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つながる思いと広がる笑顔。松島靖朗が『おてらおやつクラブ』と歩んだ10年間|ラジオアーカイブ

つながる思いと広がる笑顔。松島靖朗が『おてらおやつクラブ』と歩んだ10年間|ラジオアーカイブ

後編:2023.8.6(日)放送回
松島 靖朗さん
住職、認定NPO法人おてらおやつクラブ代表理事

ラジオ音源はこちらから

「空想メディア」ロゴ04

放送作家の高須光聖さんがゲストの方と空想し、勝手に企画を提案する『空想メディア』。
社会の第一線で活躍されている多種多様なゲストの「生き方や働き方」「今興味があること」を掘り下げながら「キャリアの転機」にも迫ります。

今回のゲストも前回に引き続き、認定NPO法人おてらおやつクラブ代表理事の松島靖朗さんです。お寺が頂く“おそなえ”を、仏様からの“おさがり”としてさまざまな事情で困りごとを抱えるひとり親家庭などの子どもたちに“おすそわけ”する『おてらおやつクラブ』も今年で活動開始から丸10年。松島さん個人で始めた活動が、今や全国に広がっています。節目の年を迎えた今、さまざまな出会いと、苦悩と、笑顔にあふれた10年間を振り返ります。

  • 松島 靖朗さん

    松島 靖朗(まつしま・せいろう) 奈良県にある安養寺の住職。本業の傍らで全国のお寺の“おそなえ”を“おすそわけ”する『おてらおやつクラブ』の運営など、貧困問題解決に向けたさまざまな活動に取り組む。

  • 高須 光聖さん

    高須 光聖(たかす・みつよし) 放送作家、脚本家、ラジオパーソナリティーなど多岐にわたって活動。
    中学時代からの友人だったダウンタウン松本人志に誘われ24歳で放送作家デビュー。

たくさんあるなら足りないところへ。始まりは違和感からの発想の転換

高須:お寺のお供え物って頂くのは申し訳ない感じがするけど、食べるほうがいいんですよね?

松島:基本はいただくんです。すぐ食べたり、その場で小分けして持って帰ってもらったり。

高須:それを知らずに置いていっている人は結構いますし、ぼくもずっと置いていたんですよ。それで『おてらおやつクラブ』の話を聞いて「あ、確かに」と。お供え物を回収して欲しい人に渡るようにするっていうのはすごくいいことやなと思って。なんであれ思い付かれたんですか?

松島:お寺っていろいろとありがたい場所で、いろんな食べ物をお供え物として頂いて、それを仏様の“おさがり”として、われわれお寺の人間がいただくんですよね。だからお寺は食べる物に困らない環境ではあるんですけど、時には食べ切れないぐらいのお供え物を頂くこともあるんです。

高須:そうですよね。果物とかバンバン来ても、こんなに食べられへんでってなりますよね。

松島:果物はレシピを調べてジャムにしたりして期限を延ばしています。そうやってめちゃくちゃ頑張るんですけど、その頑張りが仕事になってしまって。「なんかちょっと違うな」と思いながら、もったいないし、おいしいしって頑張っていて。

高須:そのまま置いていても腐るだけですからね。こんなもったいないフードロスないですもんね。

松島:そうなんです。そうやって、われわれがたくさんの食べ物をいただくときがある一方で、1日1食の食事に困るような子どもたちが増えている。「こっちにたくさんあるんだから、そういう子どもたちに届けられないかな」ということで始めたのが『おてらおやつクラブ』という活動です。

高須:なんとなくIT業界でいろいろとやった経験が活かされていますね。

松島:そうなんです。回り道をしてずっと何かを“つなぐ”仕事をしてきて、ここでもやっぱり「“つなぐ”ってことが自分にできる大事なことなんだ」っていうことに気付けたんです。

悲劇を繰り返さないために。共感をつなげて広がった仲間の輪

高須:『おてらおやつクラブ』の活動は、まず何から始めたんですか?

松島:最初に始めたときは本当に個人的な活動だったんです。当時、大阪で母子家庭の親子が餓死された事件があって。ぼくも父親になってすぐのころだったので本当に衝撃でした。その事件をきっかけに大阪で母子家庭を支援するいろんな団体が立ち上がったので、その団体さんの現場におやつを箱詰めして持っていったんです。

高須:たまたま?

松島:もう突撃です。行ったら驚かれましたけど「子どもたちに届けてもらえるならありがたいです」っておっしゃってくださって。3カ月ぐらいそういう個人的な活動を続けていたら、あるときその団体の代表の方に「子どもたちも、お母さんたちもすごく喜んでくれてるんだけど、実はね…」と声をかけられて。何を言われるのかなと思ったら、「全然足らない。もっともっと“おすそわけ”を届けてほしい」って言われたんですよね。でも自分のお寺にできることはもう…。

高須:精いっぱいですよね。

松島:精いっぱい。「これ以上のことはできない。どうしよう」と思ったんですけど、いや待てよと。「お寺いっぱいあるやん。ほかのお寺にもお願いすれば、もっともっと届けられるんじゃないか」と思って。「全然足りません」っていうお声の先には、まだまだ生活に困っている子どもたちがいるっていうことにハッと気付いたんです。だからもっと届けてあげないといけない。それでその活動に『おてらおやつクラブ』っていう名前を付けて、活動を紹介する紙を作って、知り合いのお寺さんから営業し始めたんです。

高須:そんなん絶対に「いいよ」ってなりますよね。

松島:そうなんですよ。それが本当にありがたかった。お願いしたお寺さんもお供え物の多さに困っていて、しかも子どもの貧困に対して「何かしたいけど自分に何ができるんやろう」っておっしゃっていたので、「あ、そんなことでいいんだったら」って。

高須:めちゃめちゃいい活動ですよね。

松島:皆さんそうおっしゃってくださいます。それが一気に広がった。

膨大な「助けて」の声との葛藤。 “使命感”と“恩返し”を胸に仲間と立ち向かう

高須:初めて持っていったのは何年前でした?

松島:2013年なんで、ちょうど10年ですね。

高須:今どれだけのお寺さんが参加されているんですか?

松島:北海道から沖縄まで、1,800カ寺くらい。

高須:すごいね。それは誰が届けるんですか?

松島:基本的にはお寺さんがお参りのついでなんかにその地域の支援団体さんに渡しに行かれたり、宅配便で配達してもらったりっていう形ですね。奈良のお寺から全国にということじゃなくて、それぞれの地域でお寺と子どもたちがつながることを理想の形として広げていっています。

高須:なるほど。でも意外と運営って大変じゃないですか。お金も動くし、いろいろやらなあかんこともあるし、トラブルも多いし。いちばん大変だったことは何でしたか?

松島:やっぱりコロナが大きかったですね。2020年3月に学校が一斉休校で長い春休みに入って学校給食がなくなって。特にひとり親家庭のお母さんたちは、仕事もどんどんなくなっていく。地域のお寺も子ども食堂さんもコロナで活動できない。どこにも頼れないお母さんたちがインターネットで“おすそわけ”を検索して、「助けてほしい」という声が一斉に届いたんですよ。それで今でも9,000世帯くらいに直接“おすそわけ”を届けていて。

高須:きついなあ。

松島:その事態は想定していなかったんですよね。地域で見守りをつくっていくはずが、地域でつながれないお母さんたちがこんなにいる。けど逆に言えば、それまで見えなかった「助けて」の声を受け取れるんだから、今踏ん張らないといけないっていう状況なんですよ。でも件数がどんどん増えてくるしお金もかかるから、やっぱり葛藤があったんです。

高須:運営するお金も必要ですしね。

松島:めっちゃ必要です。その状況でも頑張ろうと思えたのは、やっぱりお寺という場所が“駆け込み寺”であるべきだし、「ここが“最後のとりで”」っていう思いがあったからなんです。この活動をしている理由を考えてみると、やっぱり自分もずっと“おさがり”や“おすそわけ”で育ってきたっていうのが大きいんですね。「頂いてきた物をしっかりと返していくのが自分の役割なんだ」って。しかもそれを仲間のお坊さんたちも同じように思ってくれていたっていうのが大きいですね。

支援される側からする側へ。受け継がれる思いとともに届ける“仏流”

高須:どれくらいまで活動を広げていきますか?

松島:どんどん増やしていきたいんですけど、いろいろな事情もありますし、活動をもっともっと知ってもらいたいので、慌ててというよりはじわじわ広がっていったらと。

高須:まあ無理すると、なんかほころび来ますからね。

松島:「頑張って増やしたい」っていう欲は出てくるんです。でも一定ペースでお寺さんも登録してくださっているし、こっそり教会や神社の方も登録してくださっていて。

高須:すごいですね、それ。垣根を超えてますもんね。

松島:もし逆に何か神社の活動が広がっていたとして、自分が同じようにできるかというと到底できないと思うから、そこがまた震えるんですよね。

高須:いい人が集まってきてますね。支援された方から何かお礼が来たりもしますか? お手紙が来たり、会いに来られたりとか。

松島:それが本当に励みになっているんです。子どもたちが喜んでくれている写真を送ってくれたりとか。

高須:もう10年になるから、十何歳になっている子どもはもういるわけですもんね。

松島:本当にそうなんですよね。ぼくたちが活動を始めたころに協力してくれたある若いお坊さんが「10年は続けましょうね。10年経ってその子どもたちがどういう大人になったかを見届けないと、これが意味ある活動か分からないですよね」っておっしゃってくれて。今まさに10年続けてきて、“おすそわけ”を受け取っていたお母さんたちがボランティアで手伝いに来てくださったり、いろんな事情でお寺参りもできなかった方が久しぶりにお参りができて喜んでくださったり。そういう姿を見られるのが大きいですね。

高須:どうやって届けてんねやろうって思っていたんですけど、その拠点拠点でそういう活動をされている方がいらっしゃって、手伝ってくれる人もちょっとずつ増えているんですね。

松島:“おすそわけ”の物流に携わってくださっていることを、われわれはよくこう言うんです。「“物流“じゃなく”仏流”だ」って。

高須:おー、うまいこと言うなあ。

高須・松島:(笑)

松島:ただの物じゃなく、いろんな人の思いが届いているんです。 “おすそわけ”を受け取ったお母さんの中には、「段ボールを開けたらほんのりお線香の匂いがする。それがありがたい」っておっしゃる方もいて。われわれはむしろ申し訳ないと思っていたことだったので、なんか、「そういうことなんだなぁ」と気付かされることが多いですね。

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松島靖朗さんのキャリアの転機|親になって気付いた自分の役割。子どもたちの未来のため精進を続ける

高須:あなたのキャリアの転機を教えてくださいって聞いていまして。

松島:まずは高校を辞めたとき、そしてお坊さんになろうと決断したとき、あとは親になったときですね。子どもを授かったことで未来志向になって、子どもたちのために何かすることが自分の役割なんだって気付いた。それがちょうど活動を始めるタイミングでもあったんですけど。

高須:お子さんは男の子ですか?

松島:男の子と、その下に双子の女の子を授かって今3人です。

高須:えー! すごいですね。お子さんは継ぐって言ってます?

松島:いや、あまり聞かないようにしてます。自分と同じパターンになるかなと思って。

高須:でも『おてらおやつクラブ』を大きくしていくことで「お寺ってこういうこともできるんだ」っていう今までとは違う喜びや発見があるのはすごくいいですね。

松島:お坊さんになることの可能性や役割、面白さを子どもに伝えられるようになったっていうのは大きいですね。ただそれは子どもが選ぶ道なので。いろいろなことをしてきた上で「もっとユニークに生きたい。だからお坊さんになる」なんて言ってくれたらいいですけど。あと “おすそわけ”を受け取った子どもたちの中からお坊さんになりたいっていう子が出てきてくれたら、これほどうれしいことはないですよね。

高須:なるほどね。でも持ってくるのが物流の人やから、物流の人になりたいと思うかもしれへんしなぁ。

松島:確かに(笑)。

高須・松島:(笑)

高須:でも『おてらおやつクラブ』の活動によってお寺がやれることや人との関わり合いが増えてきて、新しいお寺の生き方というのが見えてきましたよね。

松島:うーん…どうでしょうね。結構そこを期待されるし、「これからのお寺の姿だね」って皆さんおっしゃってくださるんですけど、ぼくはちょっとそうじゃないなと思っていて。

高須:え、マジですか?

松島:なんでこの活動をできているかというと、やっぱり“おそなえ”“おさがり”“おすそわけ”っていうお寺の習慣があるからこそできているんですね。この習慣はお寺ができてからずっとあったものだから、その昔ながらの姿をいかに続けていけるかが大事だと思うんです。今“おすそわけ”ができるのは、“おそなえ”をしてくれる人がいるからできている。つまりは「“おそなえ”をしていい」と思ってもらえる存在でないといけないし、そういう存在であり続けるためにしっかり修行しないといけない。

高須:でもこの活動によって、お寺にすがりにくる人は多くなってくるんじゃないですかね。

松島:まあそれが墓じまいじゃないですけど、「その地域の歴史の担い手や自分のルーツであった場所を残しておこう」と思ってもらえることが結果的に大事で、今必要なことなんじゃないかなと思いますね。

――松島さんと『おてらおやつクラブ』の10年間の歩み、いかがでしたか? 次回のゲストは元BiSHのモモコグミカンパニーさんです。お楽しみに!

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