大学卒業後に入社した鉄鋼メーカーでは、営業や生産管理を任されていました。責任は大きくやりがいを感じ、仕事に打ち込んでいました。当時の会社や上司には、育ててもらったという感謝の気持ちが大きいです。しかし、残業は月100時間を超えることもある環境下で、気づかないうちに少しずつ心身に負担がかかっていたのだと思います。入社して10年経った頃、ある日、体が動かず朝起きられなくなってしまいました。病院に行くと、うつ病と診断されました。その後は、会社の配慮もありながら休職と復職を繰り返し、2年間在籍しましたが、退職し地元の北海道に戻りました。
地元北海道に帰り、この先のはたらき方を考える
私がうつ病を発症したのは、疲労の蓄積により睡眠の質が悪化し、その結果心身に影響を来したからです。よって症状が落ち着いていても、過度な疲労がたまらないよう、生活をコントロールせざるを得ません。そのため、地元の北海道に戻ってからは、ルーティン業務や責任範囲が小さい仕事を選ぶなど、セーブしていました。しかし一方で、物足りなさも感じていて、私の中で「落ちぶれて東京から地元に引き揚げてきた」感覚がいつまでも拭えませんでした。
北海道に戻って数年後、うつ病と共存しながら仕事をどうするか、この先どう生きていくかを考えるようになりました。そのきっかけになったのは、リワークセンターに通所したことでした。病気と向き合うことで、ありのままの自分を受け入れ、障害をオープンにして新しいはたらき方をしようと思えるようになったんですね。そして、障害者手帳を取得し、障害者採用枠ではたらく選択をし、地元の有力企業に転職しました。ところが、その会社では補佐的な仕事しかやらせてもらえず、新卒入社した鉄鋼メーカーでのバリバリ時代とはほど遠いものでした。過度なプレッシャーを与えないための会社側の配慮だと思います。仕事は楽でしたが、やりがいを求め退職することにしました。その後コールセンターに派遣社員として勤務しながら、「長期的にしっかりとはたらける所を見つけよう」という思いでいたときにdodaチャレンジに出会いました。
札幌で開催された合同説明会に参加
dodaチャレンジが主催する障害者採用を行っている企業の合同説明会があると知り、参加しました。新型コロナウイルス感染症が拡大しはじめたタイミングでしたので、オンラインでの開催でしたが、北海道の地場企業だけでなく、大手企業の北海道支社・札幌支社の求人も多かったですね。その日は、北海道の有力企業、インフラ系企業、大手メーカーと面談しました。その後、担当のキャリアアドバイザーから、現職の会社を紹介していただき、エントリーすることにしました。