放送作家の高須光聖さんがゲストの方と空想し、勝手に企画を提案する『空想メディア』。
社会の第一線で活躍されている多種多様なゲストの「生き方や働き方」「今興味があること」を掘り下げながら「キャリアの転機」にも迫ります。
今回のゲストは音楽家のTOWA TEIさんです。数々のアーティストとコラボし、オリジナリティあふれる作品で世界を魅了するTOWA TEIさんが音楽業界に足を踏み入れたきっかけは、1本のカセットテープでした。
TOWA TEIさんの才能を見いだした作曲家・坂本龍一さんとの出会いから、高須さんとテイさんが携わった伝説的ユニットGEISHA GIRLSのウラ話まで。仲良しの2人が語る思い出話をお楽しみください。
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TOWA TEI 1990年にアメリカのハウス・ダンスミュージックグループDeee-Lite(ディー・ライト)のメンバーとしてデビュー。ディー・ライト脱退後は日本を拠点にDJ、音楽プロデューサー、アーティストとして活動。
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高須光聖(たかす・みつよし) 放送作家、脚本家、ラジオパーソナリティーなど多岐にわたって活動。
幼なじみだったダウンタウン松本人志に誘われ24歳で放送作家デビュー。
始まりは1本のカセットテープ。“世界のサカモト”が見いだした才能
高須:テイさんとは結構長い付き合いですよね。初めてお会いしたのは1990年代ですよ。
TOWA TEI:1990年代前半ですね。ニューヨークで。
高須:『ガキの使い』※1の収録に教授(坂本龍一さん)が観覧しに来られたんですよ。そのときに(ダウンタウンの)松本と「教授に曲作ってもらえたらいいよね」って冗談半分で話して。ダメ元で教授にお願いしたらおもしろがって受けてくれたんですよね。それでGEISHA GIRLSって名前でCDを出すことになって、ニューヨークのスタジオでのレコーディングのときに初めてテイさんとお話しさせてもらったんですよ。それでテイさんと仲良くなって。
※高須さんが担当するバラエティ番組『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』。
TOWA TEI:そのレコーディングの様子がそのまま番組になっていましたね。
高須:テイさんはもともと音楽の学校に行かれていたわけじゃないんですよね?
TOWA TEI:そう、全然。
高須:美大出身ですよね。専攻は?
TOWA TEI:グラフィックデザインですね。
高須:そこからどう音楽の道に?
TOWA TEI:武蔵野美術短期大学を卒業して1年間はブラブラしていたんですよ。坂本龍一さんの事務所のオーディオラックを作ったりとか。
高須:そもそもなんでそのときに坂本龍一さんに会えたんですか?
TOWA TEI:坂本さんが『サウンドストリート』っていうラジオ番組で、素人のファンが作曲して送ってくる曲をおもしろがって流していたんです。ぼくも16歳ぐらいから見よう見まねで実験的に曲を作っていたので送ってみたらオンエアされて。しかも「じゃあ今日はお別れにもう1回テイ・トウワくんの曲で」って2回も流してもらえて。もうそのときにぼくは人生のピークがきたと思いましたね。それで、そのときから面識があって。
高須:えらいことですよね。“世界のサカモト”がテイ・トウワくんって言ってくれるんですもんね。
TOWA TEI:それだけでご飯何杯食べられるかって感じでした。それから短大に入ってからも送っていたら、いつもかけてもらえて。
高須:すごい。
TOWA TEI:あるとき韓国のナム・ジュン・パイクというビデオアーティストの方と教授がコラボすることになって。美大でそのコラボのボランティアを募集していたので参加したんです。そうしたらプロデューサーの人に「あなたすごい才能があるんだってね。さっき教授が言っていたよ」って声をかけられたんです。そこに教授が来て、「あれ今度レコードになるから」と言われて。
高須:え? テイさんがラジオに送った曲が?
TOWA TEI:ぼくのだけじゃなくてほかの人の曲も一緒に。
高須:番組に送られてきたいろんな曲をミックスしたレコードをつくることになり、テイさんの曲が選ばれたと。
TOWA TEI:2曲入ったんです。16歳ぐらいのときに送ったものが。
高須:それはテンション爆上がりですよね。
TOWA TEI:そうですよね。しかもいつも送っているカセットに絵を描いていたことから、教授に「君が(レコード)ジャケットを作りなさい」と言われて。絵を描いたといってもコラージュみたいな感じで、今とやっていることはあまり変わらないんですけどね。
高須:いいな。そうなればこの業界に足を踏み入れますよね。
日本でのソロデビューを断りNYへ。カセットテープをきっかけにアメリカデビュー
TOWA TEI:でも当時の坂本さんやディレクターの方に「ソロで出してみない?」って言われたけど、「ニューヨークに留学に行くことが決まっているので」って断ったんです。
高須:なんでまたニューヨークに行こうと思ったんですか?
