私は、学生時代、クラスにはあまり馴染めなかったのですが、中1で始めた吹奏楽部の活動を心の拠り所にして過ごしていました。担当の楽器はフルートです。楽譜が読めない私は、耳コピで曲を覚えていました。友達からは、「どうやって耳コピで吹けるの?」と不思議がられましたが、私にとっては、耳で覚えることが当たり前でした。楽譜で覚える人もいるし、耳で覚える人もいる、それくらいの違いかなと捉えていましたね。中高と6年間部活動中心だった学校生活の卒業後は、いわゆる家事手伝いとなりました。やりたいことも特になかったので、進学も就職もしませんでした。
郵便局のパート事務員として11年はたらく
高校卒業後は、興味のある短期のアルバイトをいくつかやりました。例えば、公共交通機関での経路調査をするアルバイトや年賀状の仕分けなどです。短期アルバイトを繰り返す生活を5年ほど送り、趣味である宝塚歌劇団をもっと観るために、長期ではたらいて貯金をしようと考えるようになりました。当時、短期アルバイトをしていた郵便局で、「長期の仕事はありませんか?」と相談したところ、ちょうど退職するパートタイム社員の後任を探していたようで、一般事務職で採用されることになりました。郵便局は、職場も落ち着いていて安定してはたらきやすく、結果として11年勤めることになりました。その後、正社員としてはたらくことを目標に郵便局を退職し、転職活動を行いました。
原因不明の体調不良。生きづらさから、うつ病を発症
しかし、なかなか転職活動が思うようにいかず、派遣会社に登録して事務派遣としてはたらくことにしました。はじめて一般企業ではたらくことになったのですが、郵便局での環境とは異なり、残業があったり、繁忙期があったりと生活は大きく変わりました。私は、周りの期待に応えるため、目一杯頑張ってしまうところがあり、疲れていても休まず、仕事に行かなければと、身も心もがんじがらめになっていきました。その頃から、原因不明の体調不良を感じるようになりました。内科に行っても症状は改善せず、だんだんと心身共に具合が悪くなっていきました。このままでは自分が壊れてしまうと感じ、心療内科を受診したところ、うつ病と診断されました。振り返ってみると、そのときの私は、仕事を休むという思考すらなく、休んではいけない、仕事に行かなければならない、疲れは甘えているだけではないか、そんな風に自分を縛り付けていたように思います。本当に生きづらかったです。
40代になって、はじめてASDと診断される
医師に生育環境について訊かれたのですが、うつ病以外に、発達障害もあると診断されました。ASD(自閉スペクトラム症)です。それまで自覚はなかったのですが、ASDと診断されて、心のどこかで感じていた「生きづらさ」の理由が分かったような気がしました。
自分の特性を理解できたので、自身で対処しながら、これからも障害のことはクローズしたまま、一般採用で就労し続けようと最初は思いました。しかし、うつ病を発症したからなのか、その頃はとても疲れていたのもあり、認知能力の低下を感じたんです。今までできていたことができないのです。例えば、慣れているはずの入力業務もできなかったり…。このまま継続して一般採用枠ではたらき続けられるのか、障害者採用枠で転職した方がいいのか悩みました。「そもそも、うつ病の発症も、特性による生きづらさが理由の一つかもしれない」と考えると、特性を理解してもらえる障害者採用枠が良いのではないかと結論に至りました。そこでdodaチャレンジに登録し、エージェントサービスを利用して、今に至っています。