「自分にできることを見つけて、はたらきたい」そう思ったのは二十歳のときでした。
私は、高知県の実家で農業の稼業を継ぐため農業高校に通い、卒業後は農業大学に進学しようと考えていた高校3年の夏、不慮の事故により頸椎骨折により脊髄を損傷しました。県内の医療センターで手術、そして県内、県外のリハビリテーション病院を経て、大分県の重度障害者センターでは1年間のリハビリ生活を行いました。18歳で受傷してから、リハビリ生活は2年にも及びましたが、在宅生活の希望が見えてきたとき、職員の方にかけてもらった「上田さんの人生、先は長いよ」の言葉がとても心に響きました。「そうだ。自分にできることがあるはずだ。それを見つけよう」と思ったのです。
左肘しか曲げることができなくても、はたらくことを諦めなかった
四肢麻痺がある私は、動かせるのは左肘を曲げることだけです。体はほとんど動かず入浴や着替え、排せつはヘルパーのケアが必要ですし、指と手首の関節も動かせません。ですが、肘を曲げて手の甲を使えばパソコンの操作ならできるとリハビリ生活中に知りました。具体的には、施設の方、もしくは施設で実践的にはたらいている方に話を聞き、今の体でどうやってPCを使用していくかを訓練しました。元々高校でもPCを使う授業があり、ビジネス文書検定を取得していたので、PCを使った仕事のイメージはできていました。そこで、私はWord、Excelのスキルアップのため勉強も始めました。
私は現在パーソルダイバースではたらいていますが、入社してから、データを収集し加工したり、グラフや表を作ったり、会議の資料作成などの仕事をしてきて、あのとき「自分にできることは必ずあるはずだ」と諦めなくて本当に良かったと思います。