一人のプロとして
Jリーグに携わる幸せ
名古屋グランパス スタジアムDJ TYK Promotion 代表YO!YO!YOSUKEさん
サッカー
YO!YO!YOSUKE(ヨーヨーヨースケ)さん 40歳
名古屋グランパス スタジアムDJ
TYK Promotion 代表
名古屋グランパスの得点が決まると、力強い「ゴォォーール!」のアナウンスがスタジアムに響きわたる。ファン・サポーターにはおなじみとなった“声”の主は、スタジアムDJを務めるYO!YO!YOSUKEさんだ。テレビレポーターやラジオDJ、さらにはプロデューサー、経営者としても活動する彼が、「キャリアの分岐点」と位置づけるのがスタジアムDJの仕事だった。(2020年12月25日取材)
スタジアムの空気感を演出する仕事
現在、東海地方を中心にテレビやラジオ、イベントMCなどマルチに活躍されていますが、名古屋グランパスのスタジアムDJとしての仕事内容について教えてください。試合日はどういったスケジュールで動いているのですか?
ホームゲームの数日前にクラブから進行表が送られてくるので、自分で作ってあるフォーマットと進行表と照らし合わせながら台本を作ります。試合日はキックオフの5時間前にはスタジアムに入り、クラブスタッフの方々と打ち合わせをして、当日出てきた新しい情報を台本に加えて全体の進行を把握します。それから、試合前にいろいろなゲストをお招きする「YO!YO!YOSUKEコーナー」という企画があるので、そのリハーサルをします。キックオフの1時間半くらい前から「YO!YO!YOSUKEコーナー」で場内を盛り上げて、その後は選手たちがピッチに登場してウォーミングアップを始めます。そこからは声だけで先発メンバーや交代選手をお伝えする仕事になりますね。
渡された台本を読む仕事というよりは、試合全体の演出を考えながら場を盛り上げていく仕事ということでしょうか?
そうですね。演出についてはクラブ側の考えもあればぼくの意見もありますし、名古屋グランパスが「ファミリー」と呼んでいるサポーターのみなさんの声もありますから、お互いを尊重して、うまく協力しながらスタジアムの空気感を作っています。ゴール裏で応援するようなサポーターグループの人たちとも定期的にコミュニケーションを取って、彼らが求めている演出とクラブ側の考えをすり合わせながらやり方を決めてきたんですよ。選手にとって一番いい雰囲気で試合に臨んでもらいたい気持ちはみんな同じですから、ファミリーのみんなと一緒に作ってきたものが結果的に今の形になったように思います。
サポーターの存在をそれほど重要だと捉えているんですね。
だからこそ、新型コロナウイルスに振り回された2020シーズンはいろいろと考えさせられました。Jリーグが一度中断したあと、再開後のガンバ大阪戦がリモートマッチ(無観客試合)になったんですが、自分がどれだけ声を出しても、誰も受け止めてくれない。切ない気持ちになりましたね。選手たちも気持ちを奮い立たせることが難しかったと言っていましたし、ぼくたちも観客がいない試合はこんなにむなしいのかと感じました。そもそもぼくはファミリーを盛り上げるためにそこにいるわけですから、自分の存在価値は何だろうと考えてしまって。その後、ファミリーのみなさんが少しずつスタジアムに戻ってきてくれたときは本当に感謝したい気持ちになりました。声を出せなくても、試合を見に来てくれる人がいるだけでこんなに空気が違うんだと。そう感じることができたのはリモートマッチがあったからこそだと思います。二度と経験したくはないですけど(笑)。
スタジアムDJという仕事で達成感を得られるのはどんな場面でしょうか?
自分の声や演出でスタジアムの空気感をうまく作り出せたときはうれしいですね。ぼくはスタジアムで流す楽曲も自分でセレクトしているんですが、2020シーズンは勝利したときに最初にかける曲として「ザ・ロイヤル・コンセプト」の『オン・アワ・ウェイ』という曲を選んだんです。サポーターのチャントの一つに採用されている曲なので、スタジアムに流すと自然と手拍子が生まれるんですよ。新型コロナ対策としてサポーターも声を出せない状況でしたが、試合に勝って選手たちが場内を一周するまでの間に、曲に合わせてみんなが手拍子をして選手を迎える流れを作ることができた。そういう場面はすごく達成感があります。ただ、自分がどれだけ完璧に仕事をしても、グランパスが試合に負ければ達成感は一切ないですよ。良い意味でも悪い意味でもチームの結果次第。自分の力ではどうにもならない部分ですが、それもこの仕事のおもしろさだと思っています。
好きな音楽とサッカーを仕事に
そもそも、どういった経緯でDJやMCのお仕事をされるようになったのですか?
