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決められた道の上に築いた自分らしさ。型破りなピアニスト 清塚信也の笑いへのあこがれ|ラジオアーカイブ

決められた道の上に築いた自分らしさ。型破りなピアニスト 清塚信也の笑いへのあこがれ|ラジオアーカイブ

前編:2023.7.2(日)放送回
清塚 信也さん
ピアニスト

ラジオ音源はこちらから

「空想メディア」ロゴ04

放送作家の高須光聖さんがゲストの方と空想し、勝手に企画を提案する『空想メディア』。
社会の第一線で活躍されている多種多様なゲストの「生き方や働き方」「今興味があること」を掘り下げながら「キャリアの転機」にも迫ります。

今回のゲストは、ピアニストの清塚信也さんです。清塚さんといえば、華麗なピアノテクニックだけでなくトーク力の高さも魅力。バラエティ番組の司会を務めたり、ユーモアあふれるMCでコンサート会場を沸かせたりと、個性的なキャラクターで人気を博してきました。そんな独特なスタイルの背景には、厳しいピアノの英才教育を受けてきた幼少期から抱く、あるあこがれが関係しているようです。「音楽家になる以外の選択肢がなかった」と語る清塚さんが、芸能界という新たなルートを開拓したお話、ご覧ください。

  • 清塚 信也さん

    清塚 信也(きよづか・しんや) 5歳よりクラシックピアノの英才教育を受け、国内外のコンクールで数々の賞を受賞。
    作曲家としてもドラマ・ミュージカルの劇伴やテーマ曲を手掛けるほか、音楽番組のMCやバラエティ番組出演など多岐にわたって活動。

  • 高須光聖さん

    高須 光聖(たかす・みつよし) 放送作家、脚本家、ラジオパーソナリティーなど多岐にわたって活動。
    中学時代からの友人だったダウンタウン松本人志に誘われ24歳で放送作家デビュー。

毎日8時間超のレッスン。音楽漬けの過酷な少年時代

高須:子どものころからすごい英才教育でピアノを弾いていたじゃないですか。

清塚:はい、すごかったです。毎朝5時から、8時間〜10時間練習。

高須:それ何歳から?

清塚:習い始めたのは5歳からで、それだけ練習し始めたのは小5か小6ぐらい。それまでも2時間、3時間は練習してましたけど。それでも長いですよね。

高須:長いですね。

清塚:しかもすっごい集中するし、すごく厳しいレッスンなんで。

高須:それはお母様の意向だったんですか?

清塚:そうですね。母は「音楽家以外の道は考えるな」「音楽家は全人類の一番の目標だから。みんな音楽家になりたいの」ぐらいのことを言っていて。

高須:まあ、実際なりたくてなれるもんじゃないですけどね。

清塚:“音楽”っていう漢字を習ったときに、「音楽の“がく”は“楽しい”って書くけど、そのままの意味だと思うな」って母に言われました。「音楽は周りを蹴落として、コンクールで1位になるスポーツだから。勝ち取るものなの」って。

高須:お母様はピアノをされていたんですか?

清塚:まったくのど素人です。“ド”がどこかも、おそらく分からないんじゃないかな。

高須:なのにピアノをやらせたんですか?

清塚:クラシックにめちゃくちゃあこがれていたんですって。クラシックをやりたかったのに自分はやらせてもらえなかったから、自分の子どもにはやらせたいっていう。

高須:すごいですね。

清塚:母も強いというか。ぼく、娘が2人いるんですけど、寝顔見たら朝5時に起こしてピアノ弾かせられないですもん。かわいくて。

高須:ピアノ習わせてます?

清塚:習わせてますよ。でも私とは切り離して別の先生の下で習っています。

高須:ええ!

清塚:私は娘とは師弟関係になれないんで。やっぱり厳しくできないですもん。

高須:お嬢さんも毎日何時間も弾かれるんですか?

清塚:全然です。プロは目指していないし。サントリーホールとかでコンサートしたときに、リハーサル中に舞台に立たせてあげたことがあったんです。そうしたら娘が客席を見ながらぽつりと「パパ、この席全部にお客さんがいる中でピアノを弾くの?」って。だから誇りを持って「そうだよ」って答えたんですよ。そうしたら「罰ゲームじゃん」って。

高須・清塚:(笑)

清塚:「こんなの怖すぎ」みたいな(笑)。パパがやっている“プロフェッショナルさ”みたいな部分を分かり過ぎちゃっているから、自分はピアニストにはなれないと思ったみたいで。

高須:でも、「この子も音楽家になってほしい」という気持ちにはならないですか?

