです。それが、私が入社してからずっと取り組んでいることです。

新日本は「やる気がある人には何でもやらせてくれる」[写真]兼子愼一郎

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