私は、保育園から高校までは普通学校に通っていました。難聴学級がなかったので、地域ボランティアのサポートや先輩・友人の協力を得ながら通級で学びました。また大きなイベントがあるときは、手話通訳者のお世話にもなるなど、両親をはじめ様々な方の支えで、私は、子どもの頃から同世代の健聴者との交流をしていました。中学時代は美術部の部長を務め、高校ではソフトボール部で練習に励み、インターハイに進出することもできました。とくにソフトボール部での学びは大きく、チームワークの大切さを理解できたことが一番の学びだったと思います。
専門知識を身につけるため、聴覚・視覚障害者向けの大学に進学
大学は、聴覚障害者が学べる環境が整っている大学に進学しました。社会に出たときのためにしっかりと専門知識を身につけたいと考えたためです。また、就職活動のサポート体制も整っていました。就職活動で初めて知ったことは、企業の多くが、口話のできる聴覚障害者を求めていることでした。口話ができない私は、それを知って悔しくてたまりませんでしたが、大学では筆談での面接のやり方を教えてくれたり、面接練習もしてくれるなどのサポートもあって、印刷会社の特例子会社に就職が決まりました。
印刷会社の特例子会社に就職
仕事内容は、DTP(印刷オペレーター)です。出版物のレイアウトやデザインを編集者の指示に従って、修正・訂正します。大学時代に習得したAdobeというアプリケーションがDTPに活かすことができました。
特例子会社なので障害者に理解のある社員が多く、人間関係で困るようなことはなかったですね。仕事で役に立ったのは、UDトーク(音声認識アプリ)です。上司は手話も上手でしたが、UDトークのおかげでミーティングなどでの情報保障が得られました。