私が、ADHDと診断されたのは、就職して3社目となる前職に勤めているときで、それまで自分の障害特性に自覚はありませんでした。ですが、大学で就職活動をしていた頃、大きく体調を崩し、緊張していたり周囲に人が多いときなど音がこもって聞こえてしまう病気になりました。
私は、学生時代、中国とカナダに1年間留学し、帰国したのは大学3年生のときでした。特にカナダでは、田舎の方でのんびりとした時間をすごしていたので、帰国後すぐに始まった就職活動という環境の変化に体がついていかなかったのかもしれません。就活では「いつ、どこで、どの会社で」を自己管理する必要がありますが、私は、子どもの頃から物忘れが多かったので、スマートフォンのリマインド機能を使ってタスク管理していました。自分なりに工夫はしていたものの、就活と大学の授業、テストなどを並行するうちに、体調を崩し、耳が聞こえにくくなってしまったんです。この耳の病気で、長時間立つ仕事は難しいと医師から診断されました。後から分かったことですが、耳の病気もADHDによるものだったようです。
客室乗務員を諦め、保険会社に就職するも3ヶ月で退職
私は、目指していた客室乗務員を諦め、座って仕事ができる事務職で就職することにしました。エントリーした会社は20~30社で、そのうち保険会社や旅行会社など4社から内定をいただき、テレマーケティング型の保険会社に入社しました。電話での営業活動であれば座ってできるので、続けられると思っていました。しかし、1日200件ほどの電話は耳への負担も大きく症状が悪化し、その会社を3ヶ月で退職することになりました。その後、留学経験を活かしてハローワークで見つけた小さな中国系の貿易会社に転職しましたが、その会社も3ヶ月で退職。大学卒業して1年も経たず、3社目となる人材派遣会社では、経理職の契約社員で決まりました。1社目で保険関係の資格をいくつか取得していたので、採用に至ったようです。
在宅勤務で過度のストレスを感じ、精神科を受診
3社目の人材派遣会社に入社して半年頃、新型コロナウィルスの影響で在宅勤務となってから、バランスを崩していきました。在宅勤務は、出社してオフィスではたらくよりも自己管理能力が求められます。はたらき方が変わったことでやることが増え、また経理の仕事は納期があるので、仕事に追われるようになりました。その結果、ミスの多発、日々のルーティン業務を忘れる、社員の名前も分からなくなることがありました。ちょうどその頃に胃腸炎を患い内科に行ったのですが、精神科クリニックを紹介され、受診するとADHDと診断されました。これまで自覚がなかったので、正直ショックでした。しかし思い返すと、子どもの頃から、忘れ物が多い、時間に遅れる、集中できない、聞いて覚えることができないなど、ADHDの特性に当てはまっていたので、「自分はADHDなんだな」とすぐに受け入れられました。
勤めていた人材派遣会社に診断結果を伝え、理解してもらえたので続けることは可能でしたが、契約更新はせず、障害者採用枠での転職活動に踏み切りました。もともと契約期間が満了となったら長期で海外に行きたい、と考えたりもしていたのですが、コロナ禍でそれも難しくなり、障害配慮のある環境で、正社員として長期的にキャリアを積んでいこうと考えたからです。