私は、美術大学を卒業し彫塑を学びました。子どもの頃から、手を動かして立体を造ることが好きだったんです。きっかけは小学校の頃、通っていた造形教室です。6年間続けましたが、最初は、ものすごく抵抗して嫌々通っていました。私は人見知り、場所見知りが激しいタイプだったので、知らない人や初めての場所への拒否反応が強かったんです。しかし、母が、私が慣れるまで根気強く通わせてくれたおかげで、だんだんと造形の楽しさが分かるようになり夢中になっていきました。
造形教室以外にも、スイミング、バレエ、ピアノ、絵など、たくさんの習い事をしていましたが、最後まで続いたのが造形教室でした。どの習い事も自分からやりたいと言って始めたものはなく、母が決めていたので、子どもの頃は、「習い事をさせられている」感覚でした。大人になってから母に聞くと、「いろいろやってみてチャンスを掴ませてあげたい」という思いからだったそうです。当時はギャンギャン泣きながら教室に通っていたという記憶が多いのですが、今思えば、好きな造形・彫塑に出会えたので感謝ですね。
中学生のとき「自分はADHDではないか」と自覚、大学生のときに初受診
私はおてんばで、物心ついたころには周りの子との違和感を感じるようになりました。友達から、からかわれたりすることもありました。中学生になって、たまたまテレビで特集していたADHDの番組を観ていたときに、「これ、私だ!」と思ったんです。忘れ物が多い、緊張すると多動、過集中するなどの特徴が当てはまって、もしかしたらADHDなのではないか?と思いました。でも、家族にどう話した良いか分からず、一人でずっと抱えていました。
精神科を初めて受診したのは大学2年生のときです。美大の知り合いから「病院に行ってみたら?」と勧められたんです。まだ家族には話せずにいたので、一人で病院に行きました。診断の結果は、ADHDとアスペルガー症候群でした。アスペルガー症候群については、それまで自覚がありませんでしたが、診断されて納得しました。また、自分の特性がはっきり分かったので、行動する際の対策を立てる手段が明確になり、ほっとしたことを覚えています。薬も処方してもらい、服用すると生活が楽になっていきました。受診から数ヶ月後、家族に報告したところ、「そうなんだ」と言ってもらえたのも嬉しかったです。
マルチタスクは苦手。障害者枠での就職を決断
障害者手帳を取得したのは、就職活動が具体的になった大学3年生のときです。就職活動を一般枠にするか、障害者枠にするかでとても悩みました。いろいろ調べていく中で、特性を理解してもらい無理なく仕事を続けられる環境はどちらか?という点が決め手となり、障害者枠で就活することを選択しました。大学1年生の時から、マンガ喫茶でアルバイトをしていましたが、マルチタスクをこなす社員のはたらき方を見て、自分にはできないと認識していましたし、時間に追われたり、複数の業務を並行することがとても苦手です。家族にも相談し、「続けられる方がいいんじゃない?」と理解してもらえたので、障害者手帳を取得し、障害者枠で就職活動を進めました。