放送作家の高須光聖さんがゲストの方と空想し、勝手に企画を提案する『空想メディア』。
社会の第一線で活躍されている多種多様なゲストの「生き方や働き方」「今興味があること」を掘り下げながら「キャリアの転機」にも迫ります。
今回のゲストは、認定NPO法人おてらおやつクラブ代表理事の松島靖朗さんです。高校入学から17年間、お坊さんになることを拒否し続けてきたという松島さん。しかし33歳で一念発起して住職になります。17年の間にどんな心境の変化が? ダウンタウンとの意外な関係性とは? 松島さんが天職を見つけるまでの“回り道”のお話をご覧ください。
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松島 靖朗(まつしま・せいろう) 奈良県にある安養寺の住職。本業の傍らで全国のお寺の“おそなえ”を“おすそわけ”する『認定NPO法人おてらおやつクラブ』の代表理事。貧困問題解決に向けた、さまざまな活動に取り組む。
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高須 光聖(たかす・みつよし) 放送作家、脚本家、ラジオパーソナリティーなど多岐にわたって活動。
中学時代からの友人だったダウンタウン松本人志に誘われ24歳で放送作家デビュー。
わずか3日で高校中退。ダウンタウンに支えられた苦悩の日々
高須:なんかダウンタウンが大好きってお伺いして。
松島:そうなんです。奈良で育ちましたのでお笑い番組がすごく好きで。私ちょっと高校辞めたり昼夜逆転したりして、人生に悩んでいたときがあったんですね。
高須:えー! そうなんですか!
松島:それでダウンタウンさんの『ヤンタン』(※1)とか、『ヤンタン』終わりに始まる『ダウンタウンの素』(※2)とかを見て、木曜日が当時の私のエネルギー源になっていまして。
(※1)『MBSヤングタウン』1967年からMBSラジオで放送されているラジオ番組。1987年〜91年までダウンタウンが木曜パーソナリティーを担当した
(※2)1990年10月11日~92年3月19日まで毎日放送(MBSテレビ)で放送されたバラエティ番組
高須:今日はわざわざ当時のVHS(ビデオテープ)をお持ちいただいて。すごいな。
松島:全部録画していて、この100倍くらいダンボールに残しています。
高須:えー! 本当ですか!
松島:何かもう、そこにあるだけで…。なんですかね、仏像じゃないですけど。
高須:そんなにですか?
松島:魂が入っているというか(笑)。
高須:高校を辞められたっていうのは?
松島:祖父が住職を務めるお寺が浄土宗で、浄土宗が運営している高校に家族の勧めで進学したんですけど、やっぱりどこかで「お坊さんにはなりたくない」って気持ちがあったんですよね。
高須:じゃあずっとお寺を受け継がれている家系なんですね。
松島:母方の実家に住んでいて、じいちゃんが住職をしていたんです。それで男の子が私しかいなくて。
高須:「生まれたらやるんやよー」って言われて。
松島:そうなんです。周りからもそういう期待があって。本当は嫌なんだけど、嫌と言うとなんか、じいちゃんがやっていることを否定するような感じになるし。
高須:それでちょっと継ぐ気があるようなうそをついちゃったりしますもんね。
松島:そうなんですよね。お経を読んだらおじいちゃん、おばあちゃんが喜んでくれて。うそをついているんだけどみんな喜んでくれているから、これはやらなあかんかなって(笑)。
高須:ぼくの実家は果物屋なんですけど、ぼくも言うてました。やる気ないけど「果物屋やる」って。そうすると親父がうれしそうで。
松島:そうそう。私もそれで高校に入学するとこまでいったんです。
高須:すごいですね!
松島:けど、これ待てよと。「ほんまにこれ、お坊さんになる道を歩んでる」って気付いて、3日ぐらいで辞めたんですよ。
高須:えー! 入って3日で? ご両親もびっくりしたでしょう。
松島:もう大混乱。宇宙人扱いされて。しかも昼夜逆転して夜な夜なダウンタウンの番組を見ているから、「もうこの子はおかしなった」って。
高須:ダメになったと思いますよね。
松島:けど私としては、やっと自分で選んだ未来を歩み始めたわけです。しんどかったですけどね。そのしんどいときに、ダウンタウンの番組で大人がアホなことをしている姿に勇気づけられて、「ここから自分のやりたい道を探していけば良いんだ」って思いましたね。ただ、夏ぐらいからは「やっぱり高校に行こう」と思い始めて。奈良の公立高校を受験するために塾に通い始めたんです。
高須:よくまた高校に行こうって思いましたね。もう半年遊んだらそのまま流れていきそうなもんじゃないですか。よくそこを踏みとどまったというか。
松島:辞めたはいいけどできることもないし、やりたいこともなかったんです。でもダウンタウンの影響で、自分の置かれている状況がちょっとシュールで面白いと思って。
高須:あー、良い転換ですね。
松島:そうそう。逆転しながらいろんなエキスを吸収していったっていう。まあ、現実逃避っちゃあ現実逃避なんですけどね。
“普通”を求めた17年間。回り道の末に戻ってきた仏の道
高須:高校に行き直そうと思った時点で、おぼろげでもやりたいことはあったんですか?
