うつ病、適応障害/50代/特例子会社への転職ストーリー

うつ病、適応障害の方の転職体験談うつ病、適応障害の方の転職体験談

40歳を過ぎて適応障害とうつ病を発症した私が、今安定してはたらけているのは、就労移行支援「ミラトレ」と「dodaチャレンジ」で自己理解にしっかり時間をかけたから

H.I.さん 50代 うつ病、適応障害

転職活動期間
3ヶ月
前職
人材派遣 事務サポート
現職
人材業界 特例子会社Web広告制作アシスタント

大手商社を1年で退職。その後30歳まで舞台役者の道を進む

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私は短大卒業後、大手商社に入社したのですが、芝居を続けたくて1年で退職しました。学生時代に熱中した舞台が楽しくて、社会人になっても続けていける環境をつくるため、転職を決意しました。芝居と生活のために派遣社員ではたらく二足のわらじ生活を30歳まで続けました。そして10年間思いっきりやった芝居に区切りをつけ、新しい人生を踏み出すことにしました。

転機となった30代。ライフスタイルの変化と40歳での転職

私は、大手飲料メーカーではたらき始めました。その会社も派遣社員でしたが、10年勤めました。当時の派遣法はまだ3年ルールがなかったので、同じ会社に勤続できたのです。その間に結婚し、2人の子どもを出産しました。

ちょうど私が40歳になったとき、事業撤退で私がいた事業部がなくなりました。派遣会社から部署異動の話もあったのですが、これを機に新たな挑戦をしてみたい気持ちが湧き、正社員としてベンチャー企業に転職することにしました。この転職がうまくいかず、短期間で転職を繰り返すようになったのです。

その後すぐに別の会社に転職できましたが、その会社も2~3ヶ月で退職してしまいます。そこから3社、いずれの会社も長く続くことはありませんでした。

そして、マネジメント職として採用された企業で就業していた際に発病しました。これまでのスタイルと違いすぎたからだと思います。派遣社員の頃の仕事は、定型業務かつ責任範囲も明確でした。ところが正社員になり、ずっとサポート職だった私が、部下のマネジメントも職務となり、仕事内容の変化は大きかったです。私は日に日に疲弊していき、半年で体調を崩して退職しました。

長期就業ができない原因は適応障害だった

私が適応障害と診断されたのは、コロナ禍のフルリモートワークでの環境下のときでした。気持ちに余裕がない時だったので、業務でわからないことがあっても、誰に相談すればよいのかもわからない状況で、仕事が思うように進められず、ストレスが溜まっていきました。
四六時中、仕事のことばかり考え、家事が手に付かなくなり、そんな私の異変に、家族が気づき、病院に連れて行ってくれました。私は覚えていないのですが、泣いてばかりいたそうです。

医師の診断を聞いて、「やっぱりそうだったのか」というのと、「私が、そんな病気になるの?」という2つの思いがありました。私は、小さい頃から活発で、小中高はバスケットボールをやって、関東チームの選抜選手にも選ばれたし、周りからは「いつも笑って明るいね」と言われていました。その私が、適応障害になるなんて、と自分自身が一番信じられませんでした。

しばらく休んで症状が少し緩和すると転職活動の再開。さらに悪化のサイクルへ

その会社は退職したのですが、少し症状が快復したので、自己判断でまたはたらき始めてしまいました。でも数日出社しただけで、体がまったく動かなくなり、とうとう入院するほど悪化してしまいました。医師から1ヶ月の入院が必要と言われたにもかかわらず、私はどうしても早く病院を出たくて、医師の反対を押し切り1週間で退院しました。今考えると、どうしてここまで自分を追い込んでいたんだろう、頑張ろうとしていたのだろう、と思います。

退院後も症状は一進一退で、病院を転々としました。実家の母親に世話になったりして、少し良くなったら派遣ではたらき、1週間も続かず退職、ということを何度か繰り返しました。そんなときに、就労移行支援事業所の「ミラトレ」を知りました。見学だけでもしてみようと、母に付き添ってもらいました。一人で外出すらできなくなっていたからです。

適応障害からうつ病へ。障害者手帳を取得し、ミラトレに通所

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ミラトレのスタッフは、とてもあたたかく、すごく安心感がありました。「はたらく未来をあきらめない」というミラトレのメッセージも心に響いたので、ここなら通えるかもしれないと、通所することにしました。そのとき、スタッフから、病気と向き合った方が良い、信頼できる医師の医療を受けた方が良いとアドバイスがあり、主治医となるクリニックも紹介してもらいました。病名は適応障害からうつ病へ、服薬する薬も変わり、そのおかげで徐々に状態もいい方向に向かっていきました。このとき障害者手帳を取得しました。

最初の半年は、ミラトレへの通所も週1~2日行くのがやっとでした。毎日通えるようになっても、私の場合、あるがままの自分を認めるまでに時間が必要でした。自分と向き合う時間は葛藤の時間であり、苦しいものでした。私のケースは、父の他界後、一人で私を育ててくれた母に心配をかけたくない、120%の努力をしないといけない、という思考と、尊敬する母のように自分もありたいという思いが、いつしか自分を縛り、追い詰めてしまったのだと今では思います。

上司も同僚も障害を理解し合い、安心してはたらける特例子会社に就職

自己理解に時間をかけたので、ミラトレには1年10ヶ月通所しました。通所中から、就職活動はdodaチャレンジにサポートしていただき、2ヶ月くらいで就職先が決まりました。年齢的にも不安はあったのですが、キャリアアドバイザーが人柄を推薦状で推してくれたのが良かったのだと思っています。現在は、人材会社の特例子会社でWeb広告制作のアシスタントをしています。

他に外資系コンサルティング会社から内定をいただきましたが、安定就労を第一に考えたうえで現職を選びました。特例子会社は、上司も同僚も、障害のある社員が多く、障害を乗り越えた共通体験があるからか、お互い安心感があり、居心地がよいです。テレワークも可能で、今は出社3日、リモート2日で勤務しています。入社から9ヶ月、これからは、新人や後輩に業務を教えたり、みんなの役に立てるようなマニュアルを作ったりなど、目の前のことをひとつずつ取り組んでいきたいと思っています。

うつ病、適応障害の方からのメッセージうつ病、適応障害の方からのメッセージ

メッセージ

最初に心身に変化があったのは40歳でしたが、そこから10年という長い年月の中で、少し良くなったらはたらいて、やっぱり悪化して、を繰り返しながら、適応障害、そしてうつ病を発症していました。うつ病は目には見えない疾患ですし、私のように「頑張らなきゃ」と思っている方ほど、自分を追い込んでしまうのかもしれません。少しでも私と同じように感じている方は、自分に無理をさせず、心と体の健康を忘れないでください。主治医に相談したり、ミラトレを見学してみたり、dodaチャレンジに相談してみたり、今できそうなことをやってみてくださいね。

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