ぼくは名古屋出身で、高校までサッカー部でGKをしていました。Jリーグが開幕したときは中学2年生で、Jリーガーを夢見て頑張っていたんですが、プレーヤーとしてはプロのレベルには到底たどり着けないと分かった。ただ、GKをやっていて唯一褒められたのが声だったんです。「お前の声はよく通る」と。それで声を使った仕事をしたいと思うようになり、もともとアニメが好きだったこともあって声優の勉強をして、名古屋でタレント活動をしていました。その後イングランドに留学して、本場のサッカーや音楽に触れて、英語も好きになって。日本に戻ってきたとき、自分の声や音楽の知識を活かせる仕事ということでラジオDJをやろうと思ったんです。地元のZIP-FM(愛知県を放送対象地域とするFMラジオ局)のオーディションを受けて、2005年からラジオDJの仕事がスタートしました。
その2年後、2007年には名古屋グランパスのスタジアムDJに就任されています。どういう経緯だったのでしょうか?
当時、名古屋グランパスのスタジアムDJはZIP-FMの先輩でもあるケン・マスイさんが担当されていたんですね。それが偶然、ぼくがZIP-FMのDJに就任した年にマスイさんがスタジアムDJを退任されることになり、後任を探していると。ぼくが大のサッカー好きだという話は周囲もみんな知っていましたから、ZIP-FMのスタッフがオーディションを紹介してくれたんです。オーディションには全国からいろいろな方が集まっていたんですが、これも偶然、地元出身の候補者がぼくだけでした。地元愛を猛アピールしましたね。名古屋弁で自転車のことを「ケッタ」と呼ぶんですけど、「瑞穂スタジアムならケッタで行けます!」と(笑)。無事にオーディションに受かったときはうれしかったですよ。もともと自分の声を使って仕事をしたいと思っていたのが、ZIP-FMと名古屋グランパスのおかげで大好きな音楽とサッカーに関わる仕事ができるようになった。この2つは自分のキャリアにおいても重要な仕事になりました。
その後もラジオとスタジアムDJの仕事を継続しつつ、テレビレポーターやナレーター、イベントMCとしても多方面で活躍されています。どの仕事にも共通して大切にしていること、心がけていることはありますか?
ぼくはタレントや声優を育てる養成所も運営しているんですが、そこでよく言っているのは「100点では足りない」ということ。仕事を依頼してくれた方々、クライアントさんが求める100点ではなく、120点を出さなければ次の仕事にはつながりません。他人が想定する以上のものを提供するのがプロです。そうすると自分も成長しなくてはいけないし、周囲から求められるレベルも上がってくる。おのずと仕事のクオリティも上がっていきます。与えられたことを無難にこなすのではなく、自分だからこそできることを提供する。常にそう意識することが大事だと思います。
日々の積み重ねがないと、クライアントとの信頼関係も生まれないのかもしれません。
そうですね。ちょうど先日(2020年12月20日)、名古屋グランパスのファン感謝デー「LOVE GRAMPUS Festa 2020」がありました。ぼくは毎年メインMCとして進行を担当していますが、クラブからはほとんど何の注文もなく、進行を任されているんです。普通のイベントではあり得ないやり方ですが、それだけ信頼されているのは一つひとつの仕事を積み重ねた結果だと思いますね。当日は本当に大変なんですが、それでも自由にやらせてもらえるのはありがたいことです。
そういった仕事への向き合い方を形成するうえで、誰か影響を受けた人物はいますか?