TOWA TEI:いや、適当ですよね。アンディー・ウォーホルもキース・ヘリングもバスキアもまだ生きていたから。
高須:「ニューヨークに行ったら刺激的だろうな」と思って行ったんですね。英語は話せたんですか?
TOWA TEI:全然。
高須:話せなくて大丈夫だったんですか?
TOWA TEI:しゃべれないから精神的につらかったですよ。教授が英語で流暢に話していたのを見て「やっぱり英語をしゃべれなきゃあかんな」と思ったのも留学した理由だったんですが、ニューヨークに行けばなんとかなると思っていました。その辺が適当というか。
高須:やっぱり現地にいれば英語が身についてくるものですか?
TOWA TEI:そうですね。だから学校もろくに行かずにクラブにハマっちゃって。
高須:そのときにはもう曲を作ったりレコードを回したりしていたんですか?
TOWA TEI:いや全然。DJになりたいなと思いながら通っていたんですよ。1人で一晩中回すところが、音のバーテンさんみたいでかっこいいなと思って。それで後のディー・ライト のメンバーに出会ったときに、ぼくが初めて作った90分のDJカセットを渡したんです。そうしたら電話がかかってきて、「You are born to be DJ(君はDJをやるために生まれてきたんだ)」みたいなことを言われたんです。それで会いにいったら「今度大きい箱でやるから、君そこでやんな」って言われて。
高須:そんな感じですぐできたんですか!?
TOWA TEI:そうなんですよ。最初はそいつがDJをやっているところに遊びに行くだけのつもりだったんですけど、「ちょっとトイレ行ってくるから、次の曲かけといて」って言われて。でも30分ぐらい戻ってこないからずっと1人で回していたんですよ。そうしたらオーナーとそいつが後ろの方で立って見ていて「来週から来てくれるかな?」って言われたんです。
高須:「いいとも!」って? なんかトントン拍子で進んでいますね。
TOWA TEI:そうですね。
高須:ディー・ライトのメンバーとも友達として一緒に過ごしていたわけでしょ?
TOWA TEI:午後に起きてぼくの家の近所でブランチがてら合流して、家に来て曲を作ってという生活でした。最初は小さなバーでやっていたんですけど、だんだん箱が大きくなってきて…。それが1987年の終わりですね。
高須:いい時代やなあ。
TOWA TEI:ニューヨークはもう本当に不況で。治安が悪かったんですけど、ぼくは運よくそういう目に遭わず。
高須:夜な夜なクラブに通って怖い目に遭わないって珍しいんじゃないですか?
TOWA TEI:守護霊が強いんですね、きっと。
高須:え? また怖いこと言うなぁ。本当に守護霊強いんですか?
TOWA TEI:何度か言われたことがあるんですが、おばあちゃんが右側にいるらしいです。おばあちゃんっ子です。
高須:(テイさんの右側に向かって話しかける)はじめまして。お世話になっております。
TOWA TEI・高須:(笑)
高須:そこからどうやってディー・ライトとしてブレイクしたんですか?
TOWA TEI:もともとぼく以外の2人がディー・ライトとして活動していて、2回目か3回目のライブからぼくもステージに上がるようになったんです。でもぼくは曲をつくる側で特に演奏することもないから、ステージ上から観客の写真を撮って、そのポラロイドを配ったりしていました。そこからだんだんキャパが大きくなっていって、89年に4社のメジャーレーベルからオファーが来てデビューすることになりました。
高須:一気に来たんですか? アメリカンドリームですね! それでメジャーデビューしていきなりビルボードでドンッ!ですもんね。
TOWA TEI:ビルボードは最高4位で、ダンスチャートでは何曲か連続で1位を獲りましたね。90年にメジャーデビューしてツアーが始まったので、毎週DJとしてやっていたところを辞めました。そこからプロデュース第1弾も売れて、91年にブラジルで15万人の前でライブをやることになって。
高須:うわー! めちゃめちゃいい経験していますね!
TOWA TEI:また人生のピークタイムかな。
高須:カセットではなかったですね。
TOWA TEI・高須:(笑)
ライブ中の事故を機に脱退。坂本龍一さんがつないだ高須さんとの縁
TOWA TEI:ブラジルでライブをやったときに、ビデオカメラを持ってステージ上を後ろ向きに引いて撮っていこうとしたら、3mくらいの高さのステージからストーンって落っこちちゃったんですよ。
高須:テイさんが!? えー! 大変じゃないですか! 大けがですよね?
