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Age28 ~28歳から、今の私につながるキャリア~

Age28 ~28歳から、今の私につながるキャリア~ Age28 ~28歳から、今の私につながるキャリア~
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掲載日:2017年4月3日
更新日:2020年8月24日

何が正解かなんて誰にも分からない
大切なのはとにかく精いっぱい考えて悩んで、自分自身で決断すること

『報道ステーションSUNDAY』(テレビ朝日系)のメインキャスターを2011年10月から5年半にわたり務め、2017年4月から『サンデーステーション』(同)のメインキャスターに就いた長野智子さん。フジテレビアナウンサーとしてバラエティ番組で有名になった20代は、「ありたい姿」と「周囲の期待」のギャップに苦しんだと言います。退職後のフリーでの活動、そして渡米を経ての報道キャスターデビューと、「ありたい姿」に向かって悩みもがきながら挑戦を重ねてきた道のりをお聞きしました。

報道キャスター/ハフィントンポスト日本版編集主幹長野 智子さん

1962年アメリカ・ニュージャージー州生まれ。上智大学外国語学部英語学科を卒業後、株式会社フジテレビジョンにアナウンサーとして入社。1990年に結婚退職しフリーに。1995年秋から夫のアメリカ赴任に伴い渡米。ニューヨーク大学大学院でメディア環境学を専攻し、1999年修了。帰国後の2000年4月から『ザ・スクープ』(テレビ朝日系)のキャスター、2011年から『報道ステーションSUNDAY』(同)のメインキャスターを務める。2014年1月、ニュースサイト「ハフィントンポスト」日本版編集主幹に就任。2017年4月から『サンデーステーション』(テレビ朝日系)のメインキャスターに。『踏みにじられた未来 御殿場事件、親と子の10年闘争』(幻冬舎)など著書多数。

~28歳の時~ バラエティ番組で人気を得るほどに深まった葛藤
心の奥にくすぶる「報道に携わりたい」という思い

28歳といえばちょうど、結婚してフジテレビを退職したころです。退職を決めた理由を一言で説明するのは難しいですね。一番の理由は、結婚するなら家のことをきちんとやりたいと考えたから。ただ、その裏には、自分のキャリアに対して膨らんでいた悩みや不安に、区切りをつけたいという気持ちもあったと思います。

自分の意思と世間の評価とのギャップに悩む日々

新卒でアナウンサーとして入ったフジテレビでは、2年目から『オレたちひょうきん族』というバラエティ番組を担当しました。無我夢中でバラエティの仕事に取り組み、「ひょうきんアナ」として多くの方に親しんでいただけることにうれしさを感じていたのですが、20代後半に入ったころから、自分の意思と世間の評価とのギャップに悩むようになりました。私自身は入社時から報道志望だったのが、まったく違う分野で有名になってしまったからです。そして何より、バラエティでの評価は、自分の実力で得たものではないこともよく分かっていました。お笑い界を代表する人気芸人の方々がとてつもないプロ意識を持って収録に臨む様子を毎週目の当たりにして、このまま仕事を続けても、私が肩を並べることなど到底無理だと思い知らされたのです。

入社以来、周りには「ニュースをやりたい」と折に触れて伝えていましたが、経験も実力もないことは自分が一番知っていました。やりたいことはあるけれど準備ができていない。一方で、今やっていることは世間的には評価されているけれど自信が持てない。そんなどっちつかずの状態を終わらせて、自分が本当にやりたいことにマイペースに取り組める環境を作れたらいいな…という思いで、結婚退職後はフリーで活動することを選びました。

自分の考えが甘かったことには、すぐ気づきました。フリーになっていただく仕事も全部バラエティだったのです。仕事でお会いした人に「本当は報道をやりたいんです」と打ち明けても、返ってくるのは「君にニュースを読んでもらいたいと考える人はいない」「第一、できないでしょ」という冷たい反応。傷ついたけれど、そのとおりなんです。フリーになってからのほうが、「報道がやりたい」という希望を余計に言いづらくなりました。そして局アナ時代と同じように「このままでは遅かれ早かれ私は必要とされなくなってしまう」と焦りは募りました。

当時は女子アナの「30歳定年説」が今よりずっと色濃かったころ。「私の場合は、周りから言われたわけではなく、自分で勝手に定年を感じて焦っていた気がします。若い後輩が次々に入ってくる中で、この先は今までのようなやりかたでは通用しないだろうな、と自覚し始めたのが28歳前後でした」

~28歳から今~ 大学院で課題に奮闘する中で見いだした
ジャーナリズムの仕事の本質

フリーになってからも葛藤を続け、それがますます深まっていたころ、夫がニューヨークに転勤することが決まりました。選択肢として私だけ日本に残って仕事を続ける道もありましたが、それでは、今までと同じようにモヤモヤした思いを持ち続けるだけだと感じました。実力も自信もまったくないけれど、アメリカで大学院に行って、報道をゼロから勉強しよう。そう決めて、当時携わっていたバラエティの仕事をすべてやめて、32歳の時にアメリカへ渡りました。

