放送作家の高須光聖さんがゲストの方と空想し、勝手に企画を提案する『空想メディア』。
社会の第一線で活躍されている多種多様なゲストの「生き方や働き方」「今興味があること」を掘り下げながら「キャリアの転機」にも迫ります。
今回のゲストは、元BiSHのモモコグミカンパニーさんです。2023年6月のBiSH解散以降、事務所を移籍し、新たなキャリアをスタートさせたモモコグミカンパニーさん。歌もダンスもうまくできず悩んだBiSH時代のお話や、現在のキャリアにつながる作詞を始めた経緯、そして、大きな話題を呼んだ解散の裏側を語ります。
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モモコグミカンパニー 2023年6月に解散したガールズグループ『BiSH』の元メンバー。BiSHの多数の楽曲で作詞を担当していたことで知られる。解散後は小説家や文化人として活動。
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高須 光聖(たかす・みつよし) 放送作家、脚本家、ラジオパーソナリティーなど多岐にわたって活動。
中学時代からの友人だったダウンタウン松本人志に誘われ24歳で放送作家デビュー。
観察のつもりがその場で合格。予備知識ゼロで飛び込んだアイドルの世界
高須:もともとどういう子でした?
モモコ:BiSH(※1)に入る前はまったく芸能界志望ではなかったですね。大学時代はずっとメディア系の学科にいたんですけど、「なんでこんなにアイドルオーディションを受ける女の子がいるんだろう」っていう疑問があって。私の周りではそういうのに興味がある子たちがまったくいなかったんですけど、アイドルのオーディションを受ける子って毎年何千人もいるじゃないですか。それでちょっと一回行ってみたいなって思ったのが始まりです。
(※1)2015年~23年6月まで活動した日本のガールズグループ
高須:見てみようと。現場をね。
モモコ:そう。それで適当に受けたのがBiSHのオーディションだったんですよね。だからBiSHのオーディションしか行ったことなくて。
高須:すごいね。それでも受かっちゃうわけじゃないですか。
モモコ:そのときは本当に肩の力が抜けていたんですよね。履歴書に写真も貼らなかったし。だからかも。
高須:思い出づくりのように気楽な感じで行ってるんやね。
モモコ:思い出づくりだし、基本的に周りを見に行ってたので。参与観察(※2)みたいな。それが面白かったのか、プロデューサーにその場で「合格」って言われちゃったんです。
(※2)調査者自身が調査対象である社会や集団に加わり、長期にわたって生活をともにしながら観察し、資料を収集する方法。
高須:すごいね! ほかの子もその場で合格とか言われたんですか?
モモコ:言われなかったみたいですね。多分BiSHの中で私がいちばん早く決まったと思います。
高須:すごいね!
モモコ:でもそのときは怪しいと思ってたんですよ。「別に歌もダンスも得意なわけじゃないしアイドル向きでもないのに、なんでこの人は合格って言ったんだろう」って思って。
高須:この業界怪しいやつもおるからね。
モモコ:それでいったん「ちょっと無理です」って言って。その後にプロデューサーの渡辺淳之介さん(※3)がやっていることを家でちゃんと調べて。そうしたら結構ちゃんとした面白いことをやっていらっしゃるって分かったから、いっしょにやりたいなって思って。
(※3)音楽プロデューサー、実業家、作詞家、ファッションデザイナー。BiSHを手がけた株式会社WACKの代表取締役
高須:普通はオーディションに行く前にチェックするんやろうけどね(笑)。
モモコ:そうなんですよね。本当に何も考えずに行きましたね。そこからがまあ本当に大変でしたけど。
BiSHにいたら作詞家になれる。歌もダンスも苦手な中で見つけた自分の役割
高須:いざアイドルをやってみてどうだったんですか?
