私が、痙性対麻痺を患ったのは高校生のときで、大学3年生で障害者手帳を取得しました。
専攻していた情報システムの知識を活かし、新卒ではシステムエンジニアとして就職しました。研修期間を経て、システムに関わる仕事は自分に向いていると感じながらエンジニアとしての社会人生活をスタートしました。
しかし、1年も経たないうちに病気の進行により歩行しづらくなり、通勤が困難になってきました。下肢の筋力が低下して、2本の杖がないと歩行できなくなりました。心身ともにこのまま仕事を続けることは難しいと判断し、退職することになりました。
退職後、2年半は歩行練習のリハビリを行い、その後ハローワークに登録しました。最初は杖で歩行しながらで、無理をせずに週3日のパートタイムで事務職として社会復帰をしました。少しずつ生活に慣れ3年が経った頃、今度は関節痛により歩行も困難になり、結果、在宅勤務ができる会社へと転職しました。
車いすの導入が決まって1度目の転機
在宅で仕事をしている頃、車いすの導入を決めました。車いすなら週5で通勤ができる、今よりはたらくことに重点を置いてキャリアを積んでいけると思い、システムエンジニアと事務の経験を活かした転職活動を始めました。
実際に転職が実現してみると、想像以上に車いすでの通勤は時間がかかるという気づきがあったものの、仕事は順調でした。ただ、その時の業務内容は入力事務で定型業務が多く、また新しくできた特例子会社に転籍することとなってからは、仕事内容についてキャリアアップの機会が得られる働き方がしたいと思い始め、自分の将来のキャリアについて考えるようになりました。