高校時代からIT系合宿などに参加し、さまざまな経験を積む。はこだて未来大学大学院に在学中、2010年度未踏ユースのクリエイターを経験。2012年4月、サイバーエージェントへ新卒として入社。同年10月より海外駐在員として米国サンフランシスコ勤務。サイバーエージェント アドテクスタジオでAMoAdのDSPプロジェクトに携わる。
サイバーエージェント アドテクスタジオでAMoAdのDSPプロジェクトに携わる大島孝子氏に、シリコンバレーで働く日々について聞いた。SSP(サプライサイドプラットフォーム)とのインテグレーションやサーバーサイドの開発のため、日々コードを書き、英語でビジネスメールを書く日々を過ごす。そんな中、先輩社員の支援がありがたかったという。
- ──シリコンバレーに行くために、どんなことをしましたか?
- シリコンバレーで働いている日本人にはずいぶんたくさん会いました。そこでアドバイスされたことが、小さなスタートアップ企業だと今の私には就労ビザが取得しにくいこと。それに「最初に入社する会社は日本の企業がいい」ということでした。1社目から米国の会社に入社すると、日本の会社のビジネス習慣を理解できないままになってしまうと言われました。
- ──そこでサイバーエージェントに入ったわけですね。
- 2012年の4月1日から新卒でサイバーエージェントに入社したのですが、内定が出たのは3月6日とぎりぎりの時期でした。その前の時期にずっと米国にいたので、日本での面接に行けなかったんです(笑)。
- ただ、就労ビザは4月に申し込んでも、取得できるのは9月頃と時間がかかるんですね。その間は米国に行けません。この時期は、入社同期のみんなと一緒にサイバーエージェントの研修を受けていました。そうしたらペーパーテストの成績が悪かったり(笑)。座学は苦手なんですけど、理屈を知る、構造を知ることの大切さを改めて味わいました。
- ビジネス研修の中では、広告ビジネスプランのコンペもありました。エンジニアもセールスもデザイナも関係なく、ビジネスプランを作って発表するんです。プレゼンで勝負を決めるのですが、そこに「動くデモ」があるとインパクトが違うことが分かりました。テクノロジー面での本気を示すことができますから。そうしたことも学びました。
- ──アドテクの会社のAMoAdに配属になったのは、どういう経緯なのですか?
- 初めの配属先はCyberAgent Americaで、担当する仕事が何通りかあったのですが、「どれをやりたい?」と聞かれて、一番収益が高くてハードなプロジェクトということで、アドテクを手がけていたAMoAdとの共同プロジェクトを選びました。広告はたくさんのサイトに表示されるから、いろいろなプロジェクトと協力できると思いました。それに、大きなトラフィックを扱う仕事は大きな会社じゃないと味わえないと思いました。「トラフィック燃え」です。ここ、草木が萌える方の「萌え」じゃなくて、炎が燃える方の「燃え」です(笑)。
- ──アドテクは、実際やってみてどう感じましたか?
- 画面の向こうに人がいるのが分かる……というか。それに、すごく泥臭い部分があることも分かりました。
- 私が担当しているのはDSP(デマンドサイドプラットフォーム、広告主を支援)のバックエンド側で、SSP(サプライサイドプラットフォーム、広告枠を売るメディア側を支援)の会社と接続する仕事が中心なのですが、相手の会社の所在地が米国ニューヨークだったり、インドだったり、イスラエルだったり、ヨーロッパだったりします。そうした世界のあちこちにある会社に「仕様をくれませんか」とお願いしたり、技術上の詳細を確認したりします。そうして接続したSSPから流れてくる情報には、私たちが最初に触れるわけです。世界のどこかで、誰かがサービスを使ってくれているのが分かります。Webサービスの息吹を感じます。これは楽しいことです。しかも、そこがお金に直接結びついています。
- ──アドテクの魅力は、やはりお金に結びついていることでしょうか。
- そうだと思います。アドテクは広告売上げに直接結びつく分野です。メディアは広告の収益で内容を良くしようとするし、広告を出稿した側は多くの人に情報を広められる。人をつなぐし、作ったモノもつなぐ、そういう感覚があります。
- ──今の職場で腕が上がった感覚はありますか?
- なんと言ったらいいか……走るのと、筋トレをするのとでは筋肉の付き方が違うと思いますが、そんな感じです。特にチームで開発していると、一人でモノを作るのと違って、ケアすべき部分が増えます。変数名の付け方、テストの書き方、コードの分かりやすさ、Gitをいかに使いこなすか、そういったチームでの開発の「お作法」はめちゃくちゃ鍛えられました。
- ──英語で困ったことはありましたか?
- 私は留学したことがありません。海外経験が少ない状態で、いきなりシリコンバレーに来ました。実は、その後すぐに会社の方針変更でほとんどのエンジニアが帰任となり、さらに「単純にオフショアにタスクをこなすのではなく、それ以上の業務範囲をこなしていき、現地でやるべきことに自分自身以上に組織として責任を持てる人間が優先される」と言われて、もうアメリカにいられないのかと思って泣きました。
- でも、そこから交渉した結果「海外のSSP3社と英語でやりとりから実装、そして実際の接続まで出来るようになれば、アメリカにいってもいい」ということになりました。こうして私はコードだけではなくビシネスメールも英語で書くようになりました。このとき、会社の先輩たちにはものすごくお世話になりました。私のビジネスメールの下書きを見てくれて、毎回真っ赤に直して戻してくれるんです。本当に助けられました。
- 先輩に助けられていると思うことは他にもたくさんあります。アメリカに行く前に会社で壮行会をやってくれたんですが、そこで私がAmazonのWishlistに入れていた『Clean Coderプロフェッショナルプログラマへの道』という書籍をプレゼントされました。あらゆるページに先輩たちが寄せ書きしてあったり、「ここ大事」とハイライトがあったり。この本は今でも宝物です。本当に粋な事をしてくれる会社だと思いました。
- ──今はどんな日々を送っていますか?
- もう毎日がトライ&エラーで、小さなイテレーション(繰り返し)で挑戦と反省をしています。最近、よく使っている言葉が「毎日が人生の瞬間最大風速」です。
- そんな中でも、米国で開催されるハッカソンに出て賞をもらったりしました。来年のラスベガスで開催されるCESと同時開催のイベントAT&T Developer Summitでファイナリストとして自分の作品を発表します。まさか自分がそんなことができるとは思っていなかったんですけど。
- 大変なところに行くと、大変な環境に耐えるスキルフルな人たち、突出した人たちに出会える。必要と思った時に行動力を発揮できるよう、モノを作れるよう、パワフルでありたいと思います。私はモノを作る楽しさ、人と出会う楽しさを知っています。だから、強くそう思います。
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