放送作家の高須光聖さんがゲストの方と空想し、勝手に企画を提案する『空想メディア』。
社会の第一線で活躍されている多種多様なゲストの「生き方や働き方」「今興味があること」を掘り下げながら「キャリアの転機」にも迫ります。
今回のゲストは、演出家、放送作家の乾雅人さんです。乾さんの代表作といえば『SASUKE』(TBS系)。1997年の放送開始以来、多くの人を魅了し続けている番組ですが、その始まりはトラブルだらけだったそうです。『SASUKE』はどのようにして誕生し、なぜここまで人気になったのか。番組の生みの親で、2023年12月に放映される第41回まで、すべてを手がけた乾さんが語る『SASUKE』の裏側をご覧ください。
-
乾 雅人(いぬい・まさと) 演出家、放送作家。スポーツバラエティ番組『SASUKE』や『風雲!たけし城』をはじめ、スポーツやバラエティ、ドキュメンタリーなどさまざまな番組を手がける。
-
高須 光聖(たかす・みつよし) 放送作家、脚本家、ラジオパーソナリティーなど多岐にわたって活動。
中学時代からの友人だったダウンタウン松本人志に誘われ24歳で放送作家デビュー。
乾メソッドで昭和の名番組が復活! 安全かつエンタメ性のある番組作りなら世界一
高須:最初はどういういきさつで(令和版の)『風雲!たけし城』を始めることになったんですか?
乾:『たけし城』自体は、いわゆる「フォーマットセールス」(※1)という感じですね。Amazonさんからまず「海外で人気があるんで一度リブートという形でTBSさんメインでやりまへんか?」って話が来たのが、そもそものスタートだったんです。
(※1)セットや構成などをフォーマット化した番組を海外に販売する手法
高須:TBSから「じゃあやるのは彼しかいないだろう」って乾さんに(話が)来たの?
乾:そう。突然TBSさんから「『たけし城』やりませんか?」って。
高須:確かに、乾さんの代表作といえば『SASUKE』じゃないですか。ああいうものを作らすと日本人では乾さんがトップだなっていう意識はやっぱりあるんやろうね。
乾:昭和の番組ってさ、やっぱり安全面とか割とややこしいじゃないですか。現代でリブートするなら、その安全面も含めた保険が欲しいということで。リアルタイムでそういう番組をやっている人って、あんまりいてないじゃないですか。
高須:あれって、やっぱり常にアップデートされていくじゃないですか。ここは危ないなって。あれ、やっていないと全然分かんないですよね。
乾:そう。
高須:例えば『SASUKE』を最初に作るときに、どれぐらいシミュレーションやりました?
乾:トータルテストするのは4回ぐらいですかね。
高須:ヒヤッとすることあるじゃないですか。どれだけケアしても「あ、こんなとこに、はまってまうんや」っていうことが起こるじゃないですか。
乾:起こる。ふかふかのクッションみたいなのに着地するけどさ、あまりふかふかやと足突っ込んで、足ひねってけがしたりとかするから。
高須:「ええ!」と思うところでね。
乾:勉強になりますよ。やればやるほど。
高須:多分その情報は日本一、いや世界一あるかもしれんね。
乾:そうかも分からんね。
高須:その情報って、実はちゃんと伝承していかなあかんもんやと思うんですよ。分からんやつがやったら本当に大変なことになるから。しかも安全やったら、いいわけじゃないじゃないですか。見ていてわくわくドキドキする仕掛けになっていないとダメだから、ギリギリを攻めて作っていくと、やっぱり難しいですよね。
乾:難しいですね。
『SASUKE』で培ったノウハウは伝承すべき財産
高須:(安全面を)気にしたらキリがないじゃないですか。その辺はどうしているんですか?
乾:『SASUKE』でいうと、一番最初のアトラクションは100人がやるんですよ。そうすると100人がやっても安全なものっていうチョイスになるんですね。でも最後のタワーの綱登りまで行ったら、ちょっと尋常じゃない運動能力の人しか来ないじゃないですか。すると危機回避能力も含めて、普通の人間とちょっと違うレベルまで達しているので、その方々がやるに当たってこれぐらいの安全面の対策って…。
高須:それが多分できないんですよ。「これぐらいの人だったらこれができる」っていうラインがもう分からないと思います。これって勘でしかないじゃないですか。多分なかなか分かる人おれへんと思うよ。
乾:そうだね。説明してくれって言われてもできないからね。
高須:できないですよね。だからやっぱり、継承する。もしくは残していかないと。言葉で。
乾:うん。どうしたらいいと思います?