モモコ:ライブも最初からずっと満員ってわけでもないし、停滞していた時期もあったんですけど、あるとき『アメトーーク!』(※4)とかで取り上げていただいてすごくいい感じになって。芸人さんが取り上げてくださったのが大きかったかも。私の中では千鳥(※5)のノブさんは神なんですよ。
(※4)テレビ朝日系で2003年4月から放送されているトークバラエティ番組
(※5)大悟氏とノブ氏のお笑いコンビ
高須・モモコ:(笑)
モモコ:ノブさんがいなかったらうちらどうなってたか。『アメトーーク!』出た瞬間にツアーチケットも全部売れちゃったりしました。そこで知って好きになってくれる人が多くて。だから芸人さんは多いですね。BiSHの周りには。
高須:それはなんでだと思いますか? 自己分析するに。
モモコ:なんか面白いんじゃないですか? “一言で片づかないアイドル”というか。かわいいとか曲の良さもあるかもしれないけど、なんかちょっとみんな“いびつ”というか。私みたいな人間が東京ドームに立っちゃダメなんですよ。
高須:いや、そんなことないでしょう(笑)。
モモコ:本当にそうなの。私スキップもできなかったんですよ。
高須:じゃあダンスは全然あかんかったんやね(笑)。
モモコ:全然ダメで。小学校のころにスキップの教室に通ってやっとできたって感じの能力でしたし、歌も歌ったことなかったし。
高須:BiSHのオーディションのときに、ダンス審査とかはなかったの?
モモコ:なかったんですよ。でも初期メンバーは「元アイドルです」とか「ソロシンガーでやってました」っていう子ばかりだったんですよね。
高須:ヤバいね、それ。スキップできへんかったくらいやからね。
モモコ:だから最初のころは「できなかったら辞めて普通に就職しよう」って思ってました。大学も行ってるし。
高須:その気持ちはいつ吹っ飛びました?
モモコ:最初にアルバムを出すときに作詞をさせてもらったのがすごく大きくて。もともと「言葉に関わる仕事がしたい」って気持ちがずっと根底にあったんですけど、作詞家ってどうやってなればいいか分からないじゃないですか。小説を出すのも一般人からしたら相当大変だし。でも、「BiSHにいたら作詞家になれるんだ」って思ったんです。
高須:それはすごいね。本来ならば専門家の人に任せるとか誰かにお願いするからね。
モモコ:最初任せてくれたんですよね。それがすごい大きくて。
高須:すごいよね。しかもそれでみんなが喜んでくれるとか、盛り上がってくれるっていうのはうれしいよね。
モモコ:私は歌割り(※6)で1行しか割り振られない曲ばかりだったけど、作詞をさせてもらえて、それをほかのメンバーのいい声で歌ってもらえてる。それだけで私は満足で、「この役割でいいや」って思ったんです。
(※6)ボーカルが複数名いるときに、誰がどの部分を担当するかなどを決めること
高須:なるほどね。自分の役割があったのね。
ふがいなさに泣いたデビュー当時。背水の陣で踏み出した小説家への第一歩
高須:ほかの人はダンスも歌もある程度ポテンシャルがあるから、そこにおいつくためにレベルを上げていかなきゃいけなかったじゃないですか。それって結構大変じゃないですか?
モモコ:大変でしたね、本当に。ライブの日とか、毎回泣きながら帰っていました。家に着いても鍵穴に鍵を入れられないんですよ。自分がふがいなさすぎて。「このまま寝ていいのか」「帰っていいのか」みたいに感じてぼうぜんとしてしまって。
高須:うわー、きついねぇ。
モモコ:すごかったですね、最初のころは。リハーサルでちょっと動いたそばから5分間ダメ出し、みたいな時間が私には絶対にあって。でもそれを嫌だと思うようなプライドはもうなかったので、吸収するだけっていう感じでしたね。
高須:そうね。みんなに迷惑かけへんようにって思うもんね。8年間の中で楽しくなってきたのはどこからですか?
モモコ:やっぱり文字でBiSHに関われるようになったのがすごく大きかったです。歌詞やコント台本を書けるとか。BiSHの中でのモモコグミカンパニーの色がちょっとハッキリしてきたころから楽しくなってきましたね。
高須:BiSHがもう終わるって、あるとき決まったわけじゃないですか。みんな「あれ? 将来どうしていく?」ってざわつきませんでしたか?
モモコ:世間に言ったのは2年くらい前なんですけど、その1年くらい前に私たちは知らされたんですよ。その時点から私は「小説を書こう」って決めていて。「小説が無理だったらもう一般人に戻ろう」って。そこまで考えてました。
高須:えー! 本当に?
モモコ:タレント一本で行くにはちょっと自分は違うかなって思っていたし、その道が幸せなのかっていう自問自答もあったので。「小説を書いてみて、あんまり楽しくないと感じるなら才能がないだろうから、この世界にいるのはちょっとやめようかな」みたいな。
高須:それはやっぱり自分の中にラインがあって、それを越えることができたから「(小説家として)やってみようかな」って思ったの?