その時点で、再びテレビに戻れる保証はどこにもありません。ましてや、バラエティではなく報道で戻ろうとすることが、どれだけ無謀なことかも自覚していました。それでも退路を断って渡米することを選んだのは、自分が本当にやりたいことに打ち込む毎日を送ったほうが、このままモヤモヤを抱えたまま日本で仕事を続けていくよりも、5年後の自分を好きになれそうだと感じたからです。

ニューヨーク大学大学院でメディア環境学を学んだ2年間は、今思い返してもハードでしたね。日本であればテキストを読んで「そこから学びなさい」となるところを、アメリカの大学院では「書かれてある内容を批判しなさい」「批判の根拠となる材料を集めなさい」という課題が毎回出るのです。毎日何時間もかけて必死に課題に取り組む中で気づいたのは、この作業こそが報道の仕事だということ。世の中の多くの人が当たり前だと思っていることや正しいと思い込んでいることに対して、「それ、おかしくない?」と言える証拠を集めて、発表するのがジャーナリズムの仕事なんです。課題が報道に通じていると気づいてからは勉強がすごく楽しくなりました。

大学院を修了後、縁あってテレビ朝日から『ザ・スクープ』のキャスターのオファーを受け、夫をアメリカに残して単身帰国。その翌日には生放送に出ていました。その時の私は37歳。会社組織の中ならベテランとして扱われるような年齢ですが、私にとっては初めての報道の仕事。当時の私は余計なことは何一つ考えず、まったくの新人という気持ちで、目の前の仕事に無我夢中で取り組むことができました。それは本当に良かったと振り返って感じます。

テレビの仕事と並行して、2014年からニュースサイト「ハフィントンポスト」日本版の編集主幹を務める。「時間に制約のあるテレビでは取り上げられにくい話題、例えば海外のニュースや、LGBT、働き方の問題などにも力を入れ、社会に埋もれがちな声を届けることを意識しています」

~28歳の働く女性へのメッセージ~ 精いっぱい悩んで下した決断なら
「その選択に至った自分」に悔いは残らない

仕事を続けてきて実感するのは、何歳になっても見える世界は変わるということ。以前は、ある年齢に達したら、その後はずっと同じような安定した状態が続くイメージがありましたが、実際は、その都度新たな課題や悩みに直面するし、見える世界も違ってくる。だからやめられないんですね。実は、報道の仕事に携わるようになってからも、「私、向いていないな」と悩んだことがあります。その理由は、報道キャスターとして活躍する諸先輩方が持っているような、「これは許せない」という腹の底からの怒りや情熱、イデオロギーが私には何もないこと。そこに大きなコンプレックスを感じていました。それが吹っ切れたのがアメリカ同時多発テロ事件の時。直後にパレスチナで取材をしたのですが、現実に起きていることがあまりに壮絶で、自分の悩みが非常に小さなものに感じられたのです。「私がこの現場で見て聞いて感じたままを伝えよう。それしかないんだ」と胸のつかえが取れました。自分の目で見て感じたものを、自分の言葉で伝えること。それは今も、報道キャスターの仕事をする上で大切にしていることの一つです。

キャリアを振り返ってもう一つ思うのは、人生というのは、何が起きるかまったく予測がつかないということです。先が見えない中で道を選ぶことはとても難しいし、何が正解かなんて誰にも分かりません。そうである以上、私たちにできることは、今置かれている状況で、今の自分がベストだと思える決断をすることだけ。そのためには、とにかく精いっぱい考えて悩んで、自分自身で決めるという経験を重ねていくしかないと私は思います。

とことん考えた末に自分で下した決断なら、もしも選んだ道が想像とは違っていても、「その選択に至った自分」に悔いは残らないはずです。逆に、なんとなく流されて決めたり、誰かに言われて選んだりすれば、「あの時ああしておけばよかった」と後悔することになりかねず、それはとてもつらいことだと思います。「あのときの自分が精いっぱい悩んで決断したのだから、これで良しとしよう」と、前を向けるかどうか。その「納得」こそが、自分を支えてくれると私は信じています。

「決断するまでに時間はかけるほうですね。でも基本的に『やる・やらない』で迷ったら、やる。『行く・行かない』で迷ったら、行く。何かを決める際の、自分の中での原則にしています」

今、28歳の自分にアドバイスをするとしたら?

自分にまったく自信が持てず、人生で一番悩んでいた時期かもしれません。現実を見たくなくてついお酒に逃げたことも。「大丈夫、意外にうまくいくよ。だから飲み過ぎないで」と言いたいですね(笑)。意気込みだけでまったく準備もできていないのに「報道をやりたい」と言い続けていたので、きっと周りも迷惑したはず。でも今振り返ると、あのころにさんざん悩んでもがいたからこそ、32歳の時に、「ちゃんと報道がやりたいと言える自分になろう」「ゼロから勉強しよう」と腹をくくることができたのだと思います。

編集後記

バラエティ番組で活躍されていたころ、毎週テレビで拝見していた世代です。はつらつとした笑顔の奥にそれほどの葛藤があったとは想像もしませんでした。とことん悩んで決断することの大切さを語ってくださった長野さん。一つひとつ積み重ねた「納得」が自らの支えになる、という言葉が温かく胸に響いて勇気づけられました。

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