高須:いや、全部語ってください。
高須・乾:(笑)
高須:スタッフとか演出家を育てるVTRとして。ぼくは「このセットがどう素晴らしいのか」を演出家の人に聞いたほうがいいと思っているんですよ。多分何らかの意図があるはずだろうと思って。『SASUKE』にも、なんでこういう形にしたかっていういろんな意図があるはずなんですよ。
乾:あるある。
高須:そこを語るVTRは、絶対残したほうがいいと思うんですよ。後々の演出家にとって。もし何かあったら、何十年の財産が消えるみたいなもんやから。
乾:そうね。何か作りましょうか。そういうのね。
高須:ああいうものを作るときの注意点と、演出の見せ方。あとカメラの撮り方。もっと言うと人の映し方みたいな。それぐらいも言ったほうがいいと思う。
乾:細かいよ? きっと。
高須:でも乾さんは当たり前のように動いているけど、初めて撮る人は分かれへんねん。どうやれば派手になるのか、どうやれば盛り上がってくるのか、白熱するときは顔にどれぐらいまで寄るかとか。これ絶対残したほうがいいと思います。
乾:残せます?
高須・乾:(笑)
高須:でも多分ね、ああいう番組をコツコツと何十年もやった人っておらへんから。
乾:そうね。こんなに長く続くと思えへんかったからね。
初回収録は不備だらけ。回を重ねて見つけた魅せ方の最適解
高須:『SASUKE』が出来上がっていく過程って、どういう形で出来上がっていったんですか?
乾:もともと『筋肉番付』のスペシャル番組で。当時のプロデューサーから「なんか忍者みたいなやつできないかなぁ」って。ただそれだけ振られて。「こんな感じかな?」ってなんとなくアトラクションを18個作ったんですけど、お金がないからテストを4つぐらいしかできなくて。
高須:うわ、危ねぇなぁ。
乾:現場に全部並べたら、めっちゃでかくて。それでプロデューサーが朝、収録ホールに来たときに「誰がこんなでかいの作っていいって言ったんだよ!」って怒られて。
高須:怒られて(笑)。
乾:「18個作れって言うから」って思って始まったんですよ。そうしたらもう、あちこちに不備が起きてさ。
高須:そうか。18個ちゃんとチェックしてないからね。
乾:何か起きるたびに直しに入ってね。朝の5時ぐらいまで撮ってたんちゃうかな。
高須:うわぁ…大変。
乾:2回目は穴を掘って水を入れて、そこに落ちたほうがダイナミックになるから外でってなったのが緑山スタジオ(※2)で。
(※2)TBSホールディングスが所有するテレビスタジオの名称。株式会社緑山スタジオ・シティが運営
高須:だんだん今の『SASUKE』に寄ってきたね。
乾:ただ、まだキャラクターができていないから。どんどん人がやって落ちて、やって落ちてを繰り返すだけで。
高須:それはただの素人がトライアルする状態やったから、まだね。
乾:そうそう。それで3回目の収録のときにミスターSASUKE(※3)が登場する。ミスターSASUKEが綱登りまで行って、ダメで。それで4回目の放送のときにミスターSASUKEメインに番組を作ったんだけど、最初に最後までゴールしたのが毛ガニ漁師の方だったんですよね。その方が実は先天性の目の病気で、あまり目が見えていなかったんですよ。そういう方が誰もできなかったゴールまでたどり着いたということで、ちょっと人間模様に寄せたんですよ。
(※3)山田勝己氏のこと。第3回大会で完全制覇まであと30cmまで迫り、ミスターSASUKEと呼ばれるようになった
高須:大感動やね、それは。
乾:そうしたらまた数字が跳ねて。「これはいわゆるフィールドアスレチック番組じゃなくて、人間模様に寄せたほうがええんちゃうか」って3回目、4回目からなって。今の『SASUKE』にだんだんつながっていくっていう。
高須:その人が勝ったことで、また『SASUKE』が1個違うステージに行けたみたいなとこあるよね。
乾:そうそう。
筋肉だけでは攻略できない。『SASUKE』攻略のカギは動きの再現性
乾:5回目のときに「そり立つ壁」っていう…。
高須:あれなぁ!
乾:あれを作ったんですよ。
高須:あの壁は、ありそうでなかったもんね。
乾:「そり立つ壁」は、当時新入社員だった渡邉(真二郎)くん(※4)と「高さどれぐらいよ?」っていう話をして。彼は東大の理系出身だから、「物理学的にこんなもんです」「高さはこれ」って決めて。
(※4)現TBS編成局編成部長
高須:え? その彼が?
乾:そう。で、美術さんに発注して作ったら…。
高須:ドンピシャやったの?
乾:ほとんど誰もできなかったんですよ。それで、「できないじゃないか!」って怒るでしょ?
