私は、絵を描いたり、写真を撮るなど、表現活動が好きです。絵や写真の仕事をしていた母の影響が大きいと思います。物心ついた頃から、いつも楽しく絵を描いていましたし、母のカメラで写真をよく撮っていましたね。私には知的障害があり、小学校、中学校は普通校に通っていましたが勉強は苦手でした。学校は嫌いではなかったので、美術系の高校に進学し、その後も芸術の勉強がしたくて芸術大学の写真学科に進学しました。
大学では、デッサンを勉強したり、暗室でフィルムを現像したり、好きなことに没頭できました。サークル活動はしていませんでしたが、いくつかのアルバイトを経験し、大学生活はとても充実していました。カラオケ店やネットカフェの接客のアルバイトは長く続かなかったのですが、駅の清掃バイトは1年半やりました。きっと、周りのスタッフが親切で、仕事がきついときに声をかけてくれたり励ましてくれたり、アットホームな環境が自分に合っていたからだと思います。
一般枠と障害者採用枠の両方で就職活動しても、うまくいかず
就職活動は、大学3年生の終わりから始めました。そのとき両親が、障害者採用枠で就職する方法があることを教えてくれました。一般採用枠と障害者採用枠とで、何が違うのかよく分からなかったのですが、2つの選択肢があるなら、両方やってみよう、そんな気持ちでいました。しかし、実際に合同説明会に参加したり、就活をしてみると、全然うまくいかないんです。だんだんと自信をなくしてしまい、動けなくなってしまいました。結局、在学中に就職先は決まらず、大学の副担当の先生が薦めてくれた写真学科のアシスタントのアルバイトに就くことになりました。
大学卒業後、5年続いたアルバイト生活
アシスタントとしてはたらくことになってはじめて、大学には知的障害があることをオープンにし、2つの配慮事項をお願いしました。1つは、仕事の説明は、口頭だけではなく文章や絵でも伝えて欲しいこと、もう1つは、ゆっくり話して欲しいことの2つです。先生も私の障害を理解し対応してくださったのですが、アシスタントの仕事は事務的な作業が同時進行でいくつもあったり、また自分のペースで仕事ができなかったりして、思うようにはかどりませんでした。自分には向いていないと感じて、1年でアシスタントを辞めました。辞めた後は、気持ちがダウンしてしまい、3ヶ月ほど休養することになりました。
少しずつメンタルも快復してきたので、求人誌で見つけたクリーニング工場でアルバイトを始めました。私はYシャツのしわを伸ばす担当になったのですが、やったことが成果として見て分かるので、仕事にやりがいを感じました。また職場の人たちは優しく、仲間もできて居心地が良かったです。2年ほど経つと、仲の良かった仲間が辞めるなど、メンバーは入れ替わっていきます。このタイミングでクリーニング工場を辞め、倉庫で梱包を行う派遣アルバイトや、ファーストフード店でのアルバイトを掛け持ちすることにしました。
知人の紹介で、就労継続支援B型事業所の複合施設支援員に
アルバイト生活を続けた後、知人からの紹介があり、就労継続支援B型事業所の複合施設支援員として2年間、正社員として就職しました。そこでは安定してはたらいていたのですが、事業所が閉鎖することとなり、再度就職活動を行うこととなりました。
30歳を前にして、ハローワークで就職活動を始めました。しかし、やっぱり自分ひとりでは就職先は見つけることができませんでした。そんなとき、友人が、障害者専門の転職エージェントを紹介してくれたんです。いくつかのエージェントに登録しましたが、お返事をいただいたのはdodaチャレンジだけでした。