松島:ただ特殊な環境にいることが嫌で、とにかく友達と同じように普通の人生を歩みたいと思っていたんです。普通の高校にいって、大学にいって、就職して、結婚して、家を建てて、とか。
高須:じゃあ何をやるかは別として、まずお寺は継がない。普通になりたいと思ってもう一回高校にいって、早稲田大学に進学されて。
松島:最初はあまり大学に行く気はなかったんです。でも「東京の大学に入学したら奈良から離れられる」って気付いたんです。それでめっちゃ頑張って勉強して。
高須:で、上京して。東京にいっていちばんやりたかったことって何でした?
松島:やっぱりインターネットですね。ちょうど普及してきたころで。東京自体すごく刺激的でしたけど、インターネットっていう新しい技術で(これからの世界が)なんかすごいことになりそうだというのが刺激的で。大学には結構いいパソコンや専用回線とかがあったんで、「学校に行く=パソコンルームに行く」っていうくらいインターネットを触っていました。それが就職にもつながったんですけど。
高須:どういう会社に進まれたんですか?
松島:株式会社NTTデータっていうシステムの会社に入って、企画職としてインターネットを使ったいろんなアイデアを事業にしていくっていう仕事をしていました。
高須:楽しかったですか?
松島:めちゃくちゃ楽しかったです。当時は奈良に帰りたくないから、なんでもできないといけないっていう焦りもあったんですよね。そこにインターネットっていう、すごい力を手に入れたような気がして。「自分の力でこれから何かすごいことができるんだ」っていう興奮がありました。
高須:NTTデータに行かれて、その後は?
松島:NTTデータではベンチャー企業の投資育成事業にも携わって、化粧品口コミサイトの『@コスメ』を運営されているistyle(株式会社アイスタイル)という会社を担当したんです。そこで私と同い年くらいの人たちが現場でバリバリやっている姿を見て「絶対こっちの仕事のほうが面白いわ」と思って、istyleに入社しました。
高須:なんで辞めちゃったんですか?
松島:大学も入れて13年ぐらい東京で過ごした中で、あこがれる人と出会うこともあって。そうやって私があこがれた人たちはみんな、どこか人と違う生き方をされていたんですね。
高須:普通になりたい言うてたくせにね。
高須・松島:(笑)
松島:今度は「人と違う生き方をしたい」ってあこがれて、どんどんギャップが大きくなっていったんですよね。じゃあ自分がこの先何ができるかって考えたときに、「このままいっても何かはできるかもしれないけど、もっとジャンプしたい」と思ったんですね。そのときにやっと“お坊さんになる”っていう考えが…。
高須:遅(笑)。
高須・松島:(笑)
松島:33歳のときですね。
高須:それ高校のときにおじいさんが言うてたやんって話ですよね。
松島:ね(笑)。17年かけて自分でいろいろやって、やっと分かったんです。
高須:回り道しないと分からないもんなんですよね。不思議なもんですね。
待っていてくれた檀家さんとの絆。「頼みたい」と思われる存在であれば寺は続く
高須:でもね、ほかの職業もあるじゃないですか。なんでまたお坊さんになろうと思ったんですか?
松島:やっぱりどこかに種が残っていたんでしょうね。心のどこかで、私がお坊さんにならないことで誰かが寂しいと思うのでは、とどこかで気にしていたんだと思うんです。あと、なかなかなれるもんじゃないし、「これちょっと笑い的にもおもろいな」っていうのもやっぱりありました。
高須:なるほど(笑)。どんな修行をされたんですか?
