私は、中学2年から卒業まで不登校で、フリースクールに通学しながら高校を受験しました。高校では友達もでき、楽しく学校生活を送り、卒業後は大学で経営学を学びました。学生時代は、ビンゴサークルやパソコンサークルに所属し、またスーパーの精肉部門でアルバイトを4年間続けました。就職活動では公務員を目指したのですが、結果は不合格。郵便局で契約社員として勤務することになりました。22時から翌朝6時までの夜勤を9年間勤め、正社員登用試験に数回チャレンジしましたが合格できず、このままでは何も変わらないと、2018年3月に転職を決意しました。
正社員で転職するも、パワハラにより不安障害を発症
転職フェアに参加し、車関係のメーカーに正社員として就職しました。念願の正社員でしたので、入社初日は期待と不安が交錯しドキドキしたことを思い出します。仕事は、車両部品やオプションパーツの在庫管理で、半分はデスクワーク、半分は倉庫での業務です。最初は良かったのですが、1ヶ月ほどして上司が変わり、状況が一変しました。その上司は、大声をあげたり殴るなどのパワーハラスメントがひどく、私は精神的に追い詰められていきました。また、この頃は残業が月40時間程度あり、生活環境の変化に馴染めなかったこともあったと思います。入社2ヶ月で、体が震える、ひどい頭痛、発汗、不眠の症状が現れました。様子を心配した母が、私を病院に連れて行き、そこで不安障害と診断されました。
就労移行支援事業所へ通所し、社会復帰への自信回復
医師に診断書を書いてもらい、会社には電話で休職の意を伝え、少し落ち着いてから人事と面談の上数ヶ月後に退職しました。「仕事なんてもうできない」、暗澹たる気持ちでした。さらに休職中、肺炎にかかり3ヶ月も入院することに。療養中も、「自分はもう社会に戻れない」「社会にはもう戻らない」と負の感情がループするばかり。ですが、時が経つにつれて少しずつ気持ちが整理され、「このまま引きこもりたくない、就職できるなら頼れるものは何でも頼ろう」という考えに切り替わりました。
退職後、母から紹介された就労移行支援事業所に申込に行きました。就労移行支援事業所では、ビジネスマナーの習得や職業訓練だけでなく、認知行動療法によって不安障害の症状を緩和することができました。一日も休まず通所できたことも社会復帰への自信につながっていきましたね。心身の準備が整い始めたところで、就労移行支援所の方が障害者手帳について教えてくれました。さっそく、手帳を申請し、ハローワークや障害者専門の転職エージェントに登録をして転職活動をはじめました。