私が、はじめてスノーボードをしたのは短大生のとき、1998年開催の長野冬季オリンピックがきっかけです。オリンピック競技として初めてスノーボードハーフパイプが登場し、それを見て、私も挑戦したい!と思ったんです。それまでは、スキーも数回しかやったことがありませんでした。なので、その時の「挑戦したい!」から始まり、40歳を過ぎた今も、障害者アスリートとしてキャリアを歩んでいるとは、自分でも想像していませんでした。
22歳でスノーボードを競技としてトレーニングするようになり、冬は山で練習、夏は陸上競技で体を鍛える生活を始めました。聴覚障害がある私は、障害者雇用枠で事務職として平日仕事をしながら、土日に練習する生活を7年間続けました。
トレーニングする時間を求め、正社員からアルバイト生活へ
アスリートとして高みを目指すためには、トレーニングの時間がもっと必要でした。正社員ではたらいていた勤務先ではやりがいも感じていたのですが、真剣にスノーボードに打ち込みたいと考え退職し、アルバイト生活に切り替えました。
それからはトレーニング優先の生活を送り、聴覚障害のあるアスリートのためのデフリンピックという国際大会があることを知ったのもその頃です。「デフリンピックでも、表彰台に立ちたい!」と次の目標ができました。遠征やトレーニングのためのお金もさらに必要となり、収入が不安定なアルバイト生活では続けていくことが難しい状況となりました。私は、スポーツと仕事の両立を応援してくれる会社を求めて、再び就職活動を始めました。
スポーツと仕事の両立、そして障害配慮もある会社に転職
ハローワークと障害者専門の転職エージェントに登録し、外資系コンサルティング会社に障害者採用枠で入社しました。事務職として通常勤務になりますが、大会遠征のための特別有給休暇(年間7~10日)が支給され、休みも取得しやすい職場でした。
そして、2013年のデフスノーボード世界選手権大会ではスノーボードハーフパイプで優勝することができました。これまでの生活に比べたら安定し恵まれましたが、欲を言えば平日もトレーニングがしたかったですね。また競技にかかる費用や遠征費も自費だったので、経済的負担は大きいままでした。
30代後半で、はじめて障害者アスリートとして採用
2015年のデフリンピックでは、スノーボードハーフパイプで目標にしていた金メダルを獲得することができました。とても嬉しかったです。この時、出産後でまだ子供も小さく、競技と仕事と育児を両立するためにも、この実績をもって障害者アスリートとして転職活動しようと決意しました。
dodaチャレンジとは別のエージェントでしたが、転職先が決まるまでは、1年かかりました。障害者雇用で、かつアスリート採用の求人自体がそもそも多くない中、仕事をしながら転職活動を行うことも大変でした。
ようやく決まった会社は、メディア制作会社で、契約期間は5年でした。障害者アスリートとしての雇用条件は満足のいく内容で、出社の必要はなく、練習=勤務と見なされるので、すべての時間をトレーニングに充てることができます。また、給与とは別に、活動費として年間80万円支給されました。このとき私は30代後半になっていましたが、諦めずによくやってきたと自分でも思いましたね。