スマートフォン版で表示

現在、お知らせはありません。

アメフトの世界で
日本人としてチャレンジ

スタンフォード大学フットボール部 コーチ河田 剛さん

その他

このエントリーをはてなブックマークに追加

河田 剛(かわた・つよし)さん 46歳
スタンフォード大学フットボール部
コーチ

リクルートシーガルズ(現オービックシーガルズ)でオフェンスラインとして活躍。選手として3回、コーチとして1回、日本一に輝き、2007年に渡米後、スタンフォード大学フットボール部のボランティアコーチに就き、2011年にはオフェンシブ・アシスタントに就任した。指導者キャリアの階段を駆け上がり、未来のNFL(米プロフットボールリーグ)プレーヤーを育成する河田剛さんを突き動かすものとは。(2019年3月29日取材)

シーズン中はミーティング資料やビデオの制作に多くの時間を割く[写真]山口剛生

野球からアメフトへ

フットボールの名門であるスタンフォード大学のオフェンシブアシスタントとして、どのような1日を過ごしているのですか?

シーズン中は毎朝6時ごろ、オフィスに行き、グラウンドで行う練習以外はデスクワークが主な仕事になります。PCに向かい、パワーポイント等を使ってミーティングで使用する資料を作ったり、相手チームや選手の特徴をまとめたスカウティングビデオを制作したりしています。

練習はどのような形で行っているのでしょうか?

カレッジフットボールは7月末から11月末までがオンシーズンで、その期間中も週に20時間までしかチームとしての活動ができず、オフシーズンはチームとしての活動が基本的に認められていません。これはNCAA(全米大学体育協会)で決められています。ウェイトトレーニングなど個々の練習時間は別ですが、試合で3時間を取られるので実質17時間がチーム全体で取り組める練習時間になります。ただし、アメフトはミーティングに多くの時間をかけるスポーツで、スタンフォード大学の場合、基本的に1週間のフィールドでの練習時間は月曜が50分、火曜は2時間5分、水曜が2時間弱で、木金曜は各45分。土曜に試合を行い、日曜は休みとなります。もっとも、我々は日曜も朝から夜まで働いていますが。限られた練習時間の中で、いかに段取り良く練習を行うか、ミーティングで効率良く情報を伝え、チーム全体で共有できるか。そこがコーチとそのアシスタントの腕の見せどころになります。選手にとって練習時間以外は原則的に勉強する時間です。学生の本分は学問であるという考え方が徹底されているんです。ですから学業をおろそかにする選手は試合に出場することはできません。

そもそもアメリカンフットボールを始めたきっかけは?

子どものころから高校まで野球一筋だったのですが、ちょうどぼくが高校生だった1980年代、アメリカンフットボールのブームが沸き起こって、テレビを見ながら単純に「かっこいいな」と、あこがれを抱いたのが始まりです。大学から本格的に始めたのですが、チームは関東学生アメリカンフットボール連盟2部リーグ所属で、なかなか勝利を味わえず、タイトルとも無縁でした。それでも、やればやるほどアメリカンフットボールの魅力に取りつかれていきました。ただ、今思えば、燃費の悪い自動車をやみくもに動かしていたように思います。優秀な指導者に教わることができず、正しいルートを教えてくれるナビゲーションもなければ、街灯もない。暗闇の中をどこに進んでいるのかも分からないまま、がむしゃらに突き進んでいるような感じでしたね。新しいスポーツのとりこになり、楽しかったのですが、当時を振り返ると無駄なことばかりに時間を費やしていたなと。そういう状況を身をもって体験してきただけに、コーチの存在がいかに重要かを強く考えるようになりました。

プレーヤーとしての経験からコーチの重要性を痛感した[写真]山口剛生

転機はフロリダでの光景

大学卒業後の進路は?

もっと高いレベルでプレーしたかったので、リクルートの関連会社に入社し、社会人の強豪チームになりつつあったリクルートシーガルズに入部しました。強豪大学出身の先輩たちのレベルは格段に高く、最初の1、2年はずっと下積みで、公式戦に出場し始めたのは3年目ぐらいからでした。企業スポーツですから、月曜から金曜までは仕事に専念し、チーム全体での練習は土日が中心。そんなサイクルの中でも、経験豊富なアメリカ人コーチの指導の下でチームもぼく自身も徐々に成長することができ、入社4年目にライスボウルで初優勝して日本一を経験しました。プレーヤーとしても日本代表のオフェンスラインに選出され、1999年夏にイタリアで開催された第1回アメリカンフットボール・ワールドカップで優勝することができました。でもそれからは度重なるひざのケガに悩まされ思うようなパフォーマンスを発揮できなくなり、2003年限りで現役を退き、翌年からはシーガルズのコーチに就任しました。

その後アメリカへと渡りますが、きっかけなどはあったのでしょうか?

