今回の転職に踏み切るには正直不安がありました。50代で転職回数9回目の私が、コロナ禍において転職先が見つかるのかと。これまでハローワークを利用し求職活動していましたが、それだけでは情報不足感を感じ、インターネットで「障害者 雇用」と検索して、求人や市況を調べました。そして、障害者採用の転職エージェントの中で評判が良かったdodaチャレンジに思い切って登録しました。思い切って、とは大げさかもしれませんが、年齢や転職回数を考えると、紹介してくれる求人はないかもしれない、それでもダメ元で登録してみよう、そんな気持ちだったからです。
思い切って登録して良かった!希望条件にあった求人が見つかる
登録後、さっそくキャリアアドバイザーとオンラインでお会いしましたが、安心感を与えて下さる方だったので、リラックスして話すことができました。マスクをしていても表情豊かに、これまでの経歴を丁寧に聴いてくれ、私を理解しようとする姿勢が嬉しかったです。また、説明も分かりやすく的確なので、さすがプロだと感じ信頼できました。
私が伝えた希望条件は、通勤時間が短いこと、できれば兵庫県内であることでした。年齢は50代、転職回数も多くキャリアも一貫していなかったので、多くの希望は出しませんでした。それでも、紹介してくれる求人はあるのか、と内心不安でしたので、その場で通勤圏内の大阪を含め数社の大手企業を紹介してくれたときは、心から安堵しました。求人の豊富さに「思い切って」登録して良かったと思いました。
オートバイレーサーからの紆余曲折の人生
高校生のときにバイクに興味を持ち、卒業後はオートバイレーサーのチームに入りました。20台半ばまで続け、目標にしていた国際Aライセンスを取得したことで一区切り付け、バイクレースの世界を卒業しました。その後大型トラックの免許を取得し、配送や海上コンテナドライバーの仕事に就きましたが、漠然と「この先続けていく仕事を見つけなければ」と考えていました。ふとある日、オートバイレーサー時代によくお世話になったカイロプラクティックを思い出しました。直感で「これだ!」とひらめき、カイロプラクティック専門学校で学び、施術の実践を積んだのちに、開業にいたりました。少しずつ常連のお客様もでき軌道に乗り始めた矢先、悪性リンパ腫を罹患しました。闘病生活1年を経て復帰しましたが、抗がん剤の副作用なのか末梢神経に後遺症があり、施術する手の感覚が罹患前と違い、違和感がありました。そのため納得のいく施術ができなくなり、閉院することにしました。
二度のバイク事故。そして障害認定
それからしばらくしてバイクで事故を起こしてしまい、顔半分が損傷、左目の視力を失いました。この頃は、運転技術が活かせるタクシーの運転手に就いていましたが、右目だけではタクシーの運転は続けられないので辞職し、その後いくつかアルバイトをしたのち、物流センターでピッキングの仕事に就きました。そして、またバイク事故を起こしてしまったんです。2度目の事故では、右半身すべて骨折し、右上肢・下肢に障害が残り、このときに障害認定を受けました。
長いリハビリの後、ハローワークで紹介を受けたアパレルメーカーに障害者採用枠で就職することができました。1年半続け、そこでは障害者採用枠で初の正社員にもなりましたが、ちょうど役職昇進の話が出てきた頃、コロナの影響で周りの従業員がリストラされていくという状況もあり、今回転職を決意しました。