モモコ:そうですね。1作目を出したときに、意外と歓迎してくれたり面白いって言ってくれたりする人ばかりで。私の周りにはですけど。
高須:いや、すごい。周りでも厳しいこと言う人は言うからね。
モモコ:そうなんですかね。小説を始めたのも、そもそもスタッフさんを通さず自分で出版社に送ったんです。
高須:えー! すごい。それは自分の名前出さずに?
モモコ:それは出しました。さすがに(笑)。
高須:そら出しましょう、出しましょう(笑)。
モモコ:(笑)。まあBiSH頑張ってきたこともあるし、自分の歴史なので、そこも使っていこうと思って。
やり切ったから悔いはない。「解散すること」が大きな力になった
高須:テレビの仕事はどうですか?
モモコ:楽しいですけど、ちょっと恥ずかしいとか思わず、結構腹を決めないとダメだなって思いました。
高須:バラエティって基本的に腹を割ったほうがいいとぼくは思うほうなんだけど。でも物書きの人だったら面白いキャラを極端に作っちゃっても、それはそれで面白いかな。
モモコ:確かに。やっぱり表に出る人って面白くないとよくないって私は思うので。でもBiSHにいる間に芸能界でできることは何でもやったから、自分に合うもの合わないものが結構分かってきてはいるのかなって。
高須:難しいとこやんね。だから8年間やって、素晴らしい功績とファンもたくさんいる中でパーンと辞めたのは、もったいないなって思うのよね。
モモコ:でも「8年もやったぜ?」って私は思ってて。
高須:(笑)
モモコ:しかもめちゃめちゃやり切ったんですよね。何の後悔もないというか。
高須:全員そんな気持ち?
モモコ:全員はちょっと分かんないですね。でも解散間際に「まだ解散したくないって心の底では思ってる」って伝えてくれたメンバーもいます。
高須:自分の生活に変化を付けると怖いじゃない。しかもどんどん大きくなっていったものを壊すって、すごい怖いやん。
モモコ:でもそこにいるときも結構怖かったりします。グループが大きくなっていくことに対して「これ、いつまで続くの?」みたいな。
高須:そうか。確かに、自分たちが見たことない景色を見出したときに、「あれ?」って思うよね。
モモコ:そう。BiSHに入っていきなり今まで見てきたいろんな番組に出させていただいて、「なんかすごいキラキラしてる世界にいるな」って思いつつも、「これ、いつまで(続くんだろう)?」って思う自分が頭の中にずっといて。そう感じ始めたのがちょうど解散の宣告を受ける前くらいだったので、解散って言われた瞬間良かったって思いました。なんか「解散」っていうのがBiSHの新たな要素になったと思うんですよ。解散が大きな力というか、最後のブースターになってくれたなって思っています。だから解散はすごく悲しいですけど感謝もしてるし、東京ドームに立たせてくれてありがとうみたいな気持ちもあります。
高須:グループって最初は肩を寄せ合いながらやっていけるけど、ある程度大きくなるとやっぱりエゴが出てくるじゃない。ケンカもあるし。どこも絶対そうなの。多分それを経て大きくなっていくと思うねんけど、心が折れて辞めていく人もいるじゃない。8年間みんなが頑張り切れたのは何がいちばん大きかったですか?
モモコ:やっぱ解散が大きかった(笑)。
高須:あー、いいときに解散が来たんや。
モモコ:人って終わりがあるから頑張れるみたいなところもあるし。
高須:そうか。「あそこまで行けばゴールがある」ってみんなが思えたから。
モモコ:そう。みんなBiSHでいろいろやってきた中で行きたい方向が見つかって、それぞれちょっと向いている方向が違くなり始めたときに、「いや、こっちを見ろ」っていう目印になってくれた終わりの一点。
高須:「ゴールがあるよ。その後で考えたらいいじゃん」っていうふうになったんだね、ちょうどよく。
モモコ:そうそう。だから私は良かったなって思っています。そういう意味でも。
高須:それは周りの人もそうやったかもしれんね。やっていく中でみんながちょっとずつ違うことを思い始めると、ビジョンとか立ち位置とか景色も変わってるから、ちょっとずつね。
モモコ:だから渡辺さんの宣告のタイミングがすごく絶妙でしたね。早すぎもなく遅すぎもなく。
高須:なるほど。良かったね、それ。
――モモコグミカンパニーさんのBiSH加入から解散までのストーリー、いかがでしたか?次回もモモコグミカンパニーさんにキャリアの転機や仕事のマイルールを伺います。お楽しみに!
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