TOWA TEI:ブラジルのライブではステージが広すぎるし忙しすぎて、リハーサルやサウンドチェックをちゃんとできていなくて。雨で下がぬかるんでいたので意外と大丈夫だったんです。むち打ちにはなりましたけど。落ちて倒れた瞬間は衝撃もあって「今後下半身不随になったら子どもできないかな」とかいろいろ考えていたんですよ。でもマネジャーの女の子に「トウワトウワ」って呼びかけられて、すかさず「何分ぐらい寝てた?」って聞いたら「いや2〜3秒」と言われて。
高須:おばあちゃんやな。おばあちゃんがかばってくれたのかもしれませんね。
TOWA TEI:それで1日検査入院して脳波とかも問題なかったんですけど、その1週間後には3回目のアメリカツアーが迫っていて。それでちょっとおかしくなりそうになって「俺もうバンド辞める」ってなったんです。
高須:ええ? なんでですか?
TOWA TEI:本当につらかったんですよね。今思うと、多分潜在意識の中で「もうツアーをやめたい。家でレコード聴いていたい」って考えていたんだと思う。でもメンバーは辞められたら困るから家に駆け付けてきて。
高須:そりゃそうなりますよね。
TOWA TEI:メンバーに「あなたは制作としてだけ残って。ツアーは私たちがやるから。テイは好きな音楽を聴いていて」と言われて。
高須:ものだけ作ればいいと。
TOWA TEI:いっぱいオファーも来ていたからソロでやればいいじゃんとも言われたけど、よくよく考えたら1人じゃできないと思って。だから91年とか92年は何も仕事していないです。
高須:93年のGEISHA GIRLSのときは、やっと動き出したころだったんですか?
TOWA TEI:そうなんですよ。
高須:それは教授から連絡があって? 教授とはニューヨークでも会っていたんですか?
TOWA TEI:よく会っていました。ステージから落ちて調子悪くなって、ちょっと治ってきたころに教授がよくご飯とか誘ってくれました。そのときに「今度レーベルやるんだけど、トウワ、ソロやらないか?」って言ってくれたんです。
高須:縁ですね。それでぼくらがニューヨークで初めて出会うわけですよ。せっかくなんでGEISHA GIRLS聴きましょうか。テイさん曲紹介お願いします。
TOWA TEI:それではGEISHA GIRLSの演奏で「Kick & Loud」。
〜〜曲/GEISHA GIRLS「Kick & Loud」〜〜
TOWA TEI:今聴いても古臭い感じは全然しないですよね。
高須:いや、いいですね。かっこいいですね。アルバムをつくるとき、教授にダウンタウンとぼくの3人で詞を考えてくれって言われて3人だけにしてもらったんですよ。番組として撮影もしているからCCDカメラは回していましたけど。
松本と浜田とは中2のときに出会ったんですけど、詞を考えるために当時の思い出話をめちゃくちゃいっぱいして、3人とも腹がよじれるぐらい笑ったんですよ。これまで3人でしゃべった中で一番おもしろかったですね。
あのときの映像があったらむちゃくちゃよかったはずなんですけど、教授が気を使ってCCDカメラを全部止めてたんですよ。そこは見ちゃいかん神聖な部分と思っていらっしゃったようで。神聖なわけがないんですけどね(笑)。むっちゃくちゃおもしろかったのになんで撮れてへんねんと思って(笑)。
TOWA TEI:粋な計らいがね。
高須:粋な計らいでしたね。残っていないからこそまたいいのかもしれないですけどね。
TOWA TEI:そうかもしれないですね。あのとき、どうレコーディングをしていこうかという話になって、松ちゃんに「うちらは音楽のことは分からないし、テイさんもうちらのお笑いを100%理解できるわけでもないと思うから、それぞれ思うようにやったほうがいいんじゃないか」って言われたんですよね。
高須:ええ? そうでしたっけ?
TOWA TEI:それで「もうちょっと一緒にいろいろ考えたいな」という寂しさがちょっとあったんですよね。で、その寂しいなぁっていう感覚からKOJI1200※を作ったわけです。
※タレントの今田耕司さんがテイさんのプロデュースで歌手活動をしていた際のアーティスト名。代表曲は「ナウ・ロマンティック」。
TOWA TEI・高須:(笑)
高須:ナウ・ロマンティック(笑)。
TOWA TEI:「今ちゃん※ってどういう音楽好きなの?」「ぼくねデュラン・デュランとか好きだったんだよね」みたいに話しながらね。
※今ちゃん=今田耕司さんの愛称
高須:そうか。その寂しさが今ちゃんへと流れていくんですね。
――TOWA TEIさんの成功の裏には、自分の才能を売り込む姿勢と、才能ある人との縁がありました。次回も引き続きTOWA TEIさんに、キャリアにまつわるお話をお伺いします。お楽しみに!
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後編:2023.5.14(日)放送回
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