清塚:全然。むしろやってほしくないです。師弟関係になりたくない。

高須:やっぱそういうことなんやなぁ。

音楽以外に道はない。危機感の中で模索した自分なりの売り方

高須:ピアノを習うことに対して反抗したことはなかったんですか?

清塚:あー…、なかったですね。

高須:ええ!

清塚:もう音楽漬けで、小学校も中学校もほとんど行っていない状態で。だから小6ぐらいには「音楽で食べていけなかったら本当にヤバいな」という危機感があって。音楽以外に選択肢がなかったんですよね。

高須:逆に言うと、やり切らなくちゃいけなかったんですね。なんとか音楽家としてゴールしないと。

清塚:そうなんですよ。それしか持っていないから。

高須:でも良かったですね、清塚さんがそれをのみ込める人で。途中でのみ込めなくなって、もういいやって思う人もいますよね。

清塚:そうなったら悲劇ですよね。でも実際、クラシックかいわいはそういうパターン多いですよ。

高須:どれだけお金や時間をかけても、無理なときは無理ですもんね。

清塚:ほとんどの人が無理ですよね。

高須:ねえ。食べていくのも大変でしょ?

清塚:そうですね。モーツァルトのころから、楽器をやるっていうことは人生を懸けてやることですから。でも人気商売なので、実力を磨いても売れるかどうかは分からないので。

高須:愛されてナンボですもんね。

清塚:そう。だから18歳から大学を卒業するぐらいにみんな、「あれ? 卒業したらどうやって食べていくんだろう?」って壁にぶつかるんです。

高須:本当ですよね。その道をあきらめたら、ほかに道がないですよね。

清塚:そうなんですよ。在学中はみんな練習の鬼になって、「うまくさえなれば、何かが待っているはずだ」と信じてやるんですけど、「あれ? もうすぐ卒業するけど、別に何もないな」みたいな違和感にとらわれるんです。私も高校生ぐらいのころにコンクールで1位を取っていたんですけど、「1位だから何なんだろう」という危機感が芽生えて。

高須:え? 1位でも?

清塚:1位でも別に渋谷のギャルに振り向かれるわけじゃないし。モテるわけでもないし。誰も知らないし。

高須:まあね(笑)。1位なのに。

清塚:クラシックのかいわいではそれなりに有名になっても、その結果が直結しないなと思って。「これじゃいかん!」ってことでいろいろなコンサートのアイデアを考えて、自分が舞台上で弾くときはショパンやベートーベンの解説をしてみたんですよ。口頭で。

高須:なるほど。

清塚:そうしたら先生から「そんな下品なことをやったら、すぐ干すから!」なんてめちゃめちゃキレられて。

高須:「干す」って(笑)。

清塚:「干す」って言われたんですよ。だから危機感との闘いでしたね。高校生のころから。

失笑と門前払いに奮起。あこがれの人との共演で開けた新たな道

高須:1位になっても知名度が上がらないって気付いたときに、バンドをやろうかなとか、音楽のジャンルを変えてみようかなって思うことはなかったんですか?

清塚:なかったですね。やっぱりクラシックをずっとやってきたので。

高須:すごいですね。変えられない道を進んじゃったんですね。

清塚:そうですね。変えるってことはそれまで苦しんでやってきたことを捨てるような感覚があったので。

高須:人生をね。

清塚:そうです。ジャンルを変えるにしても、クラシックをなんとかした上でやりたかったので。転機は23、4歳ぐらいのときですね。松山ケンイチの『神童』(※1)って映画で、ピアノ演奏の吹き替えをやらせてもらって。それでちょっと評価してもらったことで、『のだめカンタービレ』(※2)の吹き替えにつながったんです。『のだめ(カンタービレ)』をやったころからコンサートのチケットの売れ行きにあまり困らなくなった。それが1つ目の転機です。

(※1)さそうあきら氏の漫画『神童』を原作とした2007年4月公開の日本映画。出演は成海璃子、松山ケンイチら
(※2)二ノ宮知子氏の漫画『のだめカンタービレ』を原作としたテレビドラマ。2006年10月~12月まで放送された

高須:すごい。

清塚:でも私は、芸能界の門をたたきたかったんですよ。ずっとクラシック界にいようとは思っていなくて。でも芸能界がもう、厳しくて厳しくて。みんな門前払いで。

高須:そうですか?

清塚:「ピアノで1位か知らないけど、そんな甘い世界じゃないから」って嫌みを言われることもあって。

高須:そんなこと言われるんですか?

