私は先天性の四肢、体幹機能障害がありますが、高校までずっと普通校に通っていました。高校卒業後の進路は就職を希望しましたが、就職課の先生は障害がある生徒の就職指導の経験がなく、しっかりとした支援があったとは言えませんでした。私自身は、公務員を目指そうと考え、公務員試験の勉強をしましたが、残念ながらご縁をいただけず、その後の就職活動も進まないまま高校を卒業しました。一人で悶々と思い悩み、1ヶ月ほどして、就職といえば…と思い立って、ハローワークに通い始めました。そこで担当者に紹介して頂いたところが、就労継続支援A型事業所です。A型事業所は、施設と雇用契約を結び、一定の支援がある職場ではたらくことができる福祉サービスなので、はじめての就労でも安心感がありました。
就労継続支援A型事業所に1年勤務後、某市役所職員に
A型事業所の仕事内容は、一般就労とあまり変わりません。まず、電話応対から始まり、少しずつ事務の仕事を覚えていきました。施設で作っているお弁当や陶芸品などの授産製品の受発注業務なども担当し、業務の幅を広げていきました。同時に、はたらきながら公務員試験に向けた勉強も続け、2回目のチャレンジとなる公務員試験で、幸いにも某市役所の障害者採用枠で合格することができました。
初めて配属された部署では、過酷な徴収業務を担当
実家から通える距離ではなかったので、市役所入所とともに、一人暮らしの生活が始まりました。配属された部署での仕事は、国民保険料の徴収業務でした。支払が滞っている住民から徴収する業務ですが、電話をするなり怒鳴られることは日常的でした。仕事と分かっていても、正直、ストレスは大きかったですね。
そのほかにも、施設の環境面でもストレスを感じていました。車椅子が必要な障害があることを理解してもらった上で障害者枠で採用されましたが、その市役所の建物は古く、完全なバリアフリーではありませんでした。通路脇に荷物が積まれていることも多く、必要な書類を取るだけでも、職場の皆さんの協力が必要でした。快く対応して下さいましたが、私としては、毎日、何かしら誰かに頼まないといけない環境に小さな苛立ちというか、思うようにいかない歯がゆさを感じていました。
車椅子での地下鉄通勤や、初めての一人暮らしが重なって、心身共にくたくたになっていたという経緯もあって、希望していた公務員職でしたが、1年ほどして、このまま続けていては精神が病んでしまうかもしれないと退職を決意しました。
地元に戻り、就労継続支援A型事業所に再入所
市役所勤務時代は、ヘルパーを週1回利用していました。ヘルパーさんに仕事の愚痴を言ったり、何気ない日常会話をしていましたが、今思えば気持ちの切り替えになっていたように思います。ずっと一人でいたら1年間も続けられなかったかもしれませんね。そのヘルパーさんは前に勤めていた就労継続支援施設の相談員だったのですが、市役所を辞めることを話したところ、「施設に話をしておきましょうか」とおっしゃってくれて、トントン拍子で前職に再入所することができました。
就労継続支援施設に再入所して3年が経った頃、収入アップとキャリアアップを図るため、社会福祉主事任用資格を取得して、正職員になることを目指しましたが、そのタイミングでちょうどコロナ禍となってしまいました。正職員登用の話は一向に具体的にならずで、待ち続けても状況は変わらないと判断し、転職を考えるようになりました。