私は、dodaチャレンジの転職支援サービスで入社した今の会社の前に、5社経験をしているんですが、いずれの会社も長く続きませんでした。仕事内容も、販売、事務、工場での製造などで、経験もばらばらです。どの仕事も、自分なりに頑張っていたのですが、うまくいかずに退職したり、契約が満了となったりで、今の会社が一番長くて、入社してから半年が経過しました。
子どもの頃からあった「自分は知的障害ではないか」という違和感
小学生の頃から、周りの友達と比較して違和感があったように思います。友達はできるのに、自分にできないことが多くて、「どうして、自分は同じようにできないんだろう」と思っていました。例えば、算数の九九も、1年かけても全然覚えられませんでしたし、漢字のテストでも書くことができないので何度も再テストを受けたりしました。それでも中学までは、「天然キャラ」でやり過ごすことができていました。高校生になると、友達同士の会話も高度になるので理解できないこともよくあり、その頃から、「自分は知的障害なのではないか」と思うようになりましたが、家族は「大丈夫よー、平気よ」と言ってくれていたので、私もそこまで深刻になることはありませんでした。勉強にはついていけませんでしたが、高校時代は軽音楽サークルに入りボーカルをやったりして、なんとか過ごしていました。
専門学校卒業後に就いたアパレル販売は2ヶ月で退職、その後も転々と
服飾の専門学校に進学し、その後洋服の販売職の仕事に就きました。私が好きなデザインの洋服を扱ったお店でしたが、接客もレジの仕事も私にはとても難しく感じました。お客様と会話を合わせることができないし、計算ができないので会計を間違えてしまうんです。
学生時代は「天然キャラ」でなんとかなることも多いですが、社会人になったらそういうわけにはいかない―、そう実感しました。この仕事は私には無理だと思い、2ヶ月で退職しました。その後は、派遣社員や契約社員などで仕事をつなぎながら生活していましたが、中には、契約を打ち切られてしまうこともありました。「他の人がすぐできることが理解できない」ということで、どんどん自信もなくなっていきました。
ハローワークに相談し、障害者認定機関を受診
仕事が続けられない理由は、「知的障害があるからではないか」という思いはより強くなっていきました。ハローワークで相談したところ、病院で診断を受けるか、市役所に申請して認定機関で受診するかの2つの方法があることを担当の方が教えてくれました。当時、ほとんどはたらけていなかった私はお金がなかったので、市役所に申請する方法を選びました。認定機関には母と一緒に行き、認定結果は、軽度の知的障害があるということでした。「やはり知的障害だったんだ」と、ほっとしたのを覚えています。
障害者雇用枠で求職活動をすると決断
障害者手帳を取得するときには迷いもありました。ネット、SNSなどで障害者手帳に関する否定的な情報を目にすることもあり、障害者手帳を取得する必要があるかということや、甘えていると思われたらどうしようとも考えました。
ただ、私自身が手帳を取得して感じたことですが、誰かの助けを求めることも勇気のいる行動でした。もし今障害を認定されていなければ、これまでのように仕事を含む様々なシーンで困難や悩みが重なっていたと思います。
私は、障害者雇用枠で自分に合った仕事をしたいと考え、障害者手帳を取得してから、改めてハローワークで求職活動をしました。ですが、そこでは思うような求人に出会うことができず、ネットで調べた転職エージェントの中から、dodaチャレンジに登録しました。