スマートフォン版で表示

現在、お知らせはありません。

メダリストが挑んだ
フェンシング界の改革

日本フェンシング協会 会長太田 雄貴さん

その他

このエントリーをはてなブックマークに追加

太田 雄貴(おおた・ゆうき)さん 33歳
日本フェンシング協会
会長

同志社大学1年次に2004年アテネ大会に出場。2008年北京大会ではフルーレ個人で、続く2012年ロンドン大会ではフルーレ団体で銀メダルを獲得し、2016年リオデジャネイロでの大会後に現役を引退。2017年に31歳の若さで日本フェンシング協会の会長に就任すると、さまざまな改革を推し進め、その手腕は多方面から注目されている。(2019年6月14日取材)

フェンシングの選手としては小柄ながら国際大会でメダルを獲得した[写真]山口剛生

社員選手として活動

リーチの長さも武器の一つになるフェンシング競技において太田雄貴さんは世界のフェンシングの選手の中では小柄なほうでした。にもかかわらず、国際大会でメダルを獲得しています。その要因は何だったと思いますか?

おそらくは(身長もリーチの長さも)足りなかったからだと思います。足りている人は考えないんです。経済的に裕福な人ってあまりお金のことを気にしないでしょう。ぼくの場合、身長が低かったので、どうやったら足りない部分を埋められるのかと常に考えるクセがついていました。スピードで勝負する、間合いで勝負する、試合展開のどこで勝負するといつも考えていた。フェンシングの競技特性と自分の身体的特徴が、ぼくに考える習慣を与えてくれたのだと思っています。

008年北京大会に出場した当時、大学卒業後、所属先のなかった太田さんに対し、メディアでは枕詞のように「ニート」という表現が使われることがありました。あのころ、ご自身の中で不安はありましたか?

無職でしたからもちろんありました。同級生のほとんどは新卒で就職していましたからね。だからこそ、ぼく自身は「メダルを取る」、「自分には人とは違う役割がある」と思いこむようにしていました。むしろ「俺は挑戦する権利をもらっているんだ」とポジティブに考えていました。

フェンシング一筋の生活だったわけですね。

大学4年の1年間と北京大会までの8カ月、代表候補選手は500日合宿を敢行しました。この500日間は寝ているときでさえもフェンシングのことを考える、そんな毎日でした。

その北京大会ではフルーレ個人で銀メダルを獲得。結果を残して森永製菓に入社されました。会社ではどんな仕事を担当していたのですか?

健康事業本部ウィダー事業部マーケティング担当に配属されたのですが、仕事はほぼフェンシングです。試合に勝ちまくってメディアに数多く取りあげてもらう。そうすれば社名が露出する。中途半端にデスクワークするよりもそのほうが有益だろうと、会社側もぼく自身も考えていました。もちろん会社に対する帰属意識は強かったので、国際大会でメダルを獲得したときは全国の工場を巡回するなど、社員のシンボリックな存在でありたいと考えて動き回っていました。インナーマーケティング的な役割ですね。社会貢献部にも所属させていただき、ぼくが企画、プロデュースして森永製菓が主催する太田雄貴杯という子どもたちのフェンシング大会も開催しました。会社の価値を高めるためにぼくなりに考えながら行動していたつもりです。

約10年間勤務された後、退職されています。退職を決断された理由は何だったのですか?

2016年のリオ大会後に現役を引退し、日本フェンシング協会の仕事に携わるようになりました。講演活動も多くなり、日本フェンシング協会会長就任後は、会長業務も重なり、ほとんど会社に行けない状況になってしまったのが実情です。ですから会社側と話し合い、お互いに納得いく形で退職しました。現在でも森永製菓さんには日本フェンシング協会を厚くサポートしていただいています。感謝してもしきれないですし、社員の皆さんに対しても大きな恩義を感じています。

選手時代に所属した森永製菓を離れ、フェンシング協会へ[写真]山口剛生

フェンシング界の改革

2017年に日本フェンシング協会会長に就任して以来、太田さんの発言力、行動力が注目されています。就任後、最初に取り掛かった点は?

まずは理事会の運営そのものが円滑にいくように心掛けました。その後に取り掛かったのが大会の改革です。観客のいない、ガラガラな環境に慣れ過ぎていたので、大会入場料で収益を上げられるはずがないとみんな思いこんでいました。それならばフェンシングの試合を見に行きたいと思えるような大会に変えるしかない。そう考えて大会の仕組みそのものをガラッと変えたのです。

それが東京グローブ座(東京都新宿区)で開催された2018年12月の全日本フェンシング選手権大会男女個人種目決勝ですね。ステージ上にピスト(フェンシングの試合場)を敷き、照明や音響を駆使した見事な演出で決戦の舞台を盛り上げました。

その前年は駒沢体育館で開催したのですが、前々年と同じ会場にもかかわらず、決勝戦の入場者数が150人から1500人に増えたんです。集客数をニューストピックにしようと関係者みんなで必死になって手売りし、努力した結果が数字になって表れたのです。それで自信を持ちました。その次を考えたとき、課題として挙がったのが入場料の価格でした。競技の迫力や臨場感を体感していただくために客席数を絞り、入場料の価格帯を大きく引き上げようと考えました。であるなら、高額のチケット代を払っても見たいと思えるような価値のある舞台を作りあげるしかない。それで体育館ではなく、劇場で実施しようという考えに至りました。多くの劇場を検証した結果、最終的にはジャニーズ事務所さんが所有している東京グローブ座に直談判し、快くOKをいただきました。チケット(S席5500円、A席4000円、B席2500円)も約40時間で完売(約700席)し、多くの方々の応援をいただきました。2019年の全日本フェンシング選手権大会決勝戦(11月2、3日)も新装したばかりの渋谷公会堂(新名称LINE CUBE SHIBUYA)で開催することがすでに決まっています。運営や仕組み、考え方を変えるだけで、周囲の注目度も文字通り劇的に変わりつつあります。これからはどうやってファンエンゲージメントを強めていくのか、安定した財源を確保していくのか、これが協会に与えられた最重要課題だと考えています。

会長1期目(2年)が終わりました。手応えはどうですか?