清塚:言った人全員覚えてます。

高須・清塚:(笑)

清塚:今の事務所に入ったときも、「どうなりたいの?」って聞かれて「バラエティ番組とかの司会ができるようになりたいです」って答えたら、失笑されて。「みんなやれるもんなら司会をやりたいの。ピアニストじゃ無理ですから」って感じで言われたんですよ。それで「なんで無理なんだ! 腹立つなぁ!」って思って頑張ったんです。そこで私がまず目標に掲げたのが、“『ワイドナショー』(※3)に出る”っていうことだったんですよ。

(※3)フジテレビの情報・ワイドショー番組『ワイドナショー』に2021年5月16日(日)出演した

高須:それがおかしいですけどね。もうすでにね。

清塚:松本(人志)さんをすごい尊敬しているので。それで『ワイドナショー』に出られるように全力で動いてもらって、出演できたっていうのが2つ目の転機でしたね。

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寂しかった少年時代の癒やし。お笑いへのあこがれとリスペクト

高須:なんでそんなにダウンタウンとか松本のことが好きになったんですか?

清塚:『ごっつ(※4)』をずっと見ていて。

(※4)1991〜97年まで放送されたバラエティ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』のこと。高須さんが放送作家として携わっていた

高須:ピアノをやりながらですか?

清塚:ちょうど『ごっつ』の日は姉のレッスンで、母がいなくて留守番だったんですよ。だから本当はダメなんですけど、こっそり見て。でも留守番だからすごい寂しかったんです。コンクールに向けていつも緊張感があったし、友達もいなくて遊んだこともなかったし。そんな中で笑わせてくれるダウンタウンさんにすごい思い入れがあった。

高須:へぇー!

清塚:すごいじゃないですか。ただ笑いを引き起こすというよりも、アイデアが全部あるんですよね。一つひとつのコントにコンセプトとか方向性があって。それがなんかかっこよくて。そんな理由でお笑いとか松本さんとかダウンタウンさん、あと高須さんへのリスペクトもあって。

高須:いやいや、ぼくなんか大したことやってませんから。

清塚:いやいや、あの笑いをいっしょに作ってこられた高須さんにお話を聞くっていうのが、私にとってはすごいあこがれだったので。

高須:いや、ぼくはピアノを弾けるほうがあこがれます。例えば転校生だとしますよね、ぼくが。自己紹介で「何もできないんですよ」って言いながらピアノの前に行って、『ねこふんじゃった』を弾き始めたと思ったら急にガーッてすごい曲を弾いたりとか、やってみたいです。

清塚:だから、ズルいじゃないですか、それ(笑)。

高須:いいじゃないですか! そんな素晴らしいズルさ!

清塚:だって、それができたら絶対盛り上がるって分かるじゃないですか。その“絶対分かる”盛り上げ方には、プロの技術はないと思うんですよ。

高須:どんなかせを付けてるんですか(笑)。

高須・清塚:(笑)

清塚:人って「笑わないぞ」みたいなガードがあるじゃないですか。芸人さんはそういうガードをかいくぐって笑わせる。しかも身一つですよ。声という人間の生理現象を使って。

高須:いや、何にあこがれてるんですか(笑)。

清塚:だって音楽家は武器使っちゃってるじゃないですか。

高須:いや武器って(笑)。いやいや、あれは武器じゃないですよ。音を拡大するための武器かもしれませんけど、あれは素晴らしいですよ。しかも世界中の人が良さを理解できますから。

清塚:確かに壁はないですよね。

高須:(お笑いの)ぼくらが作っているものは、やっぱり言語の壁を越えられないですからね。

清塚:笑いのセンスもね、全然違いますし。

高須:そうなんです。文化が違うじゃないですか。でもクラシックって言語や文化が違っても「清塚さんの演奏ってすごいな」って分かるじゃないですか。

清塚:だからそれに甘えたくないんですよ。なんか悔しくて。「それはみんなそうじゃん」と思って。なので私にとってはもう、ピアノに対する拍手よりもしゃべりや笑いに対する拍手のほうがずっと価値がある。

高須:いや意味が分かんない(笑)。

清塚:(笑)

高須:面白いな。なんでそう思うようになっていったんですか?

清塚:いろいろな要因があると思いますけど、やっぱりあこがれてるんじゃないですかね。そうやってつながり合うことに。友達もいなかったし、学校で遊んだりもしていなかったので。

高須:人と面白いことを言い合って、スベっても笑ってもらえるみたいな感じのところに。

清塚:いちばん典型的なコミュニケーションじゃないですか。

高須:確かに。

清塚:だからそれができることにあこがれていたんじゃないかなとは思います。

――次回も引き続き清塚信也さんをゲストに、キャリアの転機や仕事のマイルールを伺います。お楽しみに!

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