私の障害は、感音性難聴ですが、小学生の頃から、ろう学校ではなく補聴器をつけて普通級に通学しました。月に1~2回、母と一緒にきこえの教室(難聴学級)に通い、聴覚管理と言葉を聞き取る言語学習なども行ってきました。しかし、勉強内容がだんだんと高度になり始めた小学3年生くらいから、先生が話す言葉が聞き取りづらくなってきたんですね。そこで、学校に相談して、先生にも補聴援助のためのマイクをつけてもらうようお願いし、その後は、問題なく授業内容も理解できるようになりました。学校やきこえの教室などで必要なサポートや助言を得られたことは非常に大きかったと思います。
高校卒業後は、オーストラリアの美容専門学校に進学しました。子どもの頃から、英語には日常的に触れる環境だったので、いつか留学したいと考えていたんです。もともと美容に興味があり仕事にしたいとも思っていました。メイクやファッションの勉強はとても楽しかったです。ところが、インターンシップで実務の体験をしてみると、自分以外の人にメイクを施すことに抵抗を感じてしまったんです。美容の勉強は好きでしたが、仕事としては自分に向かないのではないかと思い始め、将来について、一度立ち止まって考えることにしました。
障害者の採用枠があることを知り、障害者職業能力開発校に入校
いろいろ調べていくうちに、就活には障害者採用枠があることや、dodaチャレンジのような障害者専門の就職エージェント、そして、障害者職業能力開発校の存在を知ったんです。
オーストラリアの専門学校を卒業して日本に戻った後、まず、私は、障害者職業訓練校で1年間、就職に必要なスキルを習得することにしました。パソコンが好きだったので、ビジネスアプリ開発を学ぶコースを選択し、WordやPowerPoint、Excelを勉強し、資格も取りました。これまで、自分の障害であまり不利益を感じたことはなかったのですが、社会に出て、自立してはたらくようになったら、これまで通りにいかないかもしれないと思ってのことです。
職業能力開発校での就活は難航し、挫折を味わう
1年間しっかり学んだので、自信もつきましたし、私は職業能力開発校を通して就職するつもりでいました。しかし、学校やハローワークから紹介される求人は、希望する職種とマッチしていなかったり、低賃金だったり、経済的に自立するには厳しさを感じました。また、私の学歴がオーストラリアの専門学校卒であることで既卒扱いとなり、新卒として採用してもらえないなど、採用する企業からすると、私の条件はあまり良くないことが分かってきました。紹介された求人以外にも、自分で情報収集し多くの求人にエントリーしましたが、なかなかうまくいきませんでした。