私は中学生の頃から学校への行き渋りがあるなど精神的に不安定なところがありました。幸い高校は友人や先生に恵まれ楽しく3年間を過ごしたのですが、大学生になって、また不安定になり、パニック障害を発症し、その後うつ病の診断を受けています。
大学卒業後は、昔から興味のあった演劇の世界に入り、就職しませんでした。アルバイトをしながら養成所に通い、経済的には厳しい生活を5年送ったところで区切りをつけ、ハローワークで就職活動を始めました。
職場の人間関係に悩み、クリニックを受診
ハローワークでは文字通り、片っ端から求人に応募し、意外と早く就職先が決まりました。イベント施設での観光案内の仕事です。歴史好きなのでやってみようと思い、東京から地方に移住しました。しかし慣れない土地や地域の文化的違いもあり、スタッフとうまくコミュニケーションがとれず、4ヶ月で退職してしまいました。
再度、ハローワークを通じて就職し、放課後デイサービスの職員として2年ほどはたらきました。その2年間も、スタッフとの関係は良くなく、私は一生懸命、仕事に取り組んでいるつもりでも、周りのスタッフからは、もっと動いて欲しいと言われたり、良かれと思ってしたことが相手の迷惑になっていたり、すれ違いが多かったと思います。
上司から、「発達障害ではないか?」と言われたときは、最初はその言葉にショックを受けました。ただ落ち着いて考えてみると、これまで人とのコミュニケーションに違和感があったのも、すれ違いが多かったのも、原因が自分にもあったかもしれないと思い、クリニックを受診することにしました。
就労移行支援事業所通所と障害者手帳の取得
ASD(自閉症スペクトラム症)と診断されたときは、すでに私は30代で「この先、どうやって生きていけばいいのか、仕事はどうしようか。」と不安でたまりませんでした。
家族に相談すると、まずは発達障害があることを受け入れるために、障害者手帳の取得と就労移行支援事業所への通所を勧められました。
最初いくつかの事業所を見学に行きましたが、なかなか私にあう就労移行支援事業所が見つかりませんでした。ですが、幼い頃から最も信頼している姉が教えてくれた「ミラトレ」は見学に行った瞬間に、「ここなら通えそう」と感じました。スタッフの方も柔らかい印象で、雰囲気が暖かくとても良かったからです。
「ミラトレ」通所の最初半年は、「発達障害である自分」の受け入れ期間だった
dodaチャレンジと同じ、パーソルダイバースが運営している「ミラトレ」には、最初の半年間は、週3日通所していました。気が乗らない日もありましたが、家にいてもやることもないので、その間は休みたくなくて続けました。通所していくうちに、だんだんとASDの診断も受け止められるようになっていました。
その後支援員の方から、週5日の通所と就職準備を提案されてから、ここは就職をめざす場所だったと改めて意識し、PCスキルの習得や、グループワークによるコミュニケーション力向上を図りました。