コーチ時代に休暇を取ってアメリカに行き、NFLヨーロッパのチームキャンプを体験したことが大きな転機となりました。NFLヨーロッパとは1991年から2007年まで行われていたNFLの下部リーグ的な組織で、活動期間も短く、レベルもやや落ちるのですが、NFLを目指すギラギラした若者と第一線をリタイアした老齢のコーチたちがエネルギー全開で活き活きとしていて、その光景に衝撃を受けたんです。さんさんと降り注ぐフロリダの日を浴びながら、青々とした天然芝の上で、年齢関係なく、自分の好きなことに情熱を傾けている。何て素晴らしいんだ、と。自分もこんな環境に身を置いて好きな仕事をとことんやってみたい。あのとき、フロリダに行ったことが、まさに自分にとっての大きなターニングポイントになったと思います。それからシーガルズのコーチを退き、2007年2月に再びNFLヨーロッパのキャンプに行きました。前回、お世話になったアメリカ人コーチに「そちらに行くのでもろもろ手配を頼む」とメールしたら、「TK(河田の愛称)、OKだ」と返事が来たので、準備万端整ったところで改めてメールしたんです。ところが今度はいっこうに返信が来ない。携帯電話に何度もメッセージを残したのですが、それでも音沙汰なし。不安を覚えながらも、チケットも休暇も取得済みだったので、日程どおりに現地に向かいました。大丈夫かなと思いながらグラウンドに着いてみると、そのコーチが満面の笑みを浮かべてぼくを出迎えてくれるんですよ。「返事? ああ、すまない。忙しくて連絡できなかったんだ」と悪びれる様子はいっさいなし(苦笑)。ちゃんと受け入れ体制を整えてくれていたので、何も問題はなかったのですが。

そういう点は日本人とは違いますね。

そうなんですよ。そんな経緯があったので、アメリカでスポーツビジネスの仕事をしているリクルート時代の先輩に話したんです。「やっぱりアメリカ人は大雑把であまり信用ならない」と。ところがその先輩は「俺もそのコーチの気持ちが分かる。仕事柄、全米だけでなくさまざまな国の学生からインターンの申し込みが来るんだけれど、細かな問い合わせを何度もしてくるのは日本人だけだ。どこに宿泊すればいいのか、レンタカーの手配はどうすればいいのか。自分で解決できることも質問してくる。ほかの国の学生たちはどうにかしてやって来て、それから細かいことを決めたり、聞いてきたりする」と言うんです。ぐさりと胸を突かれた思いでした。「自分も典型的な日本人の一人だな」と。本当に自分が恥ずかしくなりました。すると翌朝、追い打ちをかけるような出来事が重なったんです。現地でずっとぼくの面倒を見てくれていた若手コーチに「洗濯物はここに出していいの?」と何げなく聞いたら、「TKは俺にいろいろな質問をしてくるよね。質問の半分以上は自分でやってみれば分かることだよ。洗濯物もそう。出してみれば、明日の朝には分かる」と。前日の先輩の言葉、そして若手コーチとのやり取りの中で、改めて自分と向き合ったんです。「自分のやりたいことは決まっている。アメリカでアメリカンフットボールのコーチになることだ。にもかかわらず、俺はどこか保証を求めたり、言い訳ばかりを考えている。やりたいことに真正面からぶつかっていない」と。ずっと胸の内でくすぶっていたことですが、その日に決断し、会社の上司に退職の意思をメールで伝え、2007年6月末に会社を辞めました。

多くのNFL選手を輩出するスタンフォード大学でコーチを務める

2011年に正式なコーチングスタッフの一員に

退社後は、どのようなアクションを起こしたのですか?

知り合いの細いつてを頼って2007年の夏、スタンフォード大学フットボール部の門をたたいたんです。フットボール部の手伝いがしたいと。無謀ですよね。当然のことですが、けんもほろろに断られました。ただ、そこで簡単には引き下がらなかった。カレッジフットボールは絶大な裁量権を持っているヘッドコーチが首を縦に振ればすべてがOKになる世界なんです。そこで、当時のヘッドコーチ、ジム・ハーボー(現ミシガン大ヘッドコーチ)に直談判しに行きました。ありったけの情熱を振り絞って。すると「お前はそこまでフットボールを愛しているのか? ボランティアでもいいのなら」という条件付きで承諾を取りつけたんです。実はこの話には裏があって、直談判の前に、ハーボーコーチの部下だった知り合いのコーチからアドバイスをもらったんです。ジム・ハーボーは感情の起伏の激しい性格で知られたヘッドコーチで、機嫌のいいときだったらチャンスがあると、貴重な助言をしてくれて、ぼくの背中を押してくれました。もしヘッドコーチの機嫌が悪いときだったら絶対に受け入れられることはなかったでしょうし、現在の自分もありません。すべてはあのときから始まりました。

ボランティアコーチとして、どのような仕事を行っていたのですか?

