dodaチャレンジに出会うまでの私は、障害者採用枠というものがあることも知らず、障害があったら仕事がない、仕事は選べない、そう思い込んでいました。そのため、ここ10年以上、障害のある自分の体に無理を強いながら仕事を続けていました。
私が視覚障害を煩ったのは、12年前のこと。突然の激しい嘔吐と頭痛で、その日の仕事は休んで、朦朧としながら病院に行くと、緊急入院。脳出血でした。そのまま、私は2ヶ月以上、集中治療室で治療を受けますが、当時、4才と2才になったばかりの幼い子どもを母に預け、窓越しでしか会えない子どもたちには寂しい思いをさせたこと、今でも昨日のことのように思い出します。
退院後、すぐに私は求職活動を始めました。仕事は選べないと思っていたので、求人が多い介護職に就くことを選び、ヘルパー2級の資格を取りました。しかし、介護の仕事で腰を痛めてしまい、続けることができなくなりました。
次に、内科クリニックで看護補助業務に就きましたが、病気で視覚に障害が残った私は、状況を的確に読み取って行動することが苦手で、現場での緊急対応が難しいことも多々。私の障害は、脳出血による視野狭窄で、左側の視野が欠けています。よく誤解されるのですが、左目が見えないのではなく、視界の中央に手を置き、その左側半分が全く見えないという視覚障害です。例えば、体の左側にある車椅子が見えずにぶつかってしまったり、左側にある機器を見つけられずパニックになることもありました。このままでは、いずれ自分の障害がクリニックに迷惑をかけてしまうと思ったので、試用期間中に退職することにしました。
周りに理解されにくい視野狭窄という視覚障害
クリニック退職後、パソコンの勉強を始めました。体を動かす仕事が好きでしたが、私の障害を抱えながら介護や看護の仕事をするのは難しいと実感しましたので、方向転換することにしたんです。介護職で腰を痛めていたとき、事務補助を経験したことを思い出し、Word、Excelを勉強しました。そのPCスキルが評価され、営業事務職を募集していた車のリース会社に転職することに。私の障害に理解を示してくれた上で採用してくれましたが、上司も慣れてくると、「他の人よりも資料づくりのスピードが遅い」「〇〇さんは、もうできているのに」など、障害のない他の社員と比較されるようになってきました。左側半分の視野が欠ける私は、パソコンの正面に向かっても左側が見えないので、体を左に傾け、眼球を右に寄せないと全画面は見えません。また、私の障害は、網膜によるものでなく脳出血によるものなので、見た目上は、視覚障害者と分かりづらいのです。
営業事務3年半、総務2年、経理1年を経験し、どの部署でも上司も周りの社員も、だんだんと、障害についての理解や配慮が薄れていくのが分かりました。この会社にいてもその繰り返しだなと思い、転職を考えるようになりました。