子どもの頃から、工作や絵を描くことが好きで、中学卒業後は高専に進学し、大学は3年次で編入、土木工学を専攻しました。オープンキャンパスで先生方のお話が楽しく、とても印象が良かったからです。編入学するとともに、親元を離れ、福岡で初めての一人暮らしも始まりました。慣れないことばかりで大変でしたが、勉強は楽しかったですね。
しかし、入学して1年経った大学4年生の春、体調に異変を感じました。朝、起き上がれなくなったんです。憂鬱な気分で、何をするにも手がつかず、大学に通うこともできなくなりました。近くの心療内科を受診したところ、うつ状態と診断されました。大学を半年休学し、処方された薬の服用で徐々に少し状態が良くなったので復学したのですが、また体調を崩してのちに診断は双極性障害と変更になり、復学と休学を繰り返す中での就活となりました。
大学の編入と一人暮らしが気づかぬストレスに
思い返すと、私は、中学生くらいから、冬になるとうつ状態で気持ちが塞ぐような感じがありました。それでも、頑張って学校には登校していました。それが、大学の編入と一人暮らしという、2つの環境の変化で心身が疲れてしまったのかもれません。特に大学の編入では、周りの友達はすでに関係性ができあがっていて、馴染むのに時間がかかりました。幸い、私は学友には恵まれたのですが、それでも、学業の負担もあって心のどこかでストレスを感じていたのかもしれません。
就労移行支援事業所の通所で回復傾向へ
大学4年生ともなると、就職活動が始まる時期です。休学していたとはいえ、就職活動についてはとても気になりました。ただ、また状態が悪化しても良くないと思い、大学を1年留年することにしました。
2回目の大学4年生の春、インターネットで就活の情報収集し、障害者のための就労を支援する就労移行支援事業所の存在を知りました。さっそく事業所に連絡をして、見学をさせてもらうことにしました。話を聞いてみると、事業所では、対処療法について学んだり、社会で求められるビジネスマナーも身に着けられるというので、無理のない範囲で通所してみようと思いました。
最初は体調もよくない状態でしたが、週3回の通所で少しずつ自分の病気の理解が進み、対処の仕方が分かってきました。そして、通所しない日は通学と休暇をあわせてのんびりと過ごすうちに、体調も戻ってきました。そこで、就労移行支援事業所の通所を継続しながら、就活を始めました。
障害者採用枠という就活方法を知る
就労移行支援事業所に通所している間に、障害者の就職活動に関する情報について、時間をかけてゆっくり調べることができました。私は、卒業後の就職にとても不安を感じていたので、どのような働き方があるのか、どのような会社に就職できるのかなど、情報収集する時間が確保できたので、今にして思うと焦って就職せず、留年して良かったと思っています。
調べていくうちに、一般採用枠と障害者採用枠があることを知りました。双極性障害の治療は今後も続くので、障害者採用枠の方が安心してはたらけると考え、障害者採用枠で就職しようと決めました。そのために、障害者手帳を取得し、障害者の就職支援に強いエージェントを探しました。ネットで調べて、評判が良かったdodaチャレンジに登録しました。