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掲載日:2014.3.17
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中学時代からゲームで稼ぎ、「君たち会社作ってよ」で起業

有限会社ツェナワークス 技術開発責任者 武田寧 氏

1966年生まれ。小学生のころからプログラムに触れ、中学時代には趣味でゲームを制作し販売するなど、若くしてゲーム制作を経験しフリーランスへ。1990年にツェナワークスを創設するメンバーの一人として、以来20年以上もゲーム制作に関わり、数々の実績を残す一方で、プログラミング言語HSP(Hot Soup Processor)の作者でもある「おにたま」さんとしても知られている。


ゲームソフト開発のツェナワークスで技術開発責任者を務める武田寧氏に、ゲーム開発者としてのキャリアを聞いた。中学時代に最初のゲームが売れたことが武田氏の人生を変えた。やがてコンシューマーゲーム機の台頭に対応して仲間とともにツェナワークスを起業、同社は「リトルマスター」シリーズ、「ボクと魔王」などオリジナルタイトルを世に問うことになる。

パソコンショップに入り浸りゲームを作った

──最初にコンピュータに触ったのはいつ頃ですか?
小学4年生ぐらいでしょうか。港区に住んでいたのですが、東京タワーにマイコンのショールームがあって、富士通の8ビットマイコン「Lkit-8」が置いてありました。基本は16進キーで入力する機種なのですが、BASICが使える機種もあり、それがコンピュータに最初に触れた経験です。
──ゲームを作り始めたのは?
中学生の頃から、趣味でゲームを作っていました。近所のパソコンショップ「シーガル」に朝から晩まで入り浸って。できたゲームソフトを友達が秋葉原のゲームショップに売りにいったら、これが運良く売れたんです(笑)。さらにゲームショップの店長さんが「これでゲームを作ってよ」とパソコン「PC-8001」を貸してくれました。
──「わらしべ長者」みたいですね。当時の開発言語はBASICですか?
BASICと機械語の両方です。当時は、ゲームが売れるといっても、現物支給だったり、その場で多少のお金がもらえるぐらいで。それより、ただ作れることが面白くて作っていました。
──中学時代からゲームを作っていたことは、進路に影響しましたか?
当時のパソコンは最先端のホビーでした。中高生でパソコンに興味を持っていた人は他にも多かったと思います。ただ、「自分には特にこれが合っている」と感じました。その後、フリーになって自分でソフトを作ったり、パソコン雑誌に連載を持ったり。

「君たち会社作ってよ」

──会社設立のきっかけは?
フリーの人達で集まって任天堂の「ゲームボーイ」のゲームを作ろうとしたのですが、ソフト販売会社の社長に「会社組織じゃないと契約できないから、君たち会社作ってよ」と言われました。こちら側は「えー、会社!?」という反応でしたが。それが、ツェナワークス設立のきっかけです。
会社名は、安定化電源回路で使う電子部品の「ツェナーダイオード」から取りました。「ゆっくりでもいいから安定した会社にしたい」、という気持ちが入った名前です。
──「ゲームボーイ」発売が1989年、会社設立が1990年ですから、それから20年以上続けているのですね。
そういうことになります。
──ツェナワークスでの思い出に残る作品を挙げてください。
ひとつは、「リトルマスター」シリーズです。1991年に「ゲームボーイ」向けに1作目を出しました。今でもファンがいて、入社してくる方が「子どもの頃に遊んでました」と言ってくれることがあります。
当初は主に僕1人でプログラムを組んでいて、「こんなことをやりたい」というアイデアも全部、僕のところに集まってくる。それを一通り入れてみたら、当時としては盛りだくさんなシミュレーションRPGになりました。
シリーズ3作目はスーパーファミコン版になり、容量も大きいので「好き放題入れられる」とばかり、隠しコマンドや裏モードや、さらには自作の小咄を入れてみたり。
──小咄とは?
例えば、エジプトで河に溺れている青年を助けるため、ファラオを投げ込むと「溺れるものはファラオを掴む」とテキストが流れてくるんです(笑)。
マスターアップの直前までROM容量に収まらなくて、最後の最後に圧縮アルゴリズムを変えて、残り70バイトまで使い切って収めました。その時はすごく感謝されて、後になって裏モードの話をしたら「なんなんだ」という顔をされて(笑)。

ゲーム完成間近に「PlayStation2に移し替えてよ」

思い出に残る作品をもうひとつ挙げると、PlayStation2向けの「ボクと魔王」(2001年発売)です。「ボクと魔王」を作っていた頃は、実はツェナワークスとしては大変な時期でした。もともと、「3DO」の次世代機「Panasonic M2」向けにゲームを開発していたのですが、ゲーム発売直前になってM2の開発中止が決まり(1997年6月)、びっくりしました。
この開発中止の記事が新聞に出た翌日に、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)から「聞いたよ。うち向けに作ってくれない」と打診があって、初代PlayStation向けに「ボクと魔王」を作り始めました。ところが、その完成が迫る中、SCEから呼び出しがあって「実は明日、新機種のPlayStation2の発表があるんだけど、そちらに移し替えてよ」と。
PlayStation2は、初代PlayStationと比べ解像力は高く、演出効果も幅広く使えるようになっていました。それで、グラフィックスもプログラミングもすべて作り直しになりました。
PlayStation2のプロセッサは、通常のCPUだけでなく「Emotion Engine」と呼ばれるGPUを組み合わせて使う構成でした。だからCPUとGPUの両方、2倍のプログラムを書かないといけません。大変だな、と思う半面で、すごい速度でびっくりし、ワクワクもしました。
デバッグにも実機が必要で、ハードも試作品の状態なのでバグが残っていたり、あるはずの機能がなかったり。最初のうちはSCEの内部でも分からない部分があったり、手探りで大変でした。
結果的には、最初にPlayStation2に触るプログラマの1人になれました。こうした紆余曲折があったので、ツェナワークスからは3年もオリジナル作品が出ない事態になって、周りからは心配されましたけど。でも、作っている間は楽しいですから。
──そうした大変な状況でプロとしてゲームを作っている時も、やはり楽しかったのですか?
楽しんでいたかといえば、そうでしょうね。子どもの頃に自分が作ったプログラムが動いた喜びが、そのまま続いているんでしょうね。
「ボクと魔王」は、SCEと一緒に作っていたことが面白く、刺激になりました。こんな凄い人達がいっぱいいるんだと勉強にもなりました。

「20年開発し続けたプログラミング言語HSPは「危ない」香りで中高生にも」:インタビュー後編へ続く

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