歴史上の人物でいいなら、吉田松陰が好きなんですよね。もちろん日々の仕事で影響を受けた方はたくさんいますが、ぼくがいろいろなことを考えるきっかけになったのは吉田松陰の生き方を知ったことなんです。ご存じかと思いますが、吉田松陰は幕末に松下村塾を開き、のちに倒幕や明治維新を進めた高杉晋作、伊藤博文らの先生となった人です。彼は江戸幕府によって処刑されてしまうわけですが、亡くなったときにわずか29歳だった。ぼくが吉田松陰に興味を持って本を読んだりしたのも、ちょうど29歳のときだったんですよ。自分は何も名を残すようなことをしていない、自分の使命は何だろう。そう考えたときに、生まれ育った名古屋をもっと盛り上げて、全国的に誇れる街にすることじゃないかと気づきました。名古屋でタレント事務所や養成所を立ち上げることになったのは、そういう思いがあったからです。
全国どこに行っても分かってもらえる
2018年からはタレント・声優のマネジメント事業を始めました。
名古屋を拠点にしながら、全国にエンターテインメントを発信していける存在になりたいと思ったんです。名古屋市が数年前に「都市ブランド・イメージ調査」というプロジェクトで日本の大都市の魅力を比較したら、名古屋が最下位でした。名古屋に住んでいる地元の人たちが、自分たちの街には魅力がないと思っている。その結果を見たとき、名古屋のエンタメ界に身を置く一人として、自分の仕事を否定されたような感覚を覚えました。だから名古屋の人たちと一緒に、名古屋から新しいエンターテインメントを作って、街の魅力を発信することに残りの人生を使いたい。30歳を超えてからは常にそう思っていますね。
そういった思いがあるなかで、名古屋グランパスに関わるスタジアムDJという仕事はどう位置づけていらっしゃいますか?
今のキャリアを築くうえでは一番大きな仕事だったと思います。名古屋グランパスの仕事をしていると言えば、全国どこに行っても分かってもらえる。クラブのパートナー企業とも接点ができて、それが新しい仕事につながったこともあります。ぼくのキャリアのいろいろなものをつなげるハブになっていると思いますね。よく考えれば、ファンが毎回2万人も集まるイベントなんてほとんどないんですよ。音楽業界でもチケットが2万枚売れるのは一流のアーティストだけでしょう。毎週のようにそんな光景に出会える場所があるというのは、改めて考えると信じられないことだと思います。
スタジアムDJとして14年目のシーズンが終わりましたが、いつまで続けるかは考えていらっしゃいますか?
誰にも渡したくない仕事ですよね。もちろん自分の意思だけで続けられるわけではないですし、いずれは次世代にバトンを渡すときが来ると思います。ただ、今のところはクラブともファミリーとも良好な関係を築きながら、名古屋のためにいろいろな情報発信ができていますから、大事に続けたいと思っています。中学生のとき、Jリーガーになりたいと思っていた夢からはずいぶん違った関わり方になりましたが、一人のプロとしてJリーグに携われていることは幸せですよ。ただ14年も続けていると、大半のクラブスタッフの方よりも古株になっているので、老害にならないように気をつけないと(笑)。
スポーツの現場に限らない話かもしれませんが、声を使って表現する仕事にはどんなタイプの人が向いていると思いますか?
動機は「モテたい、目立ちたい」でいいと思います(笑)。欲がある人がいいですよね。何かになりたい、何かをしたいという夢と、それに対する欲がないと行動も努力もできないでしょう。ぼくたちの職業というのは、そこにいることによって何かをプラスアルファする、付加価値を生み出すことが仕事です。極論すれば世の中にいてもいなくてもいいんですよ。「どうしてもこれをやりたい!」という情熱がなければ、そもそもやる必要がない仕事なんだと思います。
今後の目標として、思い描いている夢はありますか?
今は、自分が表に出るよりもプロデュースの仕事に力を入れています。ぼくが表に立たなければいけない仕事を除けば、すでにメインはプロデュース業です。今は名古屋でエンターテインメントを企画するとき、東京からタレントさんを呼ぶのが普通なんですよ。それでは名古屋のエンタメ界が育たない。繰り返しになりますが、ぼくは名古屋を魅力的な街にしていきたいし、そのためには何よりも人が大事だと思っています。ぼくが若いタレントを育ててサポートすることで、名古屋から全国に発信するようなエンターテインメントを作りたい。名古屋のエンタメ業界にとっての吉田松陰になりたいんです。