もっとできたかも、という思いがあります。これはフェンシング協会に限った話ではありませんが、ほかのスポーツ団体にも多様な人材が集まれば大きく変わると感じています。スポーツ団体の既存の考え方からどうやって脱却していくのか真剣に考えている人がどれだけいるか。これらを本気で考えてマーケティングしていけば、まだまだ伸びるスポーツ団体、競技は数多くあると思います。

2019年6月に突入した会長2期目には2020年東京大会も開催されます。次の2年間はどうようにお考えですか?

もちろんメダルを取りたいですから、選手たちを信じて東京での大会に挑むつもりでいます。ただし会長としてはメダルや成績に左右されない協会運営にシフトしていきたいと考えています。今回の理事改選でメンバーも入れ替わり、今までと違うバックグラウンドの人材が増えたので、手つかずだった部分にこれまでよりも何倍もの速度感で着手していく必要があると考えています。この2年間は比較的攻めの運営を展開してきたので、スポーツ庁が推し進めるガバナンスコードに沿った財務戦略も含めた取り組みに力を入れていきたいと思っています。そしてぼくがいなくてもフェンシング協会がスムーズに回っていくような仕組みを作りたいですね。

2019年6月にフェンシング協会会長2期目に突入[写真]山口剛生

考え続けることが楽しい

退日本フェンシング協会は2021年以降に行われる世界選手権の日本代表選考基準として、GTEC(英語検定試験)を導入することを発表しました。一定の基準をクリアしなければ、選考対象から外されるというスポーツ界では画期的な取り組みです。この狙いは何ですか?

例えば競技中、判定に対して審判に抗議するとします。異議を主張することは重要なアクションですが、もっと大事なのは試合が終わったあとなんですよ。もう一度審判のところに行って、改めてジャッジについて聞く。そして納得したら必ず「あなたが正しかった」と声を掛ける。そうやって審判とコミュニケーションを取ることがフェンシング競技ではすごく大事なんです。コミュニケーションを取るためには英語を話す必要があります。国際大会で勝負に勝つ確率を高めていくためには絶対に英語が欠かせないんです。そうやってフェンシングを通じて培ったノウハウはセカンドキャリアにも当然活きてくるはずです。フェンシングをやったことで、コミュニケーション能力が高くなり、語学力が高まれば、自身の可能性は大きく広がります。現在約200人の選手に完全無償で週1回程度のオンラインの英会話学習ができる機会を提供しています。やるかやらないかは選手次第。協会側もそれだけの費用を選手たちに投資しているので選手たちもそれに応えてほしい。国際大会でのインタビューにもしっかりと英語で答えられるような人材をもっと輩出できれば、将来的には次の世代の子どもたちも「自分もあんなふうになりたい」と思うでしょう。いいサイクルができあがれば、「自分たちの子どもにスポーツをやらせるならフェンシングがいいよね」といった声があちこちで生まれてくるかもしれません。スポーツ競技団体として、とても有意義な取り組みではないかと考えています。

立場上、スポーツ業界で働いている人たちと接する機会が多いと思いますが、スポーツビジネスの世界で仕事をしていく上で大切な要素は何ですか?

スポーツの現場って、予想外のことが起きますし、その場で判断しなければならない状況が突発的に起こることも多い。ですから、その場に応じた柔軟性や応用力が求められると思います。そういった要素を最低限持ちつつ、自分の専門性を活かしていくことが大事かなと感じますね。

選手時代から日本フェンシング協会会長に至る現在まで、ご自身を動かしてきた原動力とは何でしょうか?

選手だったころは戦略を立てて、その戦略どおりにうまくゲーム運びができたとき、大きな喜びを感じました。さらに国際大会で金メダルを取るという無謀な夢に挑みました。その無謀とも呼べる雲をつかむような夢を現実にさせていくために自分が何をしなければならないのかを考える。その過程がすごく楽しかった。現在はフェンシングの大会で会場を満員にするためには、とか、その会場に来てくれたお客さんたちをどれだけ満足させられるか、というようなことを常にイメージしながら、そのためには何をしなければならないのかを考えるのがすごく楽しいんです。そして全日本選手権などの大会でフェンシングに触れ、感動し、満足してもらった人たちを次の大会、会場にどのように誘導していくのか。そういうところを考え続けることがとても楽しいと感じています。会長だからというわけでなく、好きだからこそ使命感を持って取り組んでいます。スポーツも仕事も結局はやらされているのか、自分からやっているのかで大きな差が出ると考えています。

スポーツの現場では「その場に応じた柔軟性や応用力が求められる」[写真]山口剛生

このエントリーをはてなブックマークに追加