松島:基本的にはお経が読めるようになるっていう実践です。あとは仏教の教えを学ぶ座学ですね。いまだにそれは続いていますけど、一定基準があって、それを2年半かけて修行します。
高須:戻ってみてどうでしたか? 周りの反応は。
松島:檀家さんである、村のおじいちゃん、おばあちゃんたちが「よう帰ってきてくれた」って言ってくれて。中には「やっぱり帰ってくると思ってたわ」っていう方もいて。そういう方を私がギリギリお葬式でお送りできたんです。本当に待っていてくださったんだなと思うと申し訳ないことをしたけど、なんとか間に合って良かったっていうお葬式もありました。
高須:でも最近お寺が経済的にも苦しいって聞くじゃないですか。
松島:やっぱり“お墓を守る”ということもどんどん難しくなってきていて、社会の変化が仏事なんかにも現れていますね。
高須:どうやっていったらいいんですかね?
松島:答えはないんですけど、究極はやっぱり私たちお寺が「期待され、選んでもらえる存在としてしっかりしないといけない」。そこに尽きるのかなと思うんですよね。生活環境が変わっていったりお寺とのご縁がなくなったりしても、「頼みたい」と思われる存在であれば、いざというときにお願いされる存在でいられると思うので。
仕事のマイルール|しんどい経験で実感した笑いの力。大切なのは笑えるようになるまで考え抜くこと
高須:仕事のマイルールを聞いているんですけど、ありますか?
松島:ぼくは「笑いのある人生を」というのを常に座右の銘にしているんです。本当にしんどかったときに笑いに助けられたし、しんどい思いをしたことも笑いに変えて話せるようになっている自分に気付いたときに、「笑いってすごい力があるな」と思ったんです。面白おかしく言えて前進できていることが大きな力になるということを経験しているので、それを支えに、とにかく「今、この状況をどう笑えるか」を考えるようにしています。
「笑える」というのは結果であって、「どれだけ考え抜けるか」っていうことだと思うんです。だから何か中途半端に判断してしまうと、人のせいにして中途半端に終わってしまう。だからこそ考え抜く。その結果、笑いのある状況をいかにつくるかっていうのをマイルールにしてますね。
高須:いや、素晴らしい。そういうふうに言っていただけると、ダウンタウンもあのころ一生懸命やっていたかいが…一生懸命やってたかな? まあやってましたね、それなりに。
高須・松島:(笑)
松島:あるとき『ヤンタン』中に松本さんと浜田さんが仲悪くなって、そのままその空気を『ダウンタウンの素』まで引きずったことがあって。『ダウンタウンの素』って視聴者に電話をかけるじゃないですか。そこで浜田さんがキレて電話を投げたんですよね。しかも松本さんがそれをフォローせず、すごい険悪な空気のまま番組が終わって。それを見てぼくはもう「ホンマにカッコイイな。こんな姿を見せれる大人になりたい」って思って。
高須:多分ほんまに腹立って怒ってるだけなんですよ(笑)。
松島:多分そうやと思うんですけど。
高須・松島:(笑)
高須:でもそうなんです、ぼくらの仕事はね。芸人さんはみんな、どこかで話すために嫌なことがあっても良い笑い話にして持って帰るわけです。ぼくらのように、どこかで話せずに回収できない人たちは大変だろうなと思っていたけど、多分どこかで笑える記憶になってるんでしょうね。
松島:もしかしたら、そうなるための時間を一緒に苦しんで伴走するっていうのがお坊さんの仕事なのかな、とも思ったり。
高須:大変な職業やな。結構重い悩みを抱えた人が来るわけじゃないですか。そういう人の思いを軽くしてあげるって大変ですよね。重い話を聞いてこっちまで重くなったりもしませんか?
松島:しますし、ごまかすわけじゃないんですけど、その場で答えが出てこないこともあります。でも定期的にお会いしたりすると、案外時間が解決してくれたり、その方が別の視点を持って来られたりして。
高須:ちょっとした場を何回かつくってあげることも大切なんですよね、多分。
松島:まさにそれですね。何をするわけでもないけど、お会いする中でお互い変わっていく。その時間の繰り返しが、お寺の長い歴史なんだろうな、と。だから何代も続くんでしょうね。そういう歴史の中で自分が何かすごいことをするんじゃなくて、自分の内で脈々と続いてきたものを後につなげる。それが大事なんだと。
高須:なるほど。すごいな。
松島:はい。笑いのある人生。
――次回も松島靖朗さんをゲストに迎え、キャリアの転機や『おてらおやつクラブ』の活動について詳しくお伺いします。お楽しみに!
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