基本的に雑用係です。ただ、誰でもできるような雑用を完璧にこなした上で、一つだけは自分にしかできないことをやってやろうとひそかに心掛けていました。ボランティアとはいえ、いつお払い箱になるかも分かりませんから。当時はビザの関係で一定期間しかアメリカに滞在できなかったので、その間にさまざまな雑用を引き受け、取り組みました。そうして一時帰国したら、スタッフから頻繁に電話やメールが来るようになったんです。「TK、あのファイルはどこにあるんだ?」-「あのデータはどこ?」-「TKがいないと仕事が回らないよ」と。自分がいないと困る状況がいつの間にか生まれてきたわけです。ボランティアコーチでしたが、自分の存在価値を高めていく努力を少しずつ積み重ねていきました。

その後に正式にオフェンシブ・アシスタントに就任しています。

2011年に、正式にスタンフォード大学フットボール部のコーチングスタッフの一員として採用され、9シーズン目を迎えようとしています。大学側やさまざまな人たちのサポートもあり、幸い長期間働けるビザを取得できたのですが、そのビザも2017年に失効してしまいました。そこで以前申請したけれど取得できなかったOビザ(各分野で卓越した能力を有する、卓越した業績を残した者に発給されるビザ)を再度申請し、今度は取得することができました。Oビザを取得するためには日ごろの仕事の成果だけでなく、書籍の出版やメディアへの露出といった、自分の実績を分かりやすい形で示す必要があります。アメリカではこういったセルフプロモーションがとても大事なんです。そういったことを念頭に置きながら、日米で実績を積み重ねてきた結果、Oビザを取得することができました。また、アメリカは学歴社会であることを肌で感じていましたので、University of San Franciscoに通い、2018年末に大学院(Sport Business Management Master‘s Degree)を修了しました。これもアメリカでの競争社会を生き抜く上での自分なりのチャレンジの一つです。

コーチとして、毎年入れ替わる選手とのコミュニケーションはどのように図っているのですか?

選手に対しては漠然としたアドバイスではなく、常にエビデンスベースで話すようにしています。うれしいことに昨シーズンは、NFLでプレーしているスタンフォード大学出身の選手が35人いました。問題が生じたとき、課題に直面したとき、あのOB選手はこのようにして解決してきた、と身近な例を挙げて話すことができます。頭ごなしにこうしなさい、といった言い方は絶対にしません。トレーニング一つとっても意図を話して、そこに具体例を添えて示すようにしています。

右手薬指には2012年度のRose Bowlのチャンピオンリングが輝く[写真]山口剛生

夢はNFL挑戦

将来、やってみたいことや夢はありますか?

フットボールの最高峰であるNFLのチームでコーチングスタッフとして働いてみたいです。夢のある世界ですからね。その中で自分の力を思う存分試してみたい、チャレンジしたいと考えています。日本ではあまり知られていないようですが、今年2月に開催されたNFLのナンバーワンを決めるスーパーボウルの中継番組内で楽天のテレビCMが放映されたんです。楽天の知名度はアメリカ国内ではまだ高いものではありませんが、それを逆手に取ったとても面白いCMでした。ぼくが驚いたのはアメリカ最大のスポーツイベントであり、世界で最も高額と言われているテレビCM枠を楽天が買い取って放映したことです。企業としてのチャレンジ精神を感じましたし、本当に攻めているな、と。同じ日本人としてうれしかったですし、勇気づけられました。ぼくが尊敬しているビジネスマンの一人であり楽天の創業者である三木谷浩史さんの言葉に「行動するために考えるのではなく、考えるために行動しろ」といった意味合いのフレーズがあるのですが、結果を恐れず、まずはやってみる、チャレンジしてみることが大事なんだ、と。まさにその言葉を実践しているようなCMでした。就職も、退職も、そして転職も、人生における大きな節目だと思いますが、チャレンジ、つまり行動しなければ、次の一歩は踏み出せないと改めて思いますね。

ご自身をここまで突き動かしてきた原動力とは?

2つあると思っています。1つは自分のやりたいことをやる。ぼくの場合、それがアメリカンフットボールだったのですが、本場アメリカで日本人としてチャレンジしていきたい。その気持ちは現在も変わりはありません。もう1つは日本のスポーツの力になること。アメリカンフットボールというスポーツを通して視野を広げ、これまで培ってきた経験や人脈を活かし、将来のビジョンを持ちながら、いずれは日本のスポーツ界の発展にも尽力していきたいと思っています。

夢はNFLのチームでコーチングスタッフとして働くこと[写真]山口剛生

このエントリーをはてなブックマークに追加