高須:うん。
乾:そうしたら「理論上は可能なんですよ」って言って、全然走らないでピョンって跳んでつかんだんですよ。
高須:おお!
乾:「これ走ったらダメなんですよ。コツがあります」って言うて。で、「あ、そういうことなんや」って。
高須:パワーやスピードに任せたらいけるんちゃうかな、と思ったけど、違うかったんやね。
乾:違うかった。
高須:そういうものを見いだせたっていうのも大きいね。
乾:だから今の『SASUKE』はほとんどのアトラクションにコツがあるんで。コツが要るっていう方向にどんどん特化していったんですよ。
高須:なるほどね。それが女性や体が小さい人でもやれるようになってんねやろね。まさかの人が上がったりっていうこともね。そうか。なるほど。
乾:よく言う「理屈は自分の中で分かっているけど、筋肉がその動きができるか」っていう。
高須:そう。その再現性やねん。運動能力高い人は「こう動いたらいいな」っていう再現性が見事やからできちゃうけど、普通の人はできへんもんね。頭では分かっているんですよ。「あ、はいはい。分かった分かった」って言うけど、全然でけへんもんね(笑)。
乾:そうそう。「スキップできてないやん」とかね(笑)。
演出家のきっかけはテレビ局でのアルバイト。多くの才能に感化され、テレビ業界へ
高須:そもそも乾さんて、この業界にどういういきさつで入ったんですか?
乾:テレビ朝日のアルバイトやったんですよ。大学のときにアルバイトで入って。
高須:何やってたんですか? そのとき。
乾:『アフタヌーンショー』(※5)ってあったでしょう? あれのね、アルバイトADやったんですよ。
(※5)1965年4月~85年10月まで放送されていたテレビ朝日制作の昼のワイドショー番組
高須:えー! アルバイトがたまたまあったんですか?
乾:紹介制だったんで。最初はライブラリーみたいな所でテープを整理してたんですよ。でもADがみんな辞めちゃうじゃないですか。「辞めへんやつおらへんのか」「あいつずっと倉庫で頑張ってるから」って。それで「ADやれや」って言われて『アフタヌーンショー』のADになったんですよ。
高須:へぇー。
乾:テレ朝で何個か番組ADをやらせていただいたのが最初のスタートですね。
高須:演出家になろうと思ったのは? その流れで入ったままですか?
乾:そうですね。あんまり「こういう番組やりたい」とかなかったんですよ。
高須:ええー?
乾:よくある田舎の面白い高校生みたいなのいるじゃないですか。で、東京出てきて、自分より面白い人をいっぱい見るじゃないですか。それでテレビ局に行ったら、めちゃくちゃ頭良くてめちゃくちゃ面白い人たちがいっぱい居るから、「あ、ここで仕事したい」って。
高須:へぇー、もう純粋にそう思ったんですか?
乾:うん。あと、才能があるかどうか分からないんで。
高須:ていうかビビってるから、東京に。地方出身者は「東京にはとんでもないやつがいる」と思ってるからね。ずっとね。
乾:そう。東京で仕事するに当たって、一人で頑張るっていうのはちょっとキツイなぁと思って。たくさんスタッフさんとか周りにいる中で何かものを作る職業はって思うと、テレビとか映画かなと思って。「俺こんなことしたいんやけど」って、言うのを聞いてくれる人たちがいっぱいいるような仕事がしたいなぁと思ってテレビの仕事に(就いた)。
高須:初めて撮ったのは何ですか?
乾:演出って最後のクレジットで出たのは、『クイズ100人に聞きました』ですよ。
高須:おぉー、あれやってたんですか!
乾:当時ゴールデンタイムの演出には、いわゆる外の人間はならなかったじゃないですか。局の方が看板としてやってはって。多分TBSでゴールデンタイムのバラエティのサブに座ったのは、ぼくが最初なんですよ。
高須:うそ! すごいね!
乾:だからもう部長さんやら、局長さんやらが「大丈夫か? 外の人間にやらして」って。司会が関口宏さんだし。
高須:関口さんなんてね。そりゃそうだわ。
乾:たまたま関口さんに気に入っていただいて。それが26歳のときですね。
高須:若っ! じゃあ、もう若いときからずっと一線で頑張ってきたんですね。
――『SASUKE』誕生の裏話、いかがでしたか? 次回も乾雅人さんをゲストに、キャリアの転機や仕事のマイルールを伺います。お楽しみに!
同じゲストのアーカイブ
-
後編:2023.10.1(日)放送回
日本から世界へ。『SASUKE』を生み出した演出家・乾雅人が企む新たな挑戦|ラジオアーカイブ
アーカイブはこちら
変